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変化の多様性とエントロピー【思ったこと】

エントロピーという言葉はご存知でしょうか?

例えば、バケツいっぱいの水の中に、赤いインクを1滴垂らしたとします。
その水は、何色になるでしょうか。
1滴程度では、水の色は変わったりしません。ほとんど透明のままです。

同じことが、熱力学の分野でも言えます。
ステンレス鍋の側面を触ってやけどすることがありますが、側面というのは直接熱されている部分ではありません。


つまり、エントロピーというのはそういうことです。(笑)

なんのこっちゃ分からんけん調べてみたら、

原子的排列および運動状態の混沌性・不規則性の程度を表す量。

さらによぉ分からん…あぁもう。
まあつまりは、エントロピーっていうものが大きくなればなるほど、浅く広くなっていくっていう風に解釈してます。

科学の用語ではあるのですが、しばしば人間生活にも使えます。この場合は純度を『エントロピー』と置き換えます。
情報のエントロピーが高くなっている」というのは、誤った情報や噂が多くなっているという意味になりますし、外国人や障碍者雇用の受け入れを進めていない会社は「雇用におけるエントロピーは低いまま」などと揶揄できます。


先程、『浅く広く』と言いました。それこそ人という存在も、大人になるにつれてエントロピーが増大していくのだろうなと感じています。
小学校の頃は、知識の幅はもちろんのこと、趣味や生活リズムも似通っていたためエントロピーは低い状態ですが、高校・大学と進学するにあたって自分の知識のチャネルが広がり、生活リズムも様々になります。

アルバイトを始める人もいるでしょうし、研究に没頭する生徒もいます。それぞれはそれぞれのコミュニティを形成します。そこでは、またエントロピーの低い状態が生まれます。
しかし、そのコミュニティのなかで人生が完結するわけにはいきません。親しくないクラスメイトとも接しなければならなかったり、アルバイト先では上司や後輩とも平等に接しなければなりません。その結果、全体を通して人間関係のエントロピーは高くなっていくのです。


かつては、高等教育の最高機関として大学というものがありました。
大学に入学できるのはエリートの中でも一握りで、大学というもの自体にはエントロピーが低い水準を保っていた時代でした。
今や、入学金さえ支払えば誰であろうと大学に入学できる時代。教育水準のエントロピーは高すぎる状態です。つまり、「大学を卒業しました」と言ったところで希少性はなにもない。


では、大学に行く意義というのは何になるのでしょう。

「ランクの高い大学に出ていれば、それでこの先の人生は安泰だから」
という回答は期待していません。財布の外見やブランドを見るのではなく、財布の中身を見て話をさせてください。

純度の高い教育を受ける。または希少性の高い知識を積む。
これが私の思う大学に通う意義です。


大学は英語でUniversityといいます。
語源を紐解けば、ラテン語の原義であるウニウェルシタス(universitas)が『統一されたもの』という意味になるのです。
まさに、本来の最高教育機関は、エントロピーの低い・統一された教育に拠る言葉だったのでしょう。

そして今や、ウニウェルシタスは大学に通うことで可能になるものではありません。松下電器の創業者・松下幸之助のように、学歴に頼らず遥かな才知を表した人物は大勢います。
先程も申し上げたとおり、大学はエントロピーの高い教育機関です。むしろ、漫然と授業を受けるくらいであれば行かなくてもよい。


量ではなく、質の良い知識を得たい。
そう思った瞬間に、エントロピーが低くなり、人生を変えるチャンスを掴むきっかけになると私は信じています。

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