【エッセイ】夏の日に小説を書いていた
10年ほど前の夏、腕にタオルを巻いて小説を書いていた。
まだパソコンを持っていなかった私の執筆道具は、ノートと鉛筆だった。扇風機を回したとしても、夏の涼を感じることはできないほどの暑さ。まだエアコンが無かった部屋では、扇風機と部屋に入り込む風で暑さをしのぐしかなかった。
保冷剤を握って過ごす日もあった。眠る前に握っていた保冷剤は、朝になるとぬるくなっていて、なんとか眠って夜を過ごせたことに安堵した記憶がある。
当然そんな部屋の中にいれば、じんわりと汗が滲んでくる。書きかけのノートに向かいながら鉛筆を握って小説を書いていた夏の日のこと。汗ばんだ腕がノートに張り付いて濡れてしまう。ノートに汗が染み込むとふにゃりと曲がる。
腕がノートの上を滑らなくなってしまうので、執筆スピードが少し落ちてしまう。頭に浮かんだ言葉を忘れないように次々書いていかなければならなかったので、ノートに小説を書くのはスピード勝負だった。汗の滲んだ体がネックになっているのは当然で、しかし、それで小説を書く手を止めたくはなかった。
だから、腕にタオルを巻くことにしたのだ。
手首から肘に掛けて、タオルを綺麗に巻いて行く。平らに巻かないとぼこぼことして、書いている時に気になって集中力が続かなくなってしまう。
タオルを巻くのも簡単ではないのだ。執筆の妨げにならないように丁寧に巻くことが大切だった。肘辺りが太くなりすぎると文字を書くときに気になってしまうし、強く巻きすぎると動かしづらくなってしまう。
何度か巻きなおして、ようやくタオルが腕に馴染むように巻くことが出来た。汗でノートに張り付くことは無くなり、タオルを巻いてから夏の執筆が快適になった事は確かだった。
あれから部屋にエアコンがついて、自分のパソコンを持つようになってからは、腕にタオルを巻くことは無くなったけれど、夏になるといつもあの時のことを思い出す。
あのころが一番、夏を感じながら小説を書いていた気がする。
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