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「学校(での)教育」を考える。
今回は以前投稿した記事(「高校専任教員を辞めて非常勤講師になりました 2」)に関連する内容です。
※2024年3月、「専任教員」として務めていた高校を退職し、同校で「非常勤講師」として再スタートを切りました。大きな理由の一つとして、以前から、子ども達が自分らしく学べる場を創りたい、という気持ちがあったからです。
「教育」という言葉は実はとても抽象的ですが、「学校に通う」ということをまずイメージしますよね。
小学1年生の娘も、学校は「当然通うもの」と捉えて、眠くても嫌なことがあっても学校に行きます。
日本国憲法第26条には、国民には教育を受ける権利があること、そして保護者の義務として普通教育を受けさせることが明記されています。※以下引用
「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」
これらを具体化した法律が教育基本法や学校教育法です。
「教育は学校で」という図式は憲法や法律で定められており、教育の機会均等を担保する役割を担っているといえます。
理念としてはそうなのですが、実際の学校現場の様相はというと・・・。
① 学校、教員、児童生徒は「○○教育」に追われています。
「ICT教育」「食育」「主権者教育」「キャリア教育」「国際理解教育」などなど。
一つひとつを眺めていると、確かにすべて重要そうではあります。
だからこそ?増えはすれども減りはしない。
かつ「それ、やめない?」を言い出しづらい風土が、学校にはあります。
すべて「教育活動」と銘打ってある以上、好き勝手に断捨離できません。
しかし、どの分野も本来なら高い専門性を必要としますので、「たまたま担任になった学年・クラスだから」とか、「今年度から校務分掌が割り振られたから」というレベルで様々な「○○教育」を同時並行的にこなそうとするのは、いわゆる「無茶ぶり」・「無理難題」なのです。
教育効果を確かめる(可視化する)目的でよく用いられる「PDCAサイクル」の考え方ですが、現場はとにかく様々な「DO」の大合唱です。学級経営、生徒指導、授業実践、探究学習、保護者対応、部活動指導、教育相談などが日々、同時進行です。
これに加えて、さまざまな「○○教育」。。。
先生も生徒も、忙しすぎる毎日を過ごしています。
② 学校は教育機関であると同時に保育機関にもなりつつあります。
朝早くから開門し、夕方(もはや夜?)まで学校は開いています。
共働きかつ核家族世帯が増えている現代社会において、多くの子ども達は家庭にいるより学校と関わっている時間の方が長いかもしれません。
そうなってくると、一日の出来事のほとんどを学校が把握していることになります。日本の学校には、たくさんの細かいルールがありますので、子どもたちはそのルールの中で毎日長い時間を過ごしています。
この状況は、先生にとっても生徒にとっても、非常に窮屈です。
極論かもしれませんが、先生にとっては、生徒が遅く来て、早く帰れば、自分のペースで出勤して、授業の教材研究や教員間の意思疎通の時間を増やすことができます(ここらへんが最も後回しになりやすい)。生徒にとっては、最低限のカリキュラムだけこなして帰ることが出来れば、自由な時間を手にすることができます。
※この「自由時間」が大人にとって不安だからこそ、部活動やクラブ活動などで、学校に関与させておこう、という考えになるのだと思いますが・・・。
①・②を学校の現状として見てきましたが、結論として、日本は学校での教育活動の負担を減らす局面にきていると感じます。
「○○教育」も放課後の子ども達の時間も、地域や社会全体で担う風潮を作っていくべきです。
メリットとしては、以下のことが考えられます。
・学校の負担を減らすだけでなく、学校全体の風通しがよくなる。
→地域に開かれた学校、教育の一端を担う地域、が増えていけば、たくさんの目で子どもたちを見る事が出来ます。
・教員が抱える業務量が減る。
→「ブラック業種」のレッテルが無くなり教員不足解消につながる⁈
・パラレルキャリアが増える⁈
→何かの職に就きながら、自身の専門性を学校現場で活かせる場面が増えるかもしれません。
デメリットや不安材料として考えられる事は、
・学校外での教育活動に関する責任の所在はどこにあるのか不明瞭。
→教育=学校 という観念を手放さないとこの点は解消されません。
・授業以外の生徒のようすが見えにくい。
→部活動や探究活動の時間にこそ、「その子らしさ」が輝く事が多々あります。
・学校外の存在に依存しすぎると教育の機会均等が達成されない可能性がある。
→学校や地域の状況は多様です。
以上のように、現状と対策(提言)、それに関するメリット/デメリットの双方をまとめてみました。
学校の内側にいた人間だからこそ、現状を把握した上で、学校外だからこそできる事、を模索していきたいと思います。
→次回の記事「学びの場の多元化に向けて」もぜひご覧ください。