yukiomiyazaki

上田アンサンブル・オーケストラ団長。vioia🎻つれづれnote✍️ よろしくお願いします🙇

yukiomiyazaki

上田アンサンブル・オーケストラ団長。vioia🎻つれづれnote✍️ よろしくお願いします🙇

最近の記事

  • 固定された記事

柴崎友香 『続きと始まり』 集英社

 今日1日の出来事は、そのほとんどが記憶から時間とともに薄れ通り過ぎていく。ましてや、今朝通勤途中ですれ違った車を運転していた女性が何を考えていたかなどは思いもよらない。そんな一人ひとりの生活に流れていく時間や、家族、職場など私たちの周りにいる人たちの物語である。  2020年3月から2022年2月までの出来事で構成され、2011年の3.11震災の記憶や忍び寄るコロナ禍に翻弄されつつも日常生活をおくる3人を中心に描かれる。  大阪に生まれ滋賀で暮らす2人の子育て中でパートタ

    • 生活雑記🌟法律

      なんか堅苦しく始まりましたが身近なところの話題です。 市役所の市民課は住民票や印鑑証明を発行したりと何かとお世話になる窓口ですが、こんな光景を目にしました。夕方閉庁間際に駆け込んできた方が、時間がぎりぎりすぎて間に合わず、取り合ってくれないという場面でした。紳士的に文句を言っていますが、決まりは決まりと受け付けができず窓口の方も少々困惑の表情。 一事が万事「お役所仕事」と揶揄される場面になってしまうか「やんごとなく次に繋ぐか」の境目で、どちらがいいとか悪いとか、ひな形の解

      • 音楽談義🌟バッハ

        音楽室にベートーベンやバッハの肖像ポスターが貼ってある。歴史的に音楽の父だとが音楽の母だとか巨匠だとかキーワードがどんどんインプットされてくる。作曲家本人のイメージに近い顔の表情なのであろう。 音楽の源流をたどるとバッハに辿り着くのだろうが、どうも自分の中でどのように曲や作曲家としての人間バッハに向き合えばいいのかと、ふと考え込んでしまった。 西洋音楽、邦楽、アジアやアフリカの音楽。 ボーダレスの音楽が行きかう今、自分の好みにフィットするものにどのように辿り着くことがで

        • ことば&音楽

          三浦しをん『舟を編む』は本屋大賞でも有名で映画のDVDは何回も見ている。何かのタイミングで見たくなる周期があるようで、半年や一年にふと訪れてくる。辞書という「舟」を編集編纂する「編む」というタイトル。「舟」がなんとも味わいのある漢字で、小さくて人の手でこぐ小型のふね。 伝えたいのに言葉にできないもどかしさや辛さ、でも簡単に言葉で表現できてしまう人へのうらやましさなど、自分でもモヤモヤしている部分がシーンとして再現されて、イメージの拠り所ができたことが何回も見たくなるつながり

        • 固定された記事

        柴崎友香 『続きと始まり』 集英社

          とあるオケの不文律

          小学校の校内合唱の練習で「お前下手だから歌うな」と先生から言われた経験があると聞いたことがある。そこのフレーズは口パクでいいと言われたそうだ。イヤだった小学校の思い出として語られた。それ以来音楽が嫌いになったというから何気ない一言や対応がとにかくとても罪深い。 合唱指導や指揮の指導に自信がない先生が安易にしそうなことだ。下手だと笑う。歌うなと言われる。とにかく合唱の仕上がりもさることながら、先生自身が恥ずかしくないようにつくろって発表会に向かいたい的外れな一所懸命さの一場面

          とあるオケの不文律

          アジアゾウ「フー子」

          動物園。子どもを連れて日長を過ごす楽しい思い出の代表選手。サル山ではたくさんの個性的な中から何となく自分に似たしぐさの一匹を見つけるのが楽しい。上野動物園もパンダを見に行ったこともあるし、そういえば群馬サファリパークもあるなと知っている動物園の記憶をたどった。今では自然に近い環境でなるべく動物が過ごすことができるように工夫がされはじめているそうだし、オリではなく水族館と同じように大きなアクリルパネルで手の届くような視界で見ることもできる工夫もされている。 昨日の日曜日、長野

          アジアゾウ「フー子」

          ChatGPTと戯れてみたら...スゴかった!

          そろばんを教えているので専門誌の月間Sunriseを読んでいたら5桁10口の見取り算の作問がでていた。作問を手掛けているプログラミングが専門の珠算の先生のChatGPTでコードを作らせる工夫が掲載されていた。 10桁の数字の頭に0がこない、同じ数字が連続しないなどの条件設定とその優先順位の設定が勘所だという。瞬時の演算はコンピュータはお得意で、また膨大な資料や情報の検索や分類、整理や曖昧さを残す表現などChatGPTのスゴさは聞いていたのでいじってみた。 塾講師も長いので

          ChatGPTと戯れてみたら...スゴかった!

          ゆるゆる経済批評⭐️生き方上手

          ふと気がついた。前々から何となく引っかかっていたのだがようやくうっすらと見えてきた。 世の中にはお金にならないことほど大切なものはないということだ。逆にお金にならないことの方が多くお金になることは人生の一部分という見方が人間らしい知恵である。 世の中を力強く生き抜く清涼剤のように感じている川柳がある。何にでもくっつけるのだ。「それにつけても金のほしさよ」をつける。江戸時代の長屋や井戸端の笑い飛ばして景気づけるような生活の知恵だ。 朝顔や つるべとられて もらい水 それに

          ゆるゆる経済批評⭐️生き方上手

          文学フリマ東京39奇想曲

          文学フリーマーケット東京39が12月1日に開催される。年々人気がでで今回はビッグサイトが会場だが、それでも収容しきれないほどの申し込みがあったそうだ。 日本各地で開催される「文フリ」。今年の東京39は第一期申し込みで1,500ブースが先着順に受け付けられ、それ以降は二次受付で2,400ブースを予定していたそうだ。締め切りが先日8月27日。主催者のまとめでは過去の開催実績からみた予想をはるかに上回る3,000ブース近くの申し込みになった。 今回自分自身が批評誌『第三批評』創

          文学フリマ東京39奇想曲

          近い国、遠い国

          家族や親せき友人知人。日常生活で直接関係のある人がいる場合、肌感覚でその国をとても近くに感じる。また訪ねたことがあったり暮らしたことがあったり実際には行ったことがなくても、情報として見聞きしたことがある場所だと「近い」と感じるのだろう。逆に「遠い」と感じるのは積極的にイヤだと背を向ける要因もあるし、自分には無関心で縁遠いまま考えにも及ばないということも一因になっている。そんなに大上段に構えなくともふとしたきっかけですれ違ったり縁があったりということは日常茶飯の出来事だ。 昔

          近い国、遠い国

          アルバムに刻まれる「瞳」− Ditto の鹿がみている世界

          Ditto MVはミュージックビデオなのでなんとなく歌や曲のイメージを豊かにする洒落た映像かと思ったら、ハンディタイプの一昔前の世代のビデオで撮った断片の記憶や記録のデータがパッチワークのようにつながれてストーリー性のある映画のように編集されている。Dittoのリズムと歌詞に合わせ映画のようなストーリー仕立てだ。短編映画のようだ。それも SideA と SideB に分かれている。韻を踏んだ切ないハスキーボイスのリズムに映像の数々がこちらの記憶の小さな引き出しを開けながら走馬

          アルバムに刻まれる「瞳」− Ditto の鹿がみている世界

          疾風怒濤に駆け抜ける−小説の行間から低周波の批評が聞こえる

          『町屋良平『私の小説』はコロナ禍の2020年以降に時々に著された短編『私の文体』『私の労働』『私の推敲』『私の批評』と新たに書き下ろされた『私の大江』が1冊にまとめられた小説である。2016年『青が破れる』で第53回文藝賞受賞でデビュー以降、2019年『1R1分34秒』で160回芥川賞、2022年『ほんのこども』で第44回野間文芸新人賞、2024年『私の批評』川端康成文学賞、ほか『生きる演技』などの作品群が描かれたが、5編からなる短編集はこれら大作の間隙をうめるような作品群と

          疾風怒濤に駆け抜ける−小説の行間から低周波の批評が聞こえる

          批評とは「その考え方はいいね」

          自分で見聞きして良し悪しを見極める。ほとんどが瞬時の条件反射にちかい。一人ひとり個性があって興味の対象も受け取り方も違うので、その判断も温度差も十人十色で千差万別だ。書籍でも絵画でも音楽でも、自分の目にとまったものはそれを選んだ時点ですでに批評的だ。「それいいね」という動機があるからだ。誰かがその作品を選んで批評する場合も、そのこと自体が既に相当に踏み込んだ批評的行為である。他人の批評に触れてその捉え方をそのまま引き受けるのはたやすい。一方自分で一般化された解釈にまで辿り着く

          批評とは「その考え方はいいね」

          奥底の記憶

          まだ梅雨も明けていないのに朝から暑い。天気予報では熱中症に気をつけましょうといっていた。外だけだと思ったら家の中でも熱中症になるらしい。ジリジリとした日差し。暑くけだるい夏の日はなにか昔にも同じような時間が通りすぎていった記憶を呼びおこす。 今日も光化学スモッグ注意報が発令された。どおりで目がチカチカする。 1970年の夏は、大阪千里の万国博覧会の話題で持ちきりだった。小学4年生の僕は、アメリカ館の「月の石」や三菱未来館、桜の花をモチーフにした日本館など、提供された話題に

          町屋良平 『私の批評』 をたどる

          次の一文が印象的だった。 「ことば」とは何だろう。動物や鳥など怒鳴りあっているように聞こえてもそれが音やリズムの意思疎通であればそれはそれなのだろう。動物と人の違いは「火、道具、ことば」とは云うが、かえって「ことば」で表現できればできるほど相手とのすれ違いや齟齬が生れてしまうこともある。猫のように甘えて擦り寄って来るときもあれば猫自身のペースで涼しい顔を見せることもあるほうがかえって周りの方が気をつかうのでスムースな関係性を保てるのかもしれない。とにかく母親にこんなことを言

          町屋良平 『私の批評』 をたどる

          NewJeans〝にゅじ〟おじさんの独り言

          Ditto MVはミュージックビデオなのでなんとなく歌や曲のイメージを豊かにする洒落た映像かと思ったら、ストーリー性のあるハンディタイプのビデオで撮った断片の記憶や記録のデータがパッチワークのようにつながれて編集されている。Dittoのリズムと歌詞に合わせ映画のようなストーリー仕立てだ。短編映画のようだ。それも SideA と SideB に分かれている。韻を踏んだ切ないハスキーボイスのリズムに映像の数々がこちらの記憶の小さな引き出しを開けながら走馬灯のように流れていく。

          NewJeans〝にゅじ〟おじさんの独り言