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【往復書簡:ひびをおくる】柳沼雄太002

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ある夜の明かり

 降りるつもりもない駅で降りてしまった。残業の後、電車の座席に体を預けると、いつの間にか眠りに落ちていた。最寄りの駅を過ぎたことはなぜか分かった。そう思った瞬間、この駅に降り立っていた。

 上りの電車までは、相当な時間があった。澱んだ眼差しで、改札を抜けた街並みに目を遣った。街灯だけが朧げに浮かぶ風景にたぐり寄せられるように、改札を抜けて街へ出た。

 ホームから見えた街灯はかなり遠くにあるようだった。しばらくは真っ暗な道が続く。新緑がひしめき合う時分ではあるが、ゆるゆると吹きつける風は生温かった。そして、海が近いのであろう、その風には幾ばくかの水分を含んでいるようだった。

 彼女の涙を思い浮かべた。あの日の彼女の言葉には、涙が滲んでいるように感じられた。震えていた言葉。消えた明かり。遠ざかる足音。そのどれもが幾度も頭の中を巡っていた。見えていなかった彼女の涙がそこにはあった。

 何度も考えた。あの日の彼女の行動の理由と自分の行動の理由を。彼女の言葉を繰り返し、彼女の行動を想像してみた。しかし、その想像は見えていなかった彼女の姿を曖昧にするばかりで、求める答えは出てこなかった。悔しさと不甲斐なさが募るたびに、彼女の涙だけが存在感を増してゆくだけだった。

 目を上げると、曲がった道の先に光があることに気が付いた。曲がり角を駆けると、車通りのある道に出た。おそらく地元の商店街なのだろう。シャッターは閉まっているが、クリーニング屋、八百屋、定食屋などが軒を連ねていることが分かった。

 向かいの車線から無数のヘッドライトに照らされて、一台の軽トラックが信号待ちをしていた。強い逆光の中で一瞬だけ形が曖昧になった。自転車が風を切って傍らを通り過ぎる。水たまりを避けて膨らんだ自転車に、クラクションが鳴らされた。突然現れた光と音の世界に、居心地の悪さを感じ、一本暗い路地へと入る。ここにいるべきではないことは何となく分かっていた。

 路地へ入ると喧騒は消え、ひっそりとした住宅地が広がっていた。所々ついている明かりは、閉店間際の居酒屋だろう。そのうちの一軒から出てきた男女が、タクシーに乗り込んで走り去っていった。後部座席の二人は笑顔のようで、その笑顔は鮮明に脳裏に残った。

 もしかすると、過度に期待していたのかもしれないと思った。彼女のほころんだ笑顔を思って不安になった。この不安こそがひとりよがりであるならば、他に思うことはあったはずだった。

 ふと道が開けて、二叉路へ出た。選択肢を選び取るには勇気が必要だった。今まで何を選択することができたのであろうか。誕生日の花束か。いや、そうではなくもっと単純なことだ。見えることだけが必要なことではない。

 目の前に佇む建物の扉に手をかけた。扉を開けることができたならば。そう思って扉を引いてみたが、鍵がかかっている。もう一度引いてみても、金属が擦れる無機質な音が響くばかりで、扉が開く気配はなかった。

 我に返ったように、辿って来た道を早足で引き返した。ひとつの街灯が消えかかっているのが見えた。来る時にはこの街灯はあっただろうか、思い出せなかった。街灯が消えかかる時に低く鈍い音が響いていた。まるで蜂の羽音のようだった。蜂が舞い飛ぶ広大な花畑は、昨年までの酷暑を思わせた。今年はどのような夏が巡ってくるのだろうか。夜の静寂に包まれる見知らぬ街で、まだ来ぬ夏を想像した。夜はまだ更けたままだった。

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鳥野みるめ様

 こんにちは。七夕以降もどんよりとした天気が続きますね。澄み切った青空が懐かしく感じられる毎日です。爽やかなレモンの便箋が、きらきらと光っているようで晴れやかな気持ちになりました。

 先日紹介した本、取り寄せができないのは残念ですが、東京を訪れる際には本屋さんを巡って探してみてください。すぐ手にできる便利さはもちろん大事ですが、不自由さを楽しむ余裕が僕にも出てきたかもしれません。目的のものだけではなく、目に入るすべてを楽しむ気持ち。みるめさんの「自分を豊かにしてくれるかもしれないモノ」という言葉は、まさにすべてを言い当てている気がして、とても大きくうなずいてしまいました。100%なんて信じられないけれど、70%だったら、80%だったら信じられるという期待が、僕らの原動力なのかもしれません。

 離れた街の「夜」。東京での夜の時間に、鎌倉の「夜」を想いました。一人で散歩をしたり、本を読んだり、日記を書いたりすると、夜がますます夜らしく感じられると思います。本来の「夜」とは、そういうものなのかもしれませんね。

 東京の夜は、さまざまな光が煌々と光っていて、街の眠りと向き合う時間があまりないように感じます。そんな時は長雨の音を聞きながら、本を読んだり、日記を書いたりして過ごしています。案外、同じ時間の過ごし方をしているのかもしれません。

 今回の小説は、雨の音を聞きながら、そしてみるめさんの写真から届く光を見つめて書いた小説です。日が暮れた街でじっくりと読んでみてください。

 生まれた街を知ってもらいたいという気持ちを、とても新鮮な気持ちで受け取りました。僕はこの街に慣れてしまって、通り過ぎる電車の音や、にぎやかなスーパーの音楽も、日常の一部の風景になっていました。でもこれがきっと僕の今の日常かもしれないと思います。相変わらず日常は慌ただしく過ぎていっています。

 最近はLOSTAGEが心地良いです。大学時代から好きなバンドですが、最近また一層好きになりました。今度紹介させてください。

 夏は楽しみなことが増えますね。音楽イベントも、海を感じながらBAR BANKで飲むお酒も。BAR BANK、一度は行ってみたいです。いつか気軽に遊びに行けることを心待ちに。

2020.07.21

                         書肆 海と夕焼
                           柳沼雄太

追伸 プレイリスト、作ってお知らせしますね。

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 みるめさんから届いた写真は、夜の街並みを写し出していました。存在するある街の風景を写していましたが、風景の中のひとつひとつは淡い幻想を思わせるものでした。

 そのような風景を歩く主人公が何を思うのか。考えた跡が見える小説であれば良いと思います。

 届いた手紙からみるめさんの生活を思ったり、自分の生活を思ったりすること。ふと気づくささやかな言葉に僕は生かされているのかもしれません。

2020.07.25 柳沼雄太

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