見出し画像

特許翻訳とスタイルガイド

どの翻訳分野においても、「スタイルガイド」、またはそれに準ずる書類が翻訳会社から支給されるのは当然のことかと思います。

しかし、特許翻訳の仕事を続けていて最近感じているのは、海外ベンダーと取引をする場合に、このような書面が支給されないことがままある、ということです。


これにはいくつの理由が考えられますが、個人的には、
①外内案件の場合、日本よりも海外の翻訳会社(ベンダー)が競争力優位になり、コーディネーター含めてほぼ全員が海外スタッフである(英語でのやりとりを行う)

②同じく外内案件の場合、海外企業が日本出願向けの翻訳書面を作成するわけなので(明細書翻訳の場合)、出願企業の中の人も、日本語が分からない

という2つの要因が、少なからずあると思います。


これは、私の仕事のほぼ10割が外内翻訳(中間処理ではなく明細書翻訳)になっていることからの考察で、恐らくですが、逆方向の内外案件の場合、日本企業のほうが競争力は強く、このようなことは多くは起こっていないのではないかと思います。


ただ、上記①②が原因でスタイルガイドが作成ないし支給されない場合、個別の案件を対応する翻訳者として、表記関連に関して、以下のような悩みが生じます。

A.数字やアルファベットの全角半角をどうすればいいのか

数字やアルファベットは、会社や出願人によって方針や好みが分かれている場合があり、翻訳会社から「こういう場合はこう」という風に指定をしてもらうのが一番負担が少ないです。

個人的な好みは、全て全角表記なんですよね(それが一番慣れている、というのもありますし、全角処理の作業が楽)。

B.特定の用語の漢字・ひらがな表記をどうすればいいのか

これもA.と似たような話ですが、卑近な例としては「及び」「又は」のように漢字で表すのか、「および」「または」のようにひらがなで表すのか、というものがあります。「及び」「並びに」は漢字で、「または」「もしくは」はひらがなで、という指示が出ている場合もあります。

これもA.同様に、指定してもらわないとこちらとしては翻訳がしづらく…。スタイルガイドで指定されていない、ということは、特にこだわらなくてもいいですよ、ということなのかもしれませんが、明細書全体での表記の統一の問題もあるので、個々の翻訳者が判断するのは少し違うのではないか、と思います。


C.その他の細かいスタイルの指定

他にも、特許翻訳特有の雑駁な表記関係の問題もあります。

B.に関連することで言えば、"and/or"という表現が出てくるときに、同じ文中の他の箇所で、同様に"and/or"が出てくる、あるいは"and"、"or"が単体で出てくる場合に、「及び/又は」と表記すればいいのか、入れ子構造がわかるように「並びに/又は」のように、日本の法令用語の規則に忠実に従うのか、という問題もあります。

これは、外内の特許翻訳をしていると結構悩む部分で、入れ子構造が複雑になる、あるいは、原文がきちんと入れ子構造を把握せずにandやorを用いている、ということが一定の割合で生じているので、複雑な処理をしないように、"and/or"は「及び/又は」で統一する、という対処法もあり得るかと思います。

これまで何件もの明細書を読んで翻訳してきた身としては、このような場合の対応は、きちんと翻訳会社が方針を示して明文化しておいて欲しい、というのが本音です。


他の例として、ややマニアックな内容ですが、引用されている特許公報の訳し方も挙げておきましょう。


例えば、US2024/123456B1のような表記を、単にコピペ(と全角処理)して訳出すればいいのか、A1やB1の違いに応じて「特許公報」「公開公報」のように訳し分ける必要があるのか、ということです(細かい部分まで、スタイルガイドで指針を示している翻訳会社もあります)。


何も指定がないということは、これも特に、深く考えずにコピペで良い、という考え方なのかもしれませんが、明文化されていないものを翻訳者の判断で対応する、というのは、どうも背中がムズムズしてしまうので、大枠の方針だけでも良いので、間に入っている翻訳会社がきちんと示して欲しい、と思うものです。


なぜスタイルガイドが重要なのか

スタイルガイドが重要な理由は単純で、「様々な翻訳者が好き勝手に訳文を作り、それを翻訳メモリで会社の資産として活用するのは非合理的だから」です。

類似案件、同じ出願人の分割出願案件などで、複数の明細書の多くの部分の記載が似ている、ということは、特許翻訳では多く生じ得ます。また、そのような案件は一括で受任することがあるでしょうし、クライアントによっては数年にわたってそのような仕事のやりとりを続けていくことになるでしょう。

当然、そのような場合に、特定の少人数の翻訳者だけに仕事を依頼することは難しいでしょうから、翻訳メモリを使って、多くの翻訳者に適切に仕事を割り当てて、揺らぎの少ない明細書訳文を作ってもらうことになるのが普通ですし、それこそが、人的レバレッジを活用できる翻訳会社の強みと言えると思います。


しかし、そういう状態なのに、スタイルガイドを用意せずに、個々の翻訳者に統率の取れていない翻訳をさせると、どうなるでしょうか。


翻訳メモリの一致率は高いものの、実際に確認してみると、数字が全角と半角でバラついているメモリ訳文が出現し、特定の用語の表記に漢字とひらがなが混じっているメモリ訳文が出現してしまいます。しかも、スタイルガイドはないので、それらの訳文を参照するとして、最後に、明細書全体を通しての表記の統一をするのは、手を動かしている我々翻訳者です。


そして、そのような「統一された」訳文がメモリとして吸い上げられ、また別の翻訳者に別案件が振られたときには、メモリ内には表記の揺らいだ翻訳文が多く見られ…という、いたちごっこが続いてしまうことになります。


しかも、このような表記揺れは、指針がしっかりと共有されていないと、1つの明細書の中でもゼロに撲滅できない可能性があります。
(なぜなら、翻訳チェッカーも、どのような指定がされているかが判断できないからです)


翻訳会社(翻訳ベンダー)は、出願人と個々の翻訳者を橋渡しするポジションにいるわけですから、それに資する仕事ををきちんとしてもらいたいな、と改めて思いました。



………と、ここまで書いても、海外で英語を使って仕事をしている翻訳ベンダーには伝わらないんだろうなあ。笑

いいなと思ったら応援しよう!