全て自分の内側にある、とは
自分の身に起こることは自動操縦だから...
1番外側だと思っている肉体ですら自分の意思以外でどうにかなってしまうこともある。
例えば。老化、疾患、など。
私たちの意識は↑のようにただ自然に起こってることを観察することができる。
つまり意識は肉体を超えて私たちの1番外側にあると言えると思う。
ということはイコール、肉体含めた私自身すべてがなにをせずとも私たちの内側にあるということ。観察できる対象だということ。
ただ観察するというのは、肉体に関しては様々な五感を自然現象として観察すればいい。
ex)景色が見えるなー、鳥の鳴き声が聞こえるなー、草の匂いがするなー、苦味を感じるなー、座っているおしりの感覚がゴツゴツするなー、痛いなー、かゆいなー、ムズムズするなー、など。
思考に関しては
ex)あ今不安が出てきたなー、悲しい気持ちになってきたなー、あの人腹立つって浮かんできたなー、など。
ただそれだけ、だから良いとか悪いとかじゃなくただそこにあるもの(景色のようなもの)として見るだけである。
そして思考を意識が観察できるということは、起こった出来事への意味付けも内側で起こっている(=すべて内側にある)といえる。
起こった出来事を「楽しくない」と思うのも「楽しい」と思うのも自分。
「楽しくない」と思ったならなぜそう思ったのかの答えがあるのも自分の中(思考のくせ、過去のトラウマなど)だけだ。
私は瞑想がとても苦手だったが、ただ目の前の景色を見るように自分の身に起こることを観察すればいいと聞いてから、少しできるようになってきた。
これが癖づくと自分の中にある感情を、良い悪いでなく、ただ「あー○○だー」と感じるだけで終わることができるので、行動が振り回されずに済むようになってくる。
内側に全てがあるということに気づくことは、とんでもないライフハックだと思う。