
なぜか「人をイライラさせる」自分に泣きそうだったエピソード
【人をイライラさせる天才だった】
(出典:写真AC)
私は少し前まで
「なぜか人をイライラさせる」
天才でした。
この「なぜか」の部分に、今なら分かる心当たりが4つあります。
それはーー
[心当たり1]
相手に好かれたいがために出る言動で人をイライラさせる
例えば
◇お礼を言い過ぎる
◇挨拶を過度にする
◇やたらと相づちが多い
◇やたらと頷く
◇やたらと気をまわす
など。
適度であれば、むしろ丁寧な人と好かれやすいですが過度になると人はうっとうしく感じイライラしてしまうようです。
[心当たり2]
相手に嫌われるのが怖くて出る言動で人をイライラさせる
例えば
◇謝りすぎる
◇オドオドしている
◇気を使いすぎる
◇言葉を選びすぎる
など。
相手が“どんな状態であるか”や“どんな人であるか”にもよりますが、やはり過度であることでうっとうしく感じイライラさせてしまうようです。
[心当たり3]
なぜか常にプレッシャーを感じ、本来の力を発揮出来なくて人をイライラさせる
例えば
◇自分で注意をしているのに同じミスを繰り返す
◇努力しているのに何回同じことを言われても忘れてしまう
など。
これは、言うまでもなく特に職場で
「出来ないヤツ」
「足ひっぱんな!」
「つかえない!」
などとイライラされてしまいます。
[心当たり4]
自己肯定感が低すぎて人をイライラさせる
例えば
◇笑いにならない自虐が多すぎる
◇被害妄想が強い
◇自意識過剰である
◇自信がなく確認過多である
など。
人は人に構ってはいられません。
その日その日を頑張って生活している人には、目障りな存在となりイライラされてしまうようです。
このような4つの心当たりも、今だからこそ
「こんなにも周囲にイライラを振りまいていたんだ」
と理解できます。
しかし当時は、本当にすべて「無意識」に行っていたので、何故、自分の言動で人をイライラさせるのかが全くわかりません。
日々
「私は、存在しているだけで人をイライラさせてしまう。なんでだろう?・・・」
と、毎日泣きそうで、心臓が握りつぶされそうな思いをしていました。
もしも今、目の前に、上記に該当する少し前の自分が現れたとしたら・・・
確かに、私も彼女にイライラして疲れてしまうかもしれません。
【人をイライラさせる要因】
(出典:写真AC)
では何故、人をイライラさせてしまうのか?
私の場合は、やはり幼少期に受けた「母親からの言動」に要因があると、メンタルケアでお世話になっている訪問看護師さんに気づいて頂きました。
私の母親は女手1つで子ども2人を育てるストレスで、常にイライラしていました。
そして、私は決して要領のいい子どもではありません。
当時の母親は、自分の思い通りに動けない私に対して、イライラしている言動をあからさまに向けてきます。
例えばーー
・「お前を見ているとイライラする!」とダイレクトに叫ぶ
・「さっさっとしろよ! もう本当にグズなんだから!」などと怒鳴る
・「こんなこともできないのか!?」などと怒鳴る
・物を渡すとき、投げつけたり押し付けたりして渡してくる
・当てつけのように大きな物音を立てる
・気に入らないことがあれば顔面に向けて物を投げてくる
・腹を立てれば平手で叩いてきたり、蹴ってきたりする
・感情に任せて髪の毛をワシづかみにして引っ張ってくる
・イライラしている空気を出しながら無視をする
などです。
こうしたイライラを「人格が形成される成長期」に、子どもにとって唯一無二の存在である母親から十数年も向けられた。
これらが、私を「人をイライラさせる」人間に仕上げた要因ではないかと思うのです。
具体的にはーー
[要因1]
常にイライラを向けられているので、子どもとしては母親に好かれたくなる
これが後に、対象が母親から他人にすり替わり
[心当たり1]の「人に好かれたい言動をする人間」に発展してしまった・・・
[要因2]
常にイライラを向けられているので、母親に嫌われたくない想いでいっぱいになる
これが後に、対象が母親から他人にすり替わり
[心当たり2]の「人に嫌われるのを極端に怖がる人間」に発展してしまった・・・
[要因3]
常にイライラを向けられているので、母親の前で緊張している状態が続く
これが後に、対象が母親から他人にすり替わり
[心あたり3]の「人前で常にプレッシャーを感じ本来の力を発揮できない人間」に発展してしまった・・・
[要因4]
イライラを向けられて常に「お前が悪い」と刷り込まれることから、自分がダメな人間であると思い込むようになる
これが後に「自虐・被害妄想・自意識過剰・自信喪失」となり
[心当たり4]の「自己肯定間の低すぎる人間」になってしまった・・・
などです。
これらの経緯は、私のことを「人をイライラさせる」天才に育てるには充分だと分析しました。
【人をイライラさせる要因のもう1つ】
(出典:写真AC)
上記の分析の他に、要因のもう1つとして「なるほど!」と思ったことがあります。
以下は、お世話になっている訪問看護師さんに言われたセリフです。
「虐待を受けた子どもにとって、親をイライラさせたときだけは自分を見てくれるから、大人になってもなぜか人をイライラさせる人間になるのよ」
確かに、成長期の子供にとって、唯一無二の母親が自分に目をむけてくれる瞬間が「イライラさせたとき」だけっだったとしたら・・・
子どもが本能で母親に自分をみてほしくて、自分を見てくれる唯一の手段「母親をイライラさせること」をしてしまうのも分かります。
しかも、怒られるのは嫌なのでわざとにするのではなく、無意識下で母親を求めてイライラさせるを繰り返し、そのまま習慣づいてしまった。
無意識下の癖なので自分で気づいたり直したりすることができるはずもなく、大人になって対象者関係なく人をイライラさせる人間になってしまったわけです。
私の母の場合は、イライラしているとき以外にも私に愛情を示してくれたことはありましたが、それは決して私が欲しい形の愛情ではありませんでした。
成長期の子どもは親に愛されたいという気持ちを本能的に持っています。
ここでいう愛とは、 親が子ども想う気持ちから発せられる
・誉めてくれる
・認めてくれる
・悩んでくれる
・叱ってくれる
という言動をさします。
私は、母親が「認めてくれた・一緒に悩んでくれた」という記憶がほぼほぼありません。
また「誉めてくれた」という記憶も、育ててもらった18年間の間で2回ほどです。
この中で毎日のようにされていたのが「叱ってくれる」なのですが、この叱るも、私を想う気持ちからではなく、自分の感情任せによるものだったので、ありがたみはほとんどありませんでした。
このように、イライラしているとき以外は振り向いてもらえないから、振りむいてほしくて人をイライラさせる天才になってしまったとも考えられます。
【“人をイライラさせる自分”からの卒業】
( 出典:写真AC)
少し前まで「なぜか人をイライラさせてしまう」と常に心で泣きそうになっていた私ですが、今では無事に卒業することができました。
もちろん、人には相性などがあるので、私にイライラしている人もいるでしょう。
でも「そんなのしったこっちゃない! 私が心地よいと感じる私でいればいい!」と堂々としていられる自分にもなることができました。
自分に居心地がよくない状態で人をイライラさせる人間からの卒業ですが、決して、前述の“心当たり1~4”の具体例を1つ1つ直していったわけではありません。
では、どのようにして卒業できたのか?
理由はズバリ「自分で自分に目を向けた」からです。
自分で自分に目を向ける具体的な方法は3つあります。
[1つ目:自分の感情を自分の中に落とし込む]
( 出典:写真AC)
自分で自分に目を向ける方法として、心の中に沸いてくる気持ちを意識して、きちんと自分のなかに落とし込むことが有効です。
どのように落とし込んでいくのか?
手順は4段階あります。
<手順1.気づく>
まずは、自分の感情に気づくことが大切です。
気づくには、心の中に沸き上がってくるモヤモヤした感情に、名前をつけます。
その名前は
・怒り
・憤り
・悲しみ
・辛さ
・切なさ
・むなしさ
・恥ずかしさ
・嫉妬
などです。
自分の気持ちが何か明らかに分かっていても、改めて自分に「今どのようなきもちなのか?」を問いて名前をつけます。
また、つけた名前が「怒り」や「憤り」だった場合、なぜ自分が腹を立てているのかの理由を探ることも大切です。
一般的に「怒り」は2次感情と呼ばれ、ベースに何かの感情があってそこから発展した感情だと言われています。
例えば、帰りの遅い子どもがやっと帰ってきたときに、怒りが沸いて怒鳴ってしまうママさんがいます。
これは――
『ベースに「うちの子に何かあったんじゃないだろうか?」といった“心配”という感情があり、無事に帰ってきた子どもを見て安心したとたん、心配から発展して“怒り”に変わってしまった』
というケースになります。
ですので、自身でつけた感情が“怒り”の場合は、そのベースにはどんな感情があるのか探ることが必要なのです。
このように自分の感情に名前をつけて、自分のネガティブ感情を明らかにし、自分が感じている本音に気づくよう意識していきます。
<手順2.認める>
次に行うのが、気づいた本音をそのまま放置しないで
「私は〇〇と感じているんだ」と意識して認めることです。
自分の気持ちを胸にストン落とし込むには、分かっていても意識して認めることが必要です。
<手順3.許す>
ここが、自分の感情を自分の中に落とし込む“肝”となる部分です。
認めた感情を
「人間なんだから、こう思ってしまう時もある!」
「こう思っていいんだ!」
「心の中は無限大に自由だ!」
など、自分に“心では何を思ってもよい自由”を許すのです。
よく「『こんなことを思っっちゃいけない』と自分に言い聞かせてるんだー」といった声を聞きます。
そんなことはありません!
心の中で「思ってはいけない」ことは何一つないのです。
例えば、乱暴な言葉にはなりますが「死ね!」なんて思ったとしても、現実世界で実際に相手を攻撃しなければ罪にはなりません。
「あ、自分はそう思ってしまったんだ。でも、人間だからそういうときあるよね」
と自分に“心の中の自由”を許すことが大切です。
ただ、そうしたネガティブ感情を引きずったままだと、相手への憎悪に執着したり、未来をみすえることができなかったりします。
そこで最後に必要なのが“切り替え”です。
<手順4.切り替える>
自分の本音に「気づき認めて許す」まできたら、頭できちんと切り替えることで、その出来事や相手に執着せずに未来を見ることができます。
例えば
「〇〇さんにも事情があったんだろう」
「〇〇さんだって人間」
「人は人、自分は自分」
など相手を思いやる気持ちや
「生きていればこんなこともある」
「この感情をいつまでも抱えていても仕方ない」
「人間てそんなもの」
といった大人対応をするような言葉で気持ちを切り替えていきます。
<順番が大切>
こうした4つの手順をふまえることで、自分というものに目を向けるようにするのです。
一般的に多いのが、自分がなんとなく感じた感情に対して、手順4をいきなり実行するパターンです。
これは自分を無視してしまうことになります。
人をイライラさせてしまうと悩んでいる人は、基本
「“人に目を向けてもらいたい欲求”が自分で処理できていない」
可能性があります。
ですので、他人ではなくまずは、自分で自分に目を向けることが必要なので、手順1から順番に行うことが大切になってきます。
私もこの手順を頭の中や、スマホのメモ機能を使ってやるようになってから、人をイライラさせることが少なくなったように思います。
「思う」というのは、そもそも自分にきちんと目を向けているので、自然と相手からの反応を気にすることがなくなってしまったというのが正しいからです。
相手の反応を気にしなくなれば「イライラされている」と感じることもありません。
また、実際のコミュニケーションで、相手はだいたい笑顔か、真面目な表情をしているか、悩んだ表情をしているかで、イラついた表情を見せることはあまりないので、私の言動でイライラさせてしまっていることはないようです。
<手順をあみ出したきっかけ>
この手順をあみだしたきっかけは、前述でもチラリとあげた訪問看護師さんのあるセリフからでした。
そのセリフとは
「本当は辛かったでしょう。本当は怒っているでしょう?」
「あなたは自分の気持ちに気づけてないことが多い。まず気づきなさい」
「お母さんの苦労は分かる。だからといって親が子どもに暴力をふるっていいという理由にはならない。だから怒っていいの! 泣いていいのよ」
「心の中は何をどう思ってもいいの! 心の中は自由なんだから! 咎められないんだから」
「心の中で思ったらいけないことなんてないの!」
などです。
言われたタイミングや時期はそれぞれ違う時もあれば、まとめまて言われたこともありました。
また、これらの言葉は、私が頭でも気持ちでも理解できるまで繰り返しおっしゃってくださいました。
そのおかげで、こうした自分独自の手順をあみ出して、実践することで自分のことに目を向けて自分を知ることができたのです。
[2つ目:素の気持ちを大切にする]
( 出典:写真AC)
自分に目を向ける方法の2つ目として、自分の“素の気持ち”を大切にすることが大切だと考えます。
そのため、日ごろから自分の本心を自分でよく聞くように意識しました。
1つ目の“自分の感情を自分の中に落とし込む”に似ていますが、少し違います。
この方法は、自分の意志で何か言動をするとき、もしくは相手の言動に応えるときに使います。
1番分かりやすいのは、相手に何かを頼まれたときです。
「ああ、それは無理。ごめん」の言葉がでてこずに、気が進まないまま引き受けてしっまたという経験、1度や2度はあるのではないでしょうか?
ちなみに私は、日常茶飯事でした。
また
『「この方法がいいよ!」と言われてやって、確かに効果はなくないけどイマイチ乗れなくて・・・』
といったときなども、自分の本心が迷子になっている可能性があります。
そんなときに、自分の気持ちをうやむやにするのではなく
自分は――
「本当はどうしたい?」
「本当に嬉しい?」
「本当にやりたい?」
と自分の素の気持ちに問いかけてみるのです。
子ども時代に大人に押さえつけられた経験がある人は、比較的自分の気持ちをうやむやにして「相手のために」とか「相手が言ったから」など、人に従う傾向があります。
子どものころに自分の意見なんて尊重されなかったので、無意識に自己主張を諦めていたり、恐怖を感じたりしているからです。
でも今は、自身を威圧してくる相手は過去の人間です。
現在、自分を抑え込もうとする人間がいたとしても、あなた自身には拒否権もあるし跳ね返してもいい自由があります。
何をどうしようと、あなた自身の自由なのです!
どうか自分の気持ちをうやむやにせず、自身に素の気持ちを問いかけてあげてください。
自分の素の気持ちが分かったうえで、相手への思いやりや大人対応で素の気持ちと違うことをしてしまうことがあったとしても、
「なんかモヤモヤするけどやらなきゃ仕方ないよね」
と
「嫌だけど、まあしかたない! 今回はやってやるか(やってみるか)!」
は全く違います。
人は自身の素の気持ちなんて気づいてくれません。
だから、自身の“素の気持ち”は自身で気づいてあげてほしいのです。
気づかないまま放置してしまうと、心の奥に潜むあなたが
「気づいて! 気づいてよ!」
と悲鳴をあげて、人をイライラさせてしまう言動に走ってしまいかねません。
素の気持ちに気づいても
「自分は他の方法をやってみる」
「自分には合わなかった」
「それは無理。ごめん」
などは、怖くてすぐには言えないでしょう。
でも、焦らずにまずは自分に問いかけて、素の気持ちに気づくことが重要です。
そして、自分への問いかけを続けていくうちに、次第に自分の素の気持ちを大切にしたくなり、自己主張をすることができるようになります。
人に対して自己主張することが恐ろしかった私も、今では相手と喧嘩してでも自分の意見を大切にすることができるようになりました。
人の意見を聞かずに自己主張ばかりするような人間になっては行き過ぎですが
“人の意見も聞きつつ自分の素の気持ちを大切にする”こと。
最終的には、このバランスが取れるようになると、相手も自分も尊重することができるようになります。
そのころには、もう人をイライラさせる人間なんてとっくに卒業していることでしょう。
この“自分の素の気持ちを大切”にするために、自分に問いかけをはじめたきっかけは、また登場の訪問看護師さんのセリフです。
そのセリフとは
「人にどう思われるかじゃないの、自分がどう思うかなの」
この言葉を再三言われたことにより、自分がどう思っているかを自分の心に聞いてみるようになり、続けていくうちに自己主張もでき、人をイライラさせてしまうなんて気にしなくなりました。
[3つ目:自分を褒める]
( 出典:写真AC)
自分で自分に目を向ける方法の最後は“きちんと自分のことを褒める”です。
「人をイライラさせてしまう人」は、自分の言動や存在を認めてもらえなかった過去を持っていることが多くみられます。
もちろん私もそうでした。
だからこそ、自分の言動を、存在を認めてもらうことが必要になってきます。
でも、世の中はそんなに認めてはくれません。
とくに「できて当たり前」と言われていることは、誰も褒めてくれはしません。
ですので、自分で自分のことを褒めることが大切になってくるのです。
声に出すほうが効果があります。
自分にとって1番なじみのある声で誉め言葉を聞くことで、徐々に無意識に働いていた「人に目を向けて欲しい」という欲求が「もう目を向けてもらっている」に変換され心が満たされてきます。
どんな些細なことでも、できて当たり前のことでも構いません。
例えば
「朝、きちんと起きれた! やったー!」
「よふかしせずに布団に入れた。えらい!」
「食事をきちんと噛んで食べた。いいね!」
「挨拶できた。素晴らしい!」
「仕事に行けた。よく頑張った!」
などです。
こうした、自分に自分で向ける「よく頑張った!」の言葉は、脳に書き込まれた人をイライラさせてしまうというあらゆる技を打消していってくれます。
この方法は、訪問看護師さんに
「どんな小さなことでもいいから自分を誉めなさい」
と直接アドバイスされました。
最初は抵抗があるかもしれません。
私もかなり抵抗がありました。
「こんな当たり前のことをいちいち誉めていられない! 子供じゃないんだから!」
と、訪問看護師さんに反発したこともあります。
でも
「その子どものころに、できて当たり前のことを褒めてもらわなかったから、心が満たされてないの! どうしてもできないのなら、治療だと思って、数学の方程式みたいにやればいい」
と返されました。
いまなら、そのやりとりも笑えてしまうくらいに、やってみて良かったと思います。
人に認めてもらうことも大切です。
しかし、自分で自分のことを認めることは、もっと大切なことなのだと身をもって体験しました。
「バカみたい」という本音は認めつつ、まずは日常生活で出来ていることを見つけて誉めてみると、自分で自分に目をかけるきっかけがたくさんできるのでおススメです。
【おわりに思うこと――】
( 出典:写真AC)
「人をイライラさせてしまう人間」から卒業するには、決して要因を解決することや具体的な言動1つ1つを直すことではないのだと痛切に思います。
具体的な言動は1例に過ぎず、まだまだあるかもしれない言動を1つ1つ直していくのは、次々に伸びる枝を切っていく作業にすぎません。
返って苦しくなってしまうものです。
「人をイライラさせてしまう」という木を倒したいのであれば、大元の根っこを枯らすことが重要だと考えます。
大元の根っこを枯らすポイントはただ1つ。
「自分で自分に目を向ける」です。
ただ、これには裏話があります。
今でこそ
「目をむけてもらうために人をイライラさせてしまう人間が、自分で自分に目を向けることで改善して心を傷めなくなった」
という結果となりました。
しかし、実のところを言うと、自分で自分に目を向ける方法としてご紹介した3つは“人をイライラさせてしまう人間”から卒業するために行ったものではありませんでした。
他の症状改善のためにあみ出して行っていたものから抜粋した3つです。
他の症状改善のために行っていたら、気づいた時には人にイライラされる悩みもきれいに消えていた次第です。
今回この記事を書かせて頂くにあたって、つくづく、悩みやメンタル的症状は連動していて、1つが崩れると次々崩れていくけれど、1つが改善すると次々と好転していくのだと実感しました。
過去の私のように「なぜか人をイライラさせてしまう!」と泣きそうな皆さんが、自分で自分に目を向けて、笑顔で人生を歩んでいけますように――
心より祈っております。
__________
■執筆者
人生再活コーチ・かがみやえこ
特定非営利活動法人 環健ネットワーク
■登場人物
訪問看護師・野上氏
訪問看護ステーション凛