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【創作】芸術家のスズキのクリーム煮

 ぼくは腕まくりをして、スプーンを口に運ぶ。うん、これはなかなかの出来だ。久しぶりに作ったにしては、クリームのとろみもちょうどいいし、スズキの風味もしっかりしている。自己評価は星三つ。カリスマシェフの道は遠いが、家庭の味としては充分合格点だろう。
 今日は妻の帰りが遅い。だから気合いを入れてクリーム煮を作った。「気合い」とは言っても、大げさなものではない。昨日の余りのベイクドポテトと、クリームシチューに、スズキの切り身を放り込んだだけだ。そう、料理とは創造であり、芸術だ。余りものを活かし、新たな一品へと昇華させる。この変化こそが料理の醍醐味なのだ。昨日の敵は明日の友というが、昨日の友は、今日の傑作なのだ。
 鍋の中でホワイトソースがとろりと光り、スズキが堂々と鎮座している。その姿はまるで温泉に浸かる貴族のようだ。いつもは単なるスズキというその呼び名にも、名前を与えたくなる。ポテトたちは温泉の護岸の役割を果たし、クリームが湯気を立てる。「いい湯だな、ハハハン♪」と有名な歌をスズキが歌っている気がする。いや、そんなはずはない。たぶん、腹が減りすぎて幻聴が聞こえているのだ。一口だけのつもりだった味見をもう一度した。うん、やっぱり美味しい。
 その時、リビングの扉ががたんと揺れた。玄関を誰かが開けた音だ。
「ワンワン!」
 犬のチャンプが全身で興奮を表現する。しっぽをぶんぶん振り回しながら、玄関へ猛ダッシュ。「ママが帰ってきたぞー!」とでも言いたげだ。
 ぼくは鍋を見つめる。出迎えに行くべきか、それともこの芸術的クリーム煮を仕上げるべきか……。
「ただいまー」
 けだるげな妻が帰ってきた。ぼくはクリーム煮の横の「カレー」のレトルトに目をやった。きっと疲れて帰ってきた妻にはこの芸術作品の味は分からないのではないのか。昔、サラリーマン時代に食べた昼飯は喉腰や、満腹になるかが重要だった。味は関係ない。妻も同じ状態かもしれないと思うと急にクリーム煮がもったいなく感じる。
「おかえり! ごはんにする?」
 声をかけると「うん-」とか適当な相槌が帰ってきた。犬のチャンプの興奮する鳴き声が玄関の方から離れない。飲んできたのかもしれないと思う。時計を見ると23時で、妻の帰りを待っていたぼくはすっかり腹ペコだった。
 いいんじゃないか、食べてしまっても。でも、これを食べさせたら妻が喜ぶ可能性もある。ぼくは心の中で葛藤しながらスープを一杯、二杯と、レードルから飲んだ。いつの間にかフライパンのスープは干上がり、スズキとじゃがいもが所在無げにその全身をさらしている。まずい。ソースをほぼすべて飲んでしまった。
「ごはんはー? あれっ、良い匂い!」
 玄関近くの私室で着替えを終えた妻がリビングに入ってきた。チャンプが吠えまくっている。やはり飲んできたらしい。
「しー! チャンプ! しー!」
 吠えるチャンプを制して、妻に声をかける。
「夜中だから適当なものしかないんだけど。フィッシュカレーなんてどうかな」
 ぼくはとっさにとっさにメニュー名を脳内で書き換えた。この干上がったクリームは到底クリーム煮と呼べない。ならば、このレトルトを入れてしまおうとひらめいた!
「いいね! でも、そのセーターについてる白いのはなにかな?」
 詰めが甘かった。それからつまみ食いで食べつくしたクリーム煮の話をすると妻は笑った。ぼくはなかなか帰って来なかったからだと弁明すると、先に食べればいいのにと言ったが、あの芸術作品を共有できなかったことを悲しく思った。
 レトルトでアレンジする前のあの味はもう思い出せないのだ。

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