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夏子Kakoの庭 15 庭と借景
わたしには大切に育てているベランダのプランターが自分の庭だと思っている。「フラワーショップはな」の佐伯華子さんから、いろいろと花や植物の育て方について教えてもらっている。最近では自分でも花や植物のハンドブックもみつけては読むようになった。ジキタリスを種から育ててみることで、日々のほんの少しの成長の変化や、実をつけて花が咲いて種となって、その繰り返す時間の悠久の流れも、また自分の中の時間の流れとは違った自然の雄大さも感じることができる。「きつねの手袋」という呼び方も花の命名と親しく呼ばれる愛称との関係も馴染んできた。
会社では月々の月末締めが最も忙しく、また年度締めや中間期の決算時期など区切り区切りでアクセントがある。会社のお昼ご飯は、社員食堂で購入して食べることもできるし、また自分の席で持ってきたお弁当を広げることもできる。社員食堂の入り口にはいつも鉢植えの花や、時たま花瓶に花を生けて飾ってある。誰が飾っているのか気にも留めていなかった。今度からわたしが月2回担当することになった。会社の総務課の課長さんからわたしたち経理課の課長に話があったそうだ。
「西原さん、ちょっと来てくれないか」
穏やかな声で言われたので、会計課の仲間も安心してこちらの様子を伺っている。
「西原君、熱い濃いお茶を入れてくれないか。よろしく頼むよ」
いつか、ずっと前に経理課の同期で、同期だが二つ年上の岸さんが登場した時と同じセリフだった。すぐにそのことに気づいた人もいて、ほくそ笑んでいる。わたしはドキドキしたが、あの時の岸さんの格好良さは忘れていない。思い出しながら演技をするように課長席に向かった。
「かしこまりました。少々お待ちください」
「西原君、私の分と、君の分ももってきなさい。ここの相談テーブルでちょっと頼みごとがあるんだ」
会計課の人たちと、隣の総務課や、営業庶務課の人たちも聞き耳を立てていた。皆が仕事をしている中で、課長席と部長席のとなりにちょっとした打ち合わせテーブルがある。仕事をしていた人もこちらを気にしているのが分かる。
「課長、粗茶でございます。お召し上がりください」
粗茶はおかしいと分かっているが、本当に社員用のそれぞれが休憩の時に飲むお茶は粗茶なので仕方がない、ということも以前に陰では話題になっていた。堂々とあの時の岸さんのように言い切ってしまえばいいのだ、と覚えていたセリフをなぞった。岸さんもニコニコ笑っている。わたしは岸さんのようにパリコレの舞台を歩き切るように颯爽とはできなかったが、それなりに演じてみる余裕はできたつもりだ。
「ありがとう、今日はお茶の一服を兼ねてだ、実はお願い事があるんだ。この打ち合わせテーブルで話そう」と加山課長はわたしに言った。
「この間の会社の勤続30周年記念の表彰式と会食の席で、式典では花を用意してもらうんだが、今回は駅前の花屋さんにお願いしたところ西原さんのことが話題になった、と総務課長が言ってたんだ」
わたしは話のつながりに少し顔がほてってしまった。「フラワーショップはな」の店長や佐伯さんが会社の式典の花を用意してくれたんだと、事のつながりと今の状況がつかめた。
「花屋の店長が、西原君のことをすごくほめていて、種から丁寧に育てたり、ほんとうに花や植物が好きだっていうことが話題になったそうだ。そこで、総務課長からもぜひお願いしてほしいと、食堂の入り口の花の当番を引き受けてほしいんだ。細かい段取りは、また総務から直接連絡があるそうだ。どうだ、よろしく頼むよ」
「ありがとうございます。わたしで勤まりますでしょうか。毎月となると自信がありません」
「まずは1回ごと、小さなことからコツコツと、だ。いつもは秘書課の仕事だったが会計課から選ばれたエースだぞ」
フロアの仕事をしているあちこちで笑いが起こった。知らない人はピンとこないけれど、西川きよしの『小さなことからコツコツと』はキーホルダーのおしゃべり人形でも有名で、あのフレーズが関西の底抜けに明るい笑いにも通じている。わたしも吉本新喜劇の底抜けに明るい舞台は好きで、よくテレビで見る。わたしの父も「ヨーロッパにはフィガロの結婚とか、華やかな舞台があるだろ。日本の吉本新喜劇と一緒なんだ。ドタバタ劇で人生の何でもない生活の中の悲哀が込められている」がワンパターンのセリフを聞かされて育った。それもあって余計におかしい。
仕事中なので笑ってはいけないという雰囲気が余計に笑いを誘って、抑えられない人もいる。あのおとなしそうな後輩も、普段はやり手でクールと評判の営業担当の人も、二、三人がむせていて、それもフロアの笑いの余韻につながった。課長は持って生まれた周りを明るくする天才だ、と改めて思った。
来月の当番から、わたしが食堂の入り口の花を担当する。お母さんも家で話題にしたら喜んでくれた。佐伯さんも応援してくれると言ってくれた。わたしはわたしなりに、チャンスをくれた食堂の一角の空間を、当たり前に飾る風景の一部として、ベランダのプランターの庭から遠くに続く山々の借景のように、空気のような存在だがわたしの小さな表現する場所として一所懸命に取り組もうと思った。