書肆 海と夕焼 / 柳沼雄太 (文芸評論家)

日本/海外文学・ZINE/YouTube ジユウカッタツ (wマルジナリア書店)/文芸…

書肆 海と夕焼 / 柳沼雄太 (文芸評論家)

日本/海外文学・ZINE/YouTube ジユウカッタツ (wマルジナリア書店)/文芸誌入門 Produced (w双子のライオン堂)/Podcast 小説研究読書会 (w機械書房)/田畑書店『アンソロジスト』書評掲載/読書会ファシリテーター/著書『水痕』『ひびをおくる』

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    【能登支援チャリティ販売】【サイン入り】さびていしょうるの喃語 / 多宇加世

    本出品は売上の一部を珠洲市の災害義援金(珠洲市で被災された方々に配分)に寄付いたします。(10月31日まで実施)珠洲市https://www.city.suzu.lg.jp/site/bousaisuzu/11594.html--------------------------------------------------【サイン入り】さびていしょうるの喃語 / 多宇加世2021年7月10日 初版発行私とあなたと、他者。それらの輪郭をなぞるように、明確な意志を持った言葉が流れる。言葉が流れる速度は変幻自在に変容し、いつの間にか喃語となって読者の元へ届けられる。--------------------発売日:2021/07/10判型:A6判頁数:320p--------------------
    ¥1,320
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    【能登支援チャリティ販売】【サイン入り】フルトラッキング・プリンセサイザ / 池谷和浩 (書肆侃侃房)

    本出品は売上の一部を珠洲市の災害義援金(珠洲市で被災された方々に配分)に寄付いたします。(10月31日まで実施)珠洲市https://www.city.suzu.lg.jp/site/bousaisuzu/11594.html--------------------------------------------------【サイン入り】フルトラッキング・プリンセサイザ / 池谷和浩 (書肆侃侃房)2024年5月23日 第1刷発行うつヰの一日を丹念に追うように、読者は“読む”。それは誰に“読まされている”物語なのだろうか。バスタオルで体を拭くことを忘れないことをメモしておくアプリケーションは何が良いのだろうか。ユーキューは「有給」なのか「有休」なのかを考えながら、うつヰは「プリンセサイザ」にログインし、京王線沿線の各駅に配置された王女たちと交流する。構造的に配置された事象は、それぞれが絡まり合いながら、“小説そのもの”を駆動させる。それらを“小説そのもの”と呼んでいるのは誰だろうか。「フルトラッキング・プリンセサイザ」が生み出すナラティブは、読者の想像を超えた場所で、“小説”を定義し得ると思う。表題作のほか、「メンブレン・プロンプタ」、「チェンジインボイス」を収録。--------------------版元:書肆侃侃房発売日:2024/05判型:四六判、上製頁数:224pISBN:978-4-86385-627-1--------------------
    ¥1,980
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    【能登支援チャリティ販売】【サイン入り】さびていしょうるの喃語 / 多宇加世

    本出品は売上の一部を珠洲市の災害義援金(珠洲市で被災された方々に配分)に寄付いたします。(10月31日まで実施)珠洲市https://www.city.suzu.lg.jp/site/bousaisuzu/11594.html--------------------------------------------------【サイン入り】さびていしょうるの喃語 / 多宇加世2021年7月10日 初版発行私とあなたと、他者。それらの輪郭をなぞるように、明確な意志を持った言葉が流れる。言葉が流れる速度は変幻自在に変容し、いつの間にか喃語となって読者の元へ届けられる。--------------------発売日:2021/07/10判型:A6判頁数:320p--------------------
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    【能登支援チャリティ販売】【サイン入り】フルトラッキング・プリンセサイザ / 池谷和浩 (書肆侃侃房)

    本出品は売上の一部を珠洲市の災害義援金(珠洲市で被災された方々に配分)に寄付いたします。(10月31日まで実施)珠洲市https://www.city.suzu.lg.jp/site/bousaisuzu/11594.html--------------------------------------------------【サイン入り】フルトラッキング・プリンセサイザ / 池谷和浩 (書肆侃侃房)2024年5月23日 第1刷発行うつヰの一日を丹念に追うように、読者は“読む”。それは誰に“読まされている”物語なのだろうか。バスタオルで体を拭くことを忘れないことをメモしておくアプリケーションは何が良いのだろうか。ユーキューは「有給」なのか「有休」なのかを考えながら、うつヰは「プリンセサイザ」にログインし、京王線沿線の各駅に配置された王女たちと交流する。構造的に配置された事象は、それぞれが絡まり合いながら、“小説そのもの”を駆動させる。それらを“小説そのもの”と呼んでいるのは誰だろうか。「フルトラッキング・プリンセサイザ」が生み出すナラティブは、読者の想像を超えた場所で、“小説”を定義し得ると思う。表題作のほか、「メンブレン・プロンプタ」、「チェンジインボイス」を収録。--------------------版元:書肆侃侃房発売日:2024/05判型:四六判、上製頁数:224pISBN:978-4-86385-627-1--------------------
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    【能登支援チャリティ販売】【サイン入り】踊る幽霊 / オルタナ旧市街 (柏書房)

    本出品は売上の一部を珠洲市の災害義援金(珠洲市で被災された方々に配分)に寄付いたします。(10月31日まで実施)珠洲市https://www.city.suzu.lg.jp/site/bousaisuzu/11594.html--------------------------------------------------【サイン入り】踊る幽霊 / オルタナ旧市街 (柏書房)2024年7月10日 第一刷発行私は街に憧れて東京へ出てきた。若い自分にとっては大きな憧れであった。それから10年以上が経つが、街はさらに不可解なものとなった。自らの生活に流入する都市の光景に、今でもたじろいだままでいるのかもしれない。オルタナ旧市街の視線は、憧れを平熱に変える。街は憧れでなく、「生活の断片」であるかのように。だからこそ、“街が此処にあること”をオルタナ旧市街は書き続ける。それが誰しもの生活であることをささやかに残してゆくために。(書肆 海と夕焼 柳沼雄太)以下、版元HPより抜粋。--------------------何度でも覚え直せばいいし、何度でも忘れていい。街をめぐる断片的な随筆21篇を収録。作家の小山田浩子も推薦、待望のデビュー作。【内容】巣鴨で踊る老婆、銀座の魔法のステッキ男、流通センターのゆで太郎から始まる妄想、横浜中華街での怪異、不穏な水戸出張……街をめぐる断片的な21篇。わたしたちは瑣末なことから日々忘れて暮らしている。忘れないと暮らしていけないとも思う。わたしとあなたの断片をみっともなく増やしていこう。何度でも覚え直せばいいし、何度でも忘れていい。インディーズシーンで注目を集める謎多き匿名作家・オルタナ旧市街が、空想と現実を行き来しながら編み出した待望のデビュー・エッセイ集。“誰の記憶にも残らなければ、書き残されることもない。それはそれで自然なのかもしれないけれど、身の回りに起こったことの、より瑣末なほうを選び取って記録しておく行為は、未来に対するちょっとしたプレゼントのようなものだと思う。”(表題作「踊る幽霊」より)誰にでも思いあたる(いや、もしかしたらそれはあなたのものだったのかもしれない)この記憶のスクラップ帳は、書かれるべき特異な出来事も起きなければ、特殊な事情を抱えた個人でもない「凡庸」な人々にこそ開かれている。【目次】踊る幽霊[巣鴨]されども廻る[品川]反芻とダイアローグ[水戸]スクラップ・スプリング[御茶ノ水]午前8時のまぼろし[駒込]老犬とケーキ[東陽町]タチヒの女[立川]麺がゆでられる永遠[流通センター]アフターサービス[横浜]大観覧車の夜に[お台場]ウィンドウショッピングにはうってつけの[五反田]おひとりさま探偵クラブ[銀座]白昼夢のぱらいそ[箱根]聖餐[吉祥寺]愛はどこへもいかない[小岩]猫の額でサーカス[浅草]がらんどう[南千住]さよなら地下迷宮[馬喰町](not) lost in translation[渋谷]見えざる眼[秋葉原]テールランプの複製[八重洲]--------------------版元:柏書房発売日:2024/06/24判型:四六判頁数:168pISBN:9784760155668--------------------
    ¥1,650
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町屋良平『生きる演技』 (河出書房新社) 試論 vol.000 序説 「場」のペルソナ

 町屋良平氏が2024年3月に河出書房新社より刊行した『生きる演技』は、「小説という形式=フィクション」の構図を問い直すと同時に、現実における「フィクション」が「場」に根差すものであることを、提示している小説であると読むことができる。さらに、本論で述べる「場」は、多層的な性質を孕み、あたかも「ペルソナ」の如く小説内に登場する。  本論では、『生きる演技』が包括する「フィクション」と「場」という言葉を切り口として、微に入り細を穿つ読み込みによって語ってゆく試みをしてみたい。

    • [日記]2021年3月27日(土)

       目を覚ましてシャワーを浴びる行為によって、どうにか目を覚まそうとする行為は、日常という行為が程よく循環し円環を描くように思えてから、毎日の日課としている。遅刻が発生することのないように、思索を繰り返すことなく身体に纏わりついた水を拭き取った後に、駆け足で玄関を出ると、記憶は不思議と別の土地へ飛んでいることがある。  今日の一日の正式なはじまりを吉祥寺に設定して、私は私の記憶を組み替える試みに耽る。「吉祥寺ZINEフェスティバル」の会場である吉祥寺PARCOに着いて、我々

      • [日記]2021年3月26日(金)

         明日に控えた「吉祥寺ZINEフェスティバル」の準備をするために、仕事を早く終えると暁闇かと見間違うほどの暗闇に、窓の外が沈んでいる。巡ることのない闇が刻々と迫る窓辺には、揺れないカーテンがただ其処に掛けられている。窓の外に何もないのであれば、私が見ている暗闇は本当の暗闇なのだろうか。部屋の電気を消してみても暗闇は其処にあり続け、感じる時間の流れを反故にするかのような揺蕩いに思わず身を任せそうになる。  茹でていたパスタが噴き零れる音で人心地がつき、台所へ駆け寄る足音を自分

        • [日記]2021年3月25日(木)

           息継ぎの記憶は殆どないことを自覚する。飛び込み台から水中へ潜り、顔を水面から半分ほど浮かべるまでの数秒間、呼気は水泡となって水中へ姿を現す。身体の側面に沿って足先へ流れてゆき、水面へ辿り着く頃には、その姿を消している。一度水面へ浮上した私は、空気を求めるために軽く口を開けて、幾つかの水飛沫とともに、必要な空気を過不足なく体内へ吸収し、再び水面の少し下へと身を潜める。潜航する船のように、その時ばかりは水面の水飛沫を避けているのかもしれない。体内へ取り込んだ空気は、数秒を数える

        町屋良平『生きる演技』 (河出書房新社) 試論 vol.000 序説 「場」のペルソナ

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          [日記]2021年3月24日(水)

           残滓は暮れ残るばかりのように、後ろへと伸びてゆく。通勤する電車の中で本を拡げて文字を手繰ってゆくと、敷かれたレールの上を逆向きに走るように、思考が伸びてゆくのが分かる。以前読み進めた言葉の記憶を辿るように思い出されることは、唯々事物の断片がプリズムのように色彩豊かに移ろいゆくことを私自身の中で肯定しているように思える。  普段より早く会社に着くと、誰もいない空間がより鮮やかに見えて、鳴る電話の音も日常を振り払うように空気を振動させている。  昼休みには神保町を逍遥して『

          [日記]2021年3月23日(火)

           実行すべきことが蓄積されてゆき、理路整然とした論理を構築できない時ほど、重みは伸し掛かるように躙り寄ってくる。漸近線は限りなく近づくが決して交わることはなく、二点が最も離れる場所を最終地点として選択する。目を閉じて浮かべるのは、x軸とy軸を自由闊達に動き回る点であり、せせこましく動く日々の移ろいなのかもしれない。  友人の文章が掲載されている『&Premium 2021年04月号』(マガジンハウス)を購入し、ベッドにて読み耽る。言葉の持つ力を信じてはいるが、自らにとって言

          [日記]2021年3月22日(月)

           手繰り直すように言葉を渇望する真夜中があり、根源が不明な記憶を甦らせて客体としようとする。『腦病院へまゐります。』(若合春侑著 文春文庫)が幾許かの歳月を超えて、二度目に手元に届いた時に、不確かな記憶を省みることを試みる。邂逅は大学の時分であったか、所謂“情痴文学”の文脈から辿り着いたように思うも、捉え処のない問いばかりが増えてゆくのみである。右往左往する記憶に阻まれながらも、開いた頁には旧仮名遣いの文章が連なり、目を覆いたくなるような光景が文字で立ち上がる。この感触、或い

          眠れずに本を読みながら、どの新刊を発注するかを考える明け方。明け方が夕方だったらと茫と考えたりもする。

          眠れずに本を読みながら、どの新刊を発注するかを考える明け方。明け方が夕方だったらと茫と考えたりもする。

          [日記]2021年3月21日(日)

           進みゆくにつれて見えなくなることがあるとしたら、それは過去の出来事ではないかと思う。いずれ忘れられる過去が轍となって道程を描けば、標となって墓標へと続く。不意に訪れる事象を残すようにと思いつつも、幻となって立ち消えるのみか。  吉祥寺と西荻窪を彷徨うように行きつ戻りつする。赴いた書店で本を購う度に、背負う重みが増えてゆく。背負うことを課しているのか、重みを増やすことが目的であるのか、将又テクストの蒙昧さに身を任せるのみか、目的地は遥か見えなくとも、充足のために行為をせざる

          [日記]2021年3月20日(土)

           これから語る出来事は、瑣末ではない事柄に上塗りされた事項かもしれないし、単なる虚構の産物でもあるかもしれない。しかし確固たることは、此処に綴られた事項は有り得べき轍を仔細に描写するような奮励であり、いつかは薄れゆく風景を筆でなぞるような行為そのものである。それほどまでに曖昧模糊な《私》を語る《私》は、何処にいるかは分からないが、記憶という甘美な響きに寄り掛かることのない言葉に、《私》は《私》を託すのみであり、浮かび上がる言葉を理解し、流れざる歴史に視線を滑らせる。  相変

          [催し]2021/9/4(土)ブックリメイク製本教室と2021/9/25(土)読書会について

           暑くなったり涼しくなったり、考えることが多すぎる夏の時分を、皆様いかがお過ごしでしょうか。  今回は、9月4日(土)に行う製本教室と9月25日(土)に開催する読書会のふたつの催しについて、補足の説明を本記事に記載いたします。  9月4日(土)に行う製本教室、9月25日(土)に開催する読書会は、コンセプチュアルに、かつ相互にかかわり合うように試みたいと思っています。  まずは、9月4日(土)に行う製本教室についてです。 今までは皆さんめいめいの思い入れのある本をお持ちい

          [催し]2021/9/4(土)ブックリメイク製本教室と2021/9/25(土)読書会について

          [日記]2021年3月19日(金)

           在宅勤務を終えようとした時に友人から一本の電話が入り、LOSTAGEの配信ライブだったことを思い出す。急いた腕で会社用のパソコンを片付け、Macを立ち上げブラウザを開くと、幾度も聴いた曲が耳に届く。幾度も繰り返し網膜と鼓膜に焼き付いた映像と音像が、捉えられるように俄に立ち上がってくる。しかし、それは慣れ親しんだ曲ではなく、今ただこの瞬間に空気を震わせている音像であると感じる。  先月に新木場で観た肉薄するようなライブではなく、自分がこの部屋にいるからこそ聴くことができる音

          [日記]2021年3月18日(木)

           有り得べき箇所に有り得べき事項がない感覚は、何処か寝相に似ている。身体が収まるべき箇所に収まらない抜殻を埋めるかのように、身体は独自の動きを繰り返してベッドの上を無闇矢鱈に這いずり回る朝は、眦を決して重力に逆らう必要がある。  生身の身体に着飾る服装には客観的な視点から社会的意義が与えられることに付随して、生身の身体は何ら関することなく歩みを進めるだけでも、大きな意味を持ってしまう。踏み締める硬いアスファルトの上を歩くことに何らかの意味を求められている気がして、背に重みを

          [日記]2021年3月17日(水)

           昨日就寝前に消化を始めたカップヌードルが、起床後もまだ胃の中で溶け切らず塒のように渦巻いている。重たく感じられる身体をベッドから引き剥がし、血流を足先に流そうとする前に訪れる眠気に脳天を取巻く薄曇りの空を思い浮かべる。今週も水曜まで経過した事実をどう咀嚼しようか思案してる間に、指はSNSの坩堝を掻き分けるようにぬるぬると画面の上を滑っている。微睡みつつも何かの情報に縋り付きたいと願っているのだろうか。客観的に見えているようで、自己はこの部屋にしか存在しておらず、坩堝に進み入

          [日記]2021年3月16日(火)

           自宅に篭って仕事をしていると、視野の狭窄に気付くことがある。自らが認識している視界の狭間で生じている事象に時差を、或いは歪みを感じる。時には風の音さえも遅れて鼓膜へ届くかのようで、時間は今日も追い越されて過ぎ去るようである。  仕事終わりに本屋に駆け込もうと試みるも、時間に拘束され行くことが叶わない。不貞腐れたようにカップヌードルを食べ、ベッドに倒れ込み疲労を癒す振りをしている。傍らの『青天有月』(松浦寿輝著 思潮社)は栞が挟まれたまま、枕元に鎮座しており、伸ばしかける手

          [日記]2021年3月15日(月)

           コンビニのイートインに座りながら、新刊の情報を手繰っていて『日常的実践のポイエティーク』(ミシェル・ド・セルトー著 ちくま学芸文庫)が刊行されていることを認識する。  何某かに支配されつつも、生き長らえてゆくしかない閉塞感に纏わりつかれて文章に縋ることを始めた。それぞれが持つ彎曲、婉曲せざるを得ない諸々の断片が散らばる都市を、無防備なままで彷徨するには余りにも危険で猥雑な轍を強要されるかもしれない。そうであるのならば、持ち得る意識にレトリックを尽くし、想像と現実とを接続し