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マルチン・ルターによる讃美の宗教改革

5月8日の尾久キリスト教会の説教。この日は新たな試みとして、高橋武夫先生ではなく、役員の黒木啓介兄が演壇に立った。題材は旧約聖書の詩篇第113章1〜9節で、テーマは「主の僕たちよ、賛美せよ」。

 自分が教会に初めて接点を持ったのは小学生時代に同じクラスの元気の良い女子2名から声をかけられたことから。英語が習えるということで尾久教会に行ってみた。その後しばらく教会に行くことはなかったが、数年後に尾久教会のそばの交差点で牧師の千代崎先生と会って「黒木さん久しぶり」と声をかけられて改めて行く機会ができた。この頃の自分は音楽に傾倒していて吹奏楽部に入り、高校でも週4回音楽の授業があるコースを選択していた。

 教会で惹かれたのは讃美歌の世界だった。当時の聖歌集は500円くらいだった(今は2,500円)。バッハ、ベートーベン、モーツァルト、シューマンなどの名作曲家の曲が載っていて、その譜面をギターで弾いていた。聖書の中でも歌の出てくる箇所は多く「出エジプト記」でモーセが紅海を渡る時に讃美歌を歌ったり、ルカによる福音書第1章に出てくるマリア受胎告知の際の「マリアの賛歌」などもある。初代教会の賛美はラッパや琴の伴奏で大編成であった。イスラエルの音楽と言えばフォークダンスで有名な「マイムマイム」のような憂愁に満ちた曲調がある(ここでリコーダーで実演)。黒木啓介兄は、平素から白鴎高校OBによる吹奏楽団を率いるアマチュア音楽家。教会の歌と言えば「グレゴリオ聖歌」をイメージすると思うが、これは法皇グレゴリウス一世が鳩(神の使い)から教わったという伝説がある。この頃の教会音楽は無伴奏で男性のみ歌唱が許されていた。石造りの教会で発声が反響するイメージ。しかし16世紀に入ってマルチン・ルターが宗教改革の中で大衆賛美=コラールを推進した。これでようやく誰でもが讃美歌を教会で歌えるようになる。実はルターの作詞作曲した讃美歌も多い。今日のテーマである詩篇113章から118章は過越の祭で生前のイエスが最期に歌った歌である。敬愛する熊野義孝先生言うところの「神学の極まるところに賛美あり」である。

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