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皆もすなる退職エントリといふものを


我もしてみむとてするなり。

こんにちは。たにぐち(@tani_maru9)です。

タイトルの通り退職エントリです。先日、新卒から3年ちょっとお世話になった会社を退職し、転職しました。

まぁ自分語りみたいなnoteになるのですが、色々考えての決断だったので、考えてたことをまとめたいなーと思ったのでおいておきます。

簡単に言うと、退職した理由は、「自分が担当していたもろもろがある種一区切りついて、新しい挑戦をするいい機会だと思ったから」で、あえて言わない理由もまぁ色々ありますが、まぁ個人的に繋がりがある人は酒でも誘ってください。


どうして入社したか

ぼくは新卒の就活も就活らしい就活をせずに終えています。というのも、大学卒業後は大学院に進学して研究を続けていたのですが、研究を続けることよりも、より自分の目の前の人が喜んでいる姿を見たいという気持ちが強くなって中退を決めました。

(理学系の研究だったので、自分の研究の結果、喜んでる人の姿を観れるのっていつになるんだろう…になりました。)

当時、通常の新卒就活の時期も終わっており、むしろ中退予定の自分を受け入れてくれる企業ってあるんだろうか…なんて思いながら活動していたところ、某スカウトサービスで連絡をもらっていた今の会社で面談をしてそのまま気がついたら入社していました。

実際、ものづくりをしてみたい、企画みたいなことをやりたいし、それをディレクションしてみたい、みたいな話をしていたので、そういったことにチャレンジさせてもらえそうだな、(実際にたくさんの経験をさせてもらいました)と考えたおぼろげな記憶…

選考のスピード感や面談・面接で出会った皆さんの雰囲気が良かったり、とにかく「なんか面白いことができそう」というワクワク感がすごくあったのを今でも覚えています。


何をやっていたのか

入社してすぐは、既存のパッケージとしては対応できない案件(カスタマイズが必要な案件やら新規事業の種になりそうな案件)のディレクションをやっていました。

働くということもよくわかってないのに、研修らしいものもなく、入社してすぐに、上司に全部についてまわっていましたね笑
(入社2日目に、とある企業の商談に同席したのはいい思い出です(行きの電車の中で名刺交換の仕方を調べてた))

ただ、カスタマイズを進める過程で、ある案件で実装したものを他に転用するしくみがなかったり、標準機能にまでアップグレードしていかなかったりすることに気づいて、プロダクトとしての価値を高められてないんじゃないか、自分たちがやっているこれは、「受託」としてお客さんにほしいと言われたものを作っているだけなんじゃないか?と疑問をもち、プロダクトの改善、新機能の企画みたいなことに挑戦したくなりました。

実際、上司や関係者各位が当時1年目とかのぼくが言い出したことで、機能アップデート周りに関わらせてくれました。感謝…

UXやらデザインやらを勉強したのがこの時期ですね、多分。

自社のプロダクトのあり方とか、発信の仕方とか、足りないものがどんどん見えてきてやってみたいけど力が足りないし…という状況に陥ってたような。

それから、なんだかんだあって、新規プロダクト(既存プロダクトのアップデート版ローンチ)のプロジェクトの進行を任せてもらいました。終わった今振り返ると、本当にこいつのお陰で楽しかったなという気持ちでいっぱいです。

管理画面デザインのリニューアルから、機能面のUX改善、チュートリアル実装、ビジネスモデル構築、ローンチ後の運用Ops構築など…プロダクトのグロースに必要なこと全般やらせてもらいました。
考えること多すぎるし、やろうとおもえばやれることは無限に出てくる中で、今あるリソースでできること、ということにつねに悩まされてた気がします。

開発のこともプロダクトのことも全然わかってないのに、こうしたい、を実現させてくれた開発メンバー含め大感謝…

ロータッチ・テックタッチなCS、SLGというよりはPLG(Product Led Growth)を目指してプロダクトづくりをしていましたが、やっぱりむずかしいな~と。ここを書き出したら止まらなくなりそうなので割愛。

まぁ社内の他プロダクトは、ハイタッチであり、SLGなプロダクトな環境だったのでなかなか理解を得ることも難しかったなというのが所感。楽しかったけどね。プロダクトに日の目を見せてやれなかったのは悔しいし、ぼくの力不足なんだ…


んで

まぁそれだけ楽しくて、色々と経験させてもらえてる環境にいながらなんで退職を決意したのかというと、先にも書きましたが、一段落ついたからです。

担当していたプロダクトが自分の手元から離れることになりました。もともと、プロダクトが自分の手元から離れることになったときがタイミングかなと考えていたというのもあったのですが、結構急な展開になってしまったのでめちゃくちゃ考えました。

今の会社で、プロダクトを変えても携わり続けるかということも考えたし、本当にすごく悩みました。が、「転職」という経験もしてみてもいいかもなと思ったので決意しました。20代のうちに転職は経験しておきたかったしね。

入社した当時はプロダクトのことなんて何も考えてなくて、とりあえず自社プロダクトを作ってるところ!っておもっていた程度だったのが、実際に仕事をして、どういうプロダクトに関わりたいのかとかが少し明確になった、というのもありますかね。
プラスを増やしていくプロダクトより、マイナスを0に戻しプラスに変えていく、そんなことをやってみたいなと思い始めてた、というのもあったりなかったり。

振り返ってみると、楽しかったこともしんどかったことも色々あったなぁという気持ちなんですが、口からふと出る言葉は「楽しかった」なので、総合してプラマイプラスで良かったなぁと。

振り返ると、ぼくが入社した3年前からかなり会社の組織もプロダクトもすごく変わったなぁ…(遠い目)としみじみします(何目線?)。僕が入社した当時は、…おっと誰か来たようだ。


これから

これからも、また、SaaS系のプロダクトづくりに携わっていく予定です。色々とやっているうちに、ふんわりとした課題よりも、目の前にある手触り感のある課題の解決から考えてみたいなと思ったので、ドメインは少し変わりますが…..

「あのとき○○さんどうしてたっけかな〜」って思うことがすでに多々あるので、ぼくの社会人としての基盤は、そこにある。

懲りずに、隙があればPLGとかも挑戦したいと思っています。ぼくは「プロダクトのちから」を信じてるので。

また落ち着いたら、note更新をちょこちょこしていきたいという気持ちだけはあるので、不定期で気が向いたら書きます。


余談

プロジェクトをやってるときは本当に苦しくて、悩んで、放り投げてしまいたいって思うこともすごく多かったんですけど、停止の話を聞いて涙が止まらなくなったり、実際になくなってみると、1週間くらい何も手につかなくなって、喪失感がすごかったり、本当に大好きだったんだなって実感しましたね、、
会社もチームのみんなも、プロダクトも大好きだったな。しみじみ。なんだかんだで「大好き」で終われたのは幸せだなーーーと。

何より、一緒にプロダクト作りを模索し続けた沖縄の開発メンバーと結局直接顔を合わせられなかったのだけが心残りになっています。そうだ、沖縄にいこう。

最終出社日の全体会でちょっと喋った時に、全く泣くつもりなんかなかったのに言葉に詰まってしまったのは、やっぱりそれだけいろんなものがあったんやなぁと。

いろいろあって、仕事観とかに向き合ったりする時間がふえて、自分が仕事好きなんだなってあらためて思ったし、だからこそ、自分がやりたいと思えること、実現したいと思えること、挑戦してみたいなと思うことをやってないとだめだなぁって。

ぼくは仕事を「(生きるためだけの)仕事」として割り切るのがとてつもなく下手なので。起きてる時間の半分以上を費やすものだからやっぱり大事にしたいんだ。ぼくはね。


たにぐち

p.s. ここまで読んでいるかどうかわからない前職の皆さんへ。
たにぐちは酒は飲んでも飲まれるなをいい加減学ぼうと思います。

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