私の光る君へ〜大河「光る君へ」40話・君を置きて・雑感〜見逃した方もどうぞ
1011年 春の藤壺
源氏・藤の裏葉の朗読会。読み手は宰相の君。
《冷泉の帝と夕霧が並ぶ姿》で終わる場面を、和泉式部が「お見事ですわ~華やかで」と絶賛。帝も「華やかで…恐ろしいの」と微笑。
敦康親王は《藤壺女御の光る君への思い》を問う。
式部は微笑むだけ。
頼通《藤壺女御は困っていたのでは?光る君は強引…》との意見。
彰子「私もいろいろ聞きますが、藤式部は教えてくれないのですよ」
そこで敦康親王は「藤壺女御は光る君をいとおしんでいたと思うことにします。」と、ちらっと彰子を見る。【うーん…】
道長は悟ったような雰囲気で、「たとえ思いが通じたとしても、彼は幸せにはなれない…不実の罪は必ず己に返ってくるもの…」と言う。
【敦康親王しゅん、みんな、つまんないの顔~】
帝「左大臣がそのような事を申すのを、初めて聞いた。」
和泉式部「されど左大臣様、罪のない恋などつまりませんわ」
赤染衛門「誠に…人は、道険しき恋にこそ燃えるのですわ」
さすがの道長も苦笑い、式部も安堵の微笑み。
【これが藤壺サロン、よくぞ集まった才女たち💛】
夜『柏木』執筆中の式部。
「罪を犯した者は」と考え込む。 ~タイトル~
帝と中宮の臥所
彰子「なぜ帝は冬でも火取りも使わず、厚い衣も召さないのか」と問う。
帝「民のことを思って…民の心を鑑とせねば、上には立てぬ。」
彰子「帝は太宗皇帝のよう…」。
そこで帝は、彰子が新楽府を読んでいると知り、その心を喜ぶが、突然、胸を押さえ苦しがる。「いつものことだ」と彰子に言い聞かせる。
【太宗常以人爲鏡 太宗、常に人を以て鏡と為し、
鍳古鍳今不鍳容 古を鑑み、今を鑑みて容を鑑みず。
太宗は常日ごろ人の有様を鏡とし、
古よりの興亡を鑑とし、今自らの容姿は映さない。
新楽府・百錬鏡の一部】
5月23日 帝は顔色悪く病勢は重い。
道長はなにやら考え、帝の容態を日記につける。
彰子はもしもを考える不安を式部に訴える。
5月25日 清涼殿・帝の寝所横!?
道長は、大江匡衡を呼び、占いをさせる。
「占いには世が変わると…崩御の卦が出ている。」
それを夜御殿から、帝が聞いている。
【ドラマはぼかし…事実だそうです!道長!わざとだ!】
道長、公卿たちを集め、一条帝の退位の準備を諮る。
実資が、32歳と若い帝にそれはあり得ない、と反対するが、他の公卿たちは誰も反対しない。
道綱「東宮様と離れるのは嬉しい…」と、居貞親王の面倒な人柄が露呈。
竹三条の宮
敦康が、父帝の容態と自分の今後を案じている。ききょうが、先例から敦康が東宮だと言うのを、隆家が「先走るでない」と制している。
土御門邸。道長は四納言に意見を求める。
行成だけが、敦康が次の東宮にふさわしいと言う。
俊賢「敦康様の後見は隆家殿、罪を得た家の者…」
斉信「話を聞いた以上、俺は敦成様を推す」
公任「実資と隆家の説得は我らがいたそう」
俊賢「お任せを」道長「頼む」
斉信は(一条帝の信頼があつい)行成に「お前は無理せずともよい」という。
【こうして流れが決まる❣】
内裏、星の光だけの夜御殿で、帝は運命を悟り、悲しげな微笑。
【すでに崩じた定子の下に行くのだとお考えでは?と私は思ってみる。】
5月27日 清涼殿
道長に譲位の意思を伝える帝。
まず、東宮の居貞親王と話したいと言う。
道長は、東宮御所へ。
「帝はそれ程お悪いのか」「わかった…姸子の顔でも見て帰れ」
【出番が回ってきた東宮、もう36歳。一筋縄ではいかない方。】
姸子は爆買い中。
道長が諫める。
「母上がそういうものは土御門で引き受けると…つまらぬ事しか申されないなら、お帰り下さい。」「どうせなら敦明様がようございました。」
呆気にとられる道長。
【彰子と姸子と、逆方向に、父親の思い通りに行かない❣】
帝は行成を呼び、敦康を東宮にと、道長の説得を頼む。
しかし行成は、文徳天皇の第四皇子で皇位を継いだ清和天皇を例にして、外戚に力のある皇子が皇位を継いだ方が良い、と話し、道長の意思も伝える。 【苦しく辛い行成の表情も大事】
帝「わかった、下がれ」。
【行成の下がった後の帝の苦悶の表情❣道長許すまじの気分が⤴】
行成はそのまま道長の室に行き、帝の言葉を伝える。
「またしてもお前に救われたか、行成あっての私である。」
【先日の四納言の集いでは、行成は敦康親王推しだったのだから、この底に隠された彼の博識、努力、文字の示す通りの人格の高さに助けられたと、道長も痛感してる?!】
藤壺。道長は中宮彰子に、譲位と敦成の東宮を報告。
彰子「何故、私に一言もなく次の東宮を敦成とお決めになりましたのか」
道長「帝の仰せにございます」
彰子「…父上が追い詰めたのですね!」と激高。帝は彰子に次の東宮は敦康との意向を伝えていたとし「お心が変わるはずがない」と。
「父上はどこまで私を軽んじておいでなのですか」と叫ぶ。
「私は敦成の母でもありますが、敦康様の母でもあるのです。二人の皇子の母でもある私に何の相談もなく、次なる東宮を敦成とお決めになるなぞ、とんでもなきこと❣帝にお考えをお変えいただきます❣」
立っていこうとする彰子の袖を、道長がぐっと止める。
「政を行うのは私であり、中宮様ではございませぬ。」
二人はにらみ合い、彰子が目をそらすと道長は去る。
「中宮なぞ何もできぬ。帝も敦康様も守れぬとは…藤式部、何故女は政に関われぬのだ⁉」
泣き崩れる彰子。
【多くの女人の悲しみと怒りを描いた式部が寄り添う…今回吉高式部の考えは読み取れないが…】(例の部屋で呆然としている道長)
6月2日 清涼殿
帝は東宮・居貞親王に宣告。
「朕は譲位する。東宮は敦成とせよ。」
東宮「ご病勢を拝察し、これにてご免こうむります。」
東宮御所
居貞親王は、孫が東宮となれば、道長が譲位への圧迫を始めるかもしれないが、自分は言いなりにはならないと、娍子妃に言う。
6月13日
一条帝、譲位。居貞親王が三条帝、敦成親王が東宮となる。
【病臥する一条帝の横から、神璽・宝剣が持ち出される。病が加速度的に重い。】
敦成に挨拶する道長。
「左大臣、東宮様を力の限りお支えせよ」という彰子はどこか他人行儀。
竹三条の宮
無念の隆家は、敦康親王にこれを急ぎ伝える。
脩子内親王と、ききょうも同席。
敦康は事実を静かに受け止める。
「父上を見ておったら、帝というお立場のつらさがよく分かった。穏やかに生きていくのも悪くない」
脩子も同意。
6月17日 一条院崩御
一条院辞世の御製
露の身の草の宿りに君を置きて塵を出でぬることをこそ思へ
上は「君」を彰子と見る、道長の記載。
露の身の風の宿りに君を置きて塵を出でぬることぞ悲しき
上は「君」を定子と見る、行成の記載。
次は定子皇后辞世の御製で、上の歌と相聞になる。
煙とも雲ともならぬ身なれども草葉の露をそれと眺めよ
【ドラマは彰子の手を握っている。一条帝は定子に詫びに行くだろうし、残していく彰子にすまない、よろしくとも思っていると、私は思う。】
市場
賢子は乙丸を連れ、市でひったくりに遭いその後を追って、悪仲間がいて逆に捉えられそうになる。そこへ見知らぬ若者が現れ、助けてくれる。
足を怪我した乙丸を背負い、家まで送ってくれた若者は、双樹丸と名乗り、平為賢の家来と名乗る。
そこへまひろも帰宅。
【平為賢は隆家と共に、刀伊と闘う方。かっこいい隆家様が見られるかしら💛】