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カフェで見つける小さな幸せ〜心の鎧を外す場所〜

自分の家にはない、おしりが吸い込まれてしまいそうなソファに腰掛ける。
可愛いメニューを開けば、色とりどりのケーキに次々に目移りしては、紅茶が合うかな、コーヒーが合うかなと悩む。

今日は、私が好きなもののひとつ、カフェで過ごす時間について話そうと思う。

カフェを好きになったきっかけ

私がカフェに行ってみたいなと思うようになったのは、高校生のときだった。
部活のマネージャーをしていた私は、同期にも1つ下の後輩にも同じ立場の人がおらず、どこか孤独を感じることが多かった。

マネージャーは走るわけでもなく、目に見えたつらさはないように思うかもしれないが、プレイヤーにはない苦労がある。

このことを全く関係のない人には言えたかもしれない。でも、つらい走り込みをしている人たちに話すのは、少し罪悪感があったのだ。何より、分かってもらえないという諦めが私の中にずっとあったのだと思う。

頑張っても誰にも分かってもらえない感覚は、少しずつ自分の中で重なっていき、澱が溜まっていく。誰かに話す以外の発散方法として、自分の中の候補に挙がったのは、誰にも邪魔されない自分のためだけの時間を過ごすことだった。

高校生から、携帯を持つようになって、可愛いカフェやグルメを調べられるようになった頃。カフェにでも行ってみようかなと思った、私の目に留まったお店があった。

音楽家の名前を冠する、そのお店は「カフェ モーツァルト」。学校帰りにも寄れるアクセスの良さもあり、私のカフェデビューはここに決まったのだ。

今から10年以上も前のことだが、静かな店内やあまり慣れない一人での行動に、少しそわそわしたのを覚えている。
可愛くて落ち着ける店内には、モーツァルトの旋律が流れていて。頑張らなきゃという、無駄に凝り固まった自分の心を解きほぐしてくれるような場所だった。

カフェと同じモーツァルトの名前を持つ、濃厚なチョコレートケーキにも感動し、カフェラテのおいしさにまた一段階自分の心の強張りが解けていくのが分かった。

今の私のカフェタイム

それから、高校、大学の間は特に、よくカフェに行っていた。独自のブレンドティーを作るお店やタルトがおいしいお店。ブラウニーが忘れられないお店。さまざまなお店に出会った。

もちろん、もうなくなってしまったお店もある。
それでもおいしいものと出会えたり、このソースって何を使ってるんだろうと、今の料理好きにつながるきっかけになったりした記憶は、まだまだ健在。

社会人になってからも、ちょっと疲れたなってときに、立ち寄れるお店ができたときはとても嬉しかった。私の知らないコーヒー・紅茶の楽しみ方や、可愛い食器との出会いもまた何気ない日々に彩を与えてくれる。

今まで愛してきたお店も、これから出会う新たなお店も。いったいどんな出会いと自分の時間を楽しめるだろうかと、期待をする。

だから私は、カフェで過ごす時間が好きなのだ。

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