昇天者礼拝と「ヨハネによる黙示録」第21章1〜8節「輝かしい最終章を待ち望みつつ」
9月15日における尾久キリスト教会の広瀬邦彦先生による説教。この日は昇天者礼拝。それにちなんで題材は「ヨハネによる黙示録」第21章1〜8節「輝かしい最終章を待ち望みつつ」。
優れたドラマには必ず感動的な最終回、つまり名場面が用意されている。聖書はこの世界🌎の始まりと終わりを語っている。「ヨハネによる黙示録」第21章は、その結末である。その第16節には「わたしはアルパであり、オメガである」とある。アルパとオメガは、アルファベットならAとZであり、日本語なら「あ」と「ん」である。歴史を始めた人も、終える人も神なのである。仏教では「輪廻転生」という概念がある。これは世界は永遠に続き、自分は前世から後世にグルグル回るという観念である。しかしキリスト教においては、世界は有限である。
アメリカの某科学雑誌は、年に一回「世界終末時計」🕰️を表紙に用いている。この時計は1947年からシカゴ大学に在る。世界の終末は午前零時とされていた。ちょうど米ソ冷戦が始まった頃で、その時に「世界終末時計」は零時の7分前を指していた。ソ連が崩壊して冷戦が終わった時には、時計は17分前に巻き戻っていた。しかしその後、ニューヨークで9.11が起こり、コロナ禍が流行し、ロシア🇷🇺がウクライナ🇺🇦に侵攻し、ガザ地区が攻撃された2024年には1分30秒まで零時に迫っていた。「世界の終末」と聞くと、暗いイメージに絶望し勝ちである。SFや新興宗教の描く終末は、そのようなシーンである。しかし聖書の語る終末は「もはや死もなく、悲しみも、叫びもない」世界である。
人生にも始まりと終わりがある。キリストを信ずる者は天国に行く。イエスのそばで安らぐことができる。実際には信ずる者には、もっと輝かしい栄光が用意されている。神は天と地をひとつに世界を作り直す。そこで与えられるのは、朽ちない身体と永遠の生命である。その時期は人には知らされていない。ヨハネはキリストの最初の弟子であった。黙示録を書いたのは、キリストの死後かなり経ってからだった。ヨハネは迫害され、パトス島に流刑となった。そこで見た幻を記録したのが黙示録である。
今現在の礼拝は、新しい神の御国での礼拝に連続している。それは昇天者と共に神を讃えることになるからである。旧約聖書の詩篇第84篇には「涙の谷を過ぎる時も」とある。人生には、そういう苦境もある。ある信徒からかく言われた。「『聖書には信仰、希望、愛がある』と先生はおっしゃった」。しかし「希望が何であるかわからなかった。でもある時にそれが何であるかわかりました。希望とは『永遠の生命』だったのですね」。それを聴いて、私も嬉しかった。