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最初に「それ」をやった人

考えたことありませんか?

ノーベル発明賞とか大それた類の話ではありません。この記事は、誰かの手によって創られ、現代においても脈々と受け継がれている日常のとある食べ物をキッカケに徒然に想いを認めようとおもいます。

「焼きおにぎり」を、先程食べました。

冷静に考えると炊けたご飯を食べるだけで充分なんです。おにぎりは察するに持ち運びに便利な携帯用のご飯として生まれたと推測します。いや、やっぱり気になるので調べてみましょう。

日本最古のおにぎりは「弥生時代」にあった
弥生時代にまで遡るおにぎりの歴史。


おにぎりは昔から携帯や保存の利便性に加え、神への祈りやお供え物、さらには厄払いの目的でも使用されていたと考えられています。

例えば石川県の旧鹿西町(現中能登町)で発見された炭化したチマキ状の米塊は、おにぎりの原型とされています。

当時のおにぎりは、もち米を蒸して固め、焼いたものであり、この発見は、おにぎりが日本人の食文化に深く根ざしていることを示しています。

https://www.mainichigrillbu.com/column/1493

弥生時代! しかもやはり携帯用だったことに密かな笑みを浮かべながら、なんとお供え物や、厄除けにも使われている。確かに、お仏壇の中にはおにぎり風に盛ったお供え物を現代でも見ることがあります。

その上で、今日食べた「焼きおにぎり」は凄い発明では無いでしょうか。進化の過程なら2段階、ご飯→①おにぎり→②焼きおにぎり→(さらに焼きおにぎりにお吸い物をかけて食べる)みたいな料理も食べたことがあります。


さて、前置きはこのくらいにして本題に移ります。世の中には、今や当たり前になっているけど、冷静に考えると最初に挑戦したこと自体が素晴らしいことがたくさんあります。

先人の絶え間ない苦労が、などと一般論をかたるつもりはありません。

先の「焼きおにぎり」だと、お供え物、厄除け、こういう意味合いがあるものだとしたら、それを火にかけて表面をパリパリに焦がして、醤油を塗って香ばしく仕上げ、食する。こんな、大胆発想をやってのけた人がいるわけです。いい意味でかなりクレイジーじゃないと生まれてない食べ物だと思います。

これまた、誰がつくったのか気になったので調べてみたら、やはりかなりクレイジーな手法から生まれていました。

焼きおにぎりの歴史

焼きおにぎりが生まれたきっかけには、有名な歴史上の人物が関わっていたと言われています。

新潟県の郷土料理に、「けんさん焼き」というものがあります。ごはんに甘味噌を塗って焼いた焼きおにぎりですが、この焼きおにぎりのルーツを辿ると、戦国武将・上杉謙信が、戦の際に、冷めて固くなったおにぎりを剣の先に刺して焼いて食べたのが始まりであると言われています。けんさん焼きのほか、けんしん焼き、けんさ焼き、けんさし焼きなどとも呼ばれているようです。

鎌倉時代~戦国時代ごろから、武士たちは戦の際に手早く栄養補給できるよう、「陣中食」と呼ばれる携行食を持って戦へ向かっていました。
そのなかでもおにぎりは持ち歩きやすく、手で食べられるという利便性からも重宝されていたようです。

焼きおにぎりは、時間が経って固くなってしまったおにぎりを、おいしくいただくためのアイデアから生まれたのですね。

https://www.tsunagi-japan.co.jp/blog/yada_colum035/?srsltid=AfmBOoo-NDBGtQKu4oVFLk7SujF7XJ9p1f-JVcw07in8SSKb1OKlSTAT

まさかの上杉謙信が焼きおにぎりをつくってました(すでにご存知だった方、無知を披露してすいません)。ただ、おにぎりを剣で刺して炙る。これ、絶対に彼の性格が出てますよね。会ったことのない上杉謙信さん、あなたの大胆さ、僕は大好きです。


既成概念や、一般常識と、こうした後世に名を残す人物、そして「発明品」は紙一重だと思います。

この僕の記事でも述べたように、新しいことを生み出そうとするときに気になるのは「やってはいけないかもしれないこと(※犯罪は除く)」、や「やったときに人からどう思われるかという周囲の目」。

これは、心を無にすると思い切れてしまうことではないでしょうか。僕は何か新しいことにチャレンジする時に想像することがあります。それは、無人島で自分1人でもそれをやらないか、です。これは生きていくためにどんな工夫でもしてサバイブする上で、なりふり構ってられない時に、強く強く背中を押してくれます。


「初めてそれをやった人」。それは大なり小なり、そういう場面や、心境、より工夫すればもっとそれが良くなるという気持ちに純粋に行動できる人なんだろうなぁと思います。
上杉謙信は「冷たいおにぎりは嫌だ」このシンプルな理由でおにぎりに剣を突き刺したかもしれませんが、それをやってなければ僕は今夜美味しい焼きおにぎりを食べれてなかったかもしれません。

そう考えると僕らの周りには、大発明なんかじゃなくても「未来のスタンダード」が山のように溢れているにちがいありません。

そんなことを考えるキッカケをくれた、前職の同僚の方に感謝します。そして、ご馳走様でした。