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ことば&音楽

三浦しをん『舟を編む』は本屋大賞でも有名で映画のDVDは何回も見ている。何かのタイミングで見たくなる周期があるようで、半年や一年にふと訪れてくる。辞書という「舟」を編集編纂する「編む」というタイトル。「舟」がなんとも味わいのある漢字で、小さくて人の手でこぐ小型のふね。

伝えたいのに言葉にできないもどかしさや辛さ、でも簡単に言葉で表現できてしまう人へのうらやましさなど、自分でもモヤモヤしている部分がシーンとして再現されて、イメージの拠り所ができたことが何回も見たくなるつながりになっているのだと思っている。

「ことばで伝えないとわからない」

相手が察してくれるだろうというすれ違い。あの時のタイミングを逃してしまった一言。言葉にしたいのにのどまで出かかっているのに言葉が出てこない焦燥感。

映画のシーンでは、恋焦がれる思いを伝えられなくて辞書編集者の"まじめ"は古風に巻き紙に筆でしたためるが相手には伝わらない。「とにかく今ことばで伝えて」と云う板前の"かぐや"のシーンが印象に残る。

ことばは奥が深い。ことばで伝えることはもっと奥が深い。

とにかく仲のいい赤ちゃん同士のYouTubeを見たことがある。とにかく仲がいい。ことば?を交わしているようだがアブアブ言い合っているようにしか見えないし聞こえない。こんな類いの動画が好きでカラスと小さい男の子のものもあった。まるで絵本の1シーンのようだが、男の子の後をうれしそうに、本当に嬉しそうにピョンピョンとカラスがついてくる。足にまとわりつくようについてくる。そのカラスは他の人には誰にも寄りつかないそうだ。

ことばはいらない世界もあった。

確かに歌や唄は感性や感情を代弁してくれる。その歌詞や曲がたとえワンフレーズであっても拠り所となり大樹となる。ことばのない曲でもその土地や地方や国の拠り所となるフレーズであるとその趣きは支柱となり拠り所となる。

リゲティのヴィオラソナタ。なぜかしら肌感覚に合う曲だ。ハンガリーやルーマニアの民謡がベースで、バイオリンのG線よりも5度低いC線の開放弦の音を讃えたものと作曲意図に記されている。この意図がヴィオラ の音だけで伝わらないと腕前やパフォーマンスが悪いのだが、先日こんなことがあった。

師事しているヴィオラ の先生から来年の発表会の選曲でこの曲を候補としたところ「演奏する上で何が大切だと思う?」「一番に大切なこと」と聞かれた。

音程は確かに取れているが一番大切なものが欠けていると指摘された。

パフォーマンスの表現力と表情である。音や音楽以前のもの。

ただ音を出すのではなく、アナリーゼをしっかりして、何を伝えたいのかが明確にしてあとはリズムとパフォーマンスだよ、と。

終戦後の復興期、勢いのあった頃のビッグバンドのエピソードに、楽器は弾いたり吹けなくでも団員として活躍している人が当たり前にいたという話を聞いたことがある。役者ではないか。

エアギターとかエアトランペット、エアバイオリンである。

第一印象で判断されるので足元の靴はとにかく磨いておけと云うのと同じことか。確かにしかめっ面で譜面にかじりついて演奏しているのを見るよりは、明るい元気な、または曲に相応しいパフォーマンスの方がよっぽど魅力的である。

ことばは大切だが、ことば以上に大切なものがある。

音楽にも、音以上に大切なものがある。