『 歩く 』
この頃は、昼間にできるだけ歩くようにしている。
暑さと、風と、孤独と、自分の無力さを感じるために。
今日は、夏の最後の蝉が、力を振り絞って鳴いていた。
そして、まだ羽化したばかりの蜻蛉が群れで飛びまわっていた。
真っ赤ではなく、少し橙のような、アキアカネは
無邪気に走り回る子供たちのように
ハツラツと、イキイキとしていた。
八日目に近づいているだろう蝉たちの声と
産声をあげたばかりの蜻蛉の姿は、
この世の諸行無常のことわりをあらわし
小さな世界の、小さな生命(イノチ)の機微を感じさせた。
蝉の声と蜻蛉に、自分を投影させてみた。
公園脇の小径、子供たちが野球の練習や、試合をする小さな野球場の横を通る。
試合がちょうど終わったばかりの、子ども達や
その親御さんがいた。
そこを抜けると、人がいない、裏道に入れる。
そこからの、帰るまでの道がすごく好きだ。
そこでも、アキアカネの群れが飛びまわっていた。
ふと、幼い頃の自分を思い出して、あんなことあったな…
あの夏の海の匂いを感じたいな…とか、さまざまな出来事を思い出させた。
そして、蝉の声は、今と、これからの残りの人生を感じさせた。
僕は、八日目の蝉になるつもりも、願いもない。
できることなら、五日目か六日目くらいで、
まだ最後の余力を残したまま逝きたい。
もう、後半に入っている残りの時間。
この先どうなるのかは、別に知りたくもない。
ただ、願いが叶うなら、最後まで胸を張って、
自分らしくまっとうしたい。
それで充分だ。
帰り道の坂は、ハァハァして、生きてる実感と疲れを感じる。
Tシャツは、汗でびっしょりだ。
もう、無くすものなんてない。
そう思って坂道を登っていると、それはある意味
清々しくもあった。
風が吹いて、木の葉がパラパラと舞い落ちた。
少しだけ秋の気配を感じた。
EGO-WRAPPINの
「色彩のブルース」が、
何度も、何度も、僕の中でリフレインしている。