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私の光る君へ〜大河「光る君へ」33話・式部誕生・雑感〜見逃した方もどうぞ
1001年4月25日夫・藤原宣孝 と死別 1005年12月29日中宮彰子に出仕
実際の、紫式部の出仕はドラマより1年遅い説あり…
身の憂さは 心のうちに したひきて いま九重に 思ひ乱るる
※九重=内裏、この歌では苦悩の深さと掛詞
幼い賢子を預けて、内裏に来たまひろだが、後宮は想像以上の特殊世界。その感覚は現代の人間がそこに行った方に近いかも。
宮の宣旨が「藤式部、中宮様の御為に共に尽くしましょうぞ」と女房達を代表して、挨拶。
「仰せの旨、畏まりて承ります~どうかよしなにお導き下さいませ。」とまひろも上出来の挨拶。でも微笑んでくれてるのは、後方の赤染衛門だけ。それより前はすん。~タイトル~
【女房たちは皆実家が凄い。宮の宣旨が醍醐帝の曾孫、道綱の娘、倫子の姪二人、明子の姪、など。姫様だらけ。道長は、妻・倫子も、別妻・明子も、良い家柄志向。女房達も…。亡き・定子の母、高階貴子は中級貴族出身、宮中の内侍から道隆室に、学問好き、清少納言のような積極性の高い女房達が、定子の周囲を囲んだ。赤染衛門に、式部、和泉式部も加わって、近々、藤壺もセットのように、美しく薫り高くなる?…】
宮の宣旨は、藤式部を彼女の「勤め」のため、硯など高級の道具が用意された執筆用の部屋に案内。本来、女房の勤めは、中宮様のお世話、公卿たちの取次。藤式部つい「私もお手伝いします」と言ってしまう。
【女房の個人スペースは、通常柱一間分、藤式部の執筆室は二間。几帳・屏風でしか仕切られていない、プライベート感皆無でも、これで特別扱い。】
机に向かい、落ち着かないところに、公任と斉信が様子見に。
公任「己の才を存分に活かせ。」
斉信「何かあれば中宮大夫の俺に申せ…ここの女房達は高貴な姫ばかりで、頼りにならぬ、」
公任「要するに世間知らずなのだな?」
斉信「…にぶいのだな。」
公任「見栄えがしても、鈍いのはなぁ。」
式部「私のような、地味でつまらぬ女は、己の才を頼みとするしかございません。・・・」
外廊下で「地味でつまらぬ女、お前まえに言ってなかったか」と公任に言う斉信。
【新・コント風、でも案外大事な場面。衛門先生の言っていた藤壺の「どうにもならない」雰囲気が斉信の言葉でわかる。まひろの執念深さも。彼女が左大臣だけでなく、高官二人と知り合いというのも…鈍い姫様たち、どう思うかな⁈】
「中宮大饗」(饗宴)の準備。中宮大夫・斉信を「偉そうにしたいだけ」と、笑っている女房達。まひろは、昼はお手伝い、夜に執筆。布団に入るも、いびき、寝言、で寝付けない。朝、赤染衛門に起こされる。【女房の皮肉「おみ足を揉む」=考えようで最高敬語⁈だから「夜伽」…上流下ネタ⁈】
大饗の夜は、くたくたで執筆はムリ。
敦康親王と彰子を囲んで、お手玉遊び。母子と言うより、姉弟のような、仲睦まじい様子を垣間見る。
親王家別当・行成に、藤壺に伊周が現れてないか、尋ねる道長。
「伊周殿は目立つ動きを控えていらっしゃる。」と行成。このまま彰子に皇子出生がなければ、と焦る道長。「親王様を伊周殿の手に渡すことなど…命を懸けてお守りいたします。」と行成。
【二人は運命共同体、逝去まで同日。】
まひろは道長に、帰って家で書いてくると主張。「お前は俺の最後の一手なのだ。」「帰らないでくれ。」と頭を下げ頼む道長。【でも宿下がり❢】
彰子に挨拶に行き、「私は冬が好き」「色も青が好き…空も」と〜実は自我を持っているのだな〜という言葉を聞く。
帰れば、家族も穏やかではない。
いと「追い出されたのですね」
惟規「涙の別れから、まだ八日…」
乙丸「八日も我慢なさったのですね、おいたわしい」
何も気にせず、まひろは執筆に集中。
1006年。春の除目。
右大臣は伊勢守に平維衡を推薦(実は家人)。平維衡は平致頼と、伊勢の支配を武力で争った事が、道長は気に入らず、激怒。国守が武装して、国を治めることは、血で血を洗う世の到来になると言い、伊勢守空欄で終了。
行成は帝の仰せなので…正論・実資は「今わが身を恥じておる」。
隆家は、伊周に制止されても、朝廷も武力を持つべき…の持論を言う。
【正論が通らないのが歴史…維衡は任命後、国替え。平清盛はこの五代孫。日本各地での武士団の組織が始まるのもこの頃。致頼は伊周と道長暗殺を企てた説あり…】
原稿を読むまひろ。
惟規「たくさんの男と睦んだこともないくせに…」
いと「そのような下品な殿御たちのお話、帝がお喜びになるでしょうか…」
【源氏物語を細切れで読むと、そうかもしれない…いとさん(笑)】
5月頃、藤壺のある方から歌↓
忍びつる ねぞ現るる あやめ草 言はぬに朽ちて やみぬべければ
(水に隠れていたあやめの根が現れるように、私が言わないと、あなたは朽ちて、このままになってしまうかもしれないから)
で、式部は【心を入れ替えて】「一」と言う字も書けないふり、屏風の漢字も読めないふりをする。演技が功を奏し、雰囲気は和らいだらしい。
【それもどうかと…紫式部日記より】
松に絡ませた藤の花が、風に揺れる季節。物語の続きが、ある程度仕上がった報告を彰子にするまひろ。
「帝がお気に召したお話を、私も読みたい。」と言う彰子。
これは続きだからと概略を話すまひろ。
「その皇子の名は」「光る君と申します」
「皇子は何をするの」「何をさせてあげましょう」
【11歳で中宮となり、親にも「中宮様」と上げ奉られ、自己主張できなかった彰子にとって「物語」という自己仮託の世界が与えられた瞬間。】
道長に、これからは藤壺で続きを書くというまひろ。
「中宮様の御心の中には、表に出てこないお言葉がたくさん潜んでおるのやもしれません。中宮様ともっとお話したいと思いました。」
藤壺に帝のお渡り。
以前、ききょうと共にお会いした時、まひろが言った白居易の「澗底松」の一節をおっしゃる帝。輝くまひろの顔。【覚えていてくれたのだ☆彡】
「この私にどうどうと己の意見をいう女人は、亡き女院様(母)以外おらなんだから覚えていた。」
帝から「皆に読ませたい」のお言葉を頂くまひろ。
「中宮様にもお読みいただければ、この上なき誉に存じます。」
微笑む彰子。それをちらっと見る帝。うまいぞ藤式部。
道長からまひろへの褒美の扇。絵は出会った日の二人。
「鳥が逃げたの」「鳥を飼うのがまちがい…自在に飛ぶから鳥なのだ」
【今まさに書いてる⁈若紫へのオマージュ💛】
興福寺別当・定澄、三千の僧兵率いて登場。
アノ阿修羅像etcを収めた国宝館を持つ、修学旅行奈良コースで必ず行くお寺=興福寺、藤原氏菩提寺。隣の春日大社は藤原氏氏神。現在の奈良公園のほとんどが興福寺だった。寺領は徳川期でも大名並み。大和国は興福寺のモノと言っても過言ではなかった。
檀家の長者、道長。どっちが偉い⁈
【1006年その大和国守になったのが、源頼親(鬼退治で有名な頼光の弟)。道長の家人でもある。なんだか揉めてるけれど、ドラマにラマにどう絡むのか。】
次回も式部ひとはたらき⁈おまけに「男はみんなかわいい」って。