Zガンダムの涙

注意!この記事にはアニメ「機動戦士Zガンダム」の重大なネタバレが記載されています。
古典アニメと言える域の作品で今更感は半端ないですが、念のために注意!


最近、昔大好きだったアニメや映画や漫画などを見返す機会が増えた。と言うか増やしている。
理由は簡単で、今の自分ならば昔とは異なる視点があり見方が出来ると信じているからだ。そしてそれはアタリの感覚であった。
昔とは異なるポイントやキャラクターに視点が行き、それは物語の異なる側面や正道でもそこから細かく奥に入り組む視点の道を見つける事が出来る。
単純に楽しいのである。一粒で二度美味しい的な。


そして「Zガンダム」である。
富野由悠季監督作のガンダムシリーズでも、最も勢力争いが複雑と言われている。
ただ今回そこは別に論じる気は無い。まだ現時点で最後まで見てないし。

私が今回論じる…ではなく単純に話したいのは「フォウ・ムラサメの戦死」。ストレートに哀しみで泣ける話である。
生の感情を惜しみなく発するカミーユでも件の回「永遠のフォウ」までは、あそこまでの哀しみを見せた事は無かった。フォウを抱きしめて慟哭するカミーユのシーンだけでも十分に涙を流せる話だ。

しかし今回全くの不覚で涙を流したのは、その少し後のその回の結びのシーンであるクワトロがシャアとして政治の表舞台に立つ事を決意する、ある意味ではこの作品で最も重要なキーポイントと言えるシーンだ。

亡骸となったフォウを抱えたカミーユはクワトロに、静かにしかし力強く言う
「僕はもうあなたをクワトロ大尉とは呼びませんよ。あなたはシャア・アズナブルに戻らなければならないんです!」
それまで周囲にシャアとバレておりながら、さらに所属する組織エゥーゴの長・ブレックス准将が亡くなって尚、シャアとして政治的な表舞台に立とうとせず一パイロットに徹していた彼が、その言葉を受けて、まるで己の心の内を見せまいと外さなかったサングラスを外し呟くようにカミーユの訴えに応える。
「…そうだな…」
人類を革新へと導く次の世代のニュータイプとして期待を寄せるカミーユを見ているようで、その実どこも見ずに空を睨みつけるようなその眼光は、途轍もなく鋭い。

私はこのシーンでカミーユが語りかけ始めた所から、無意識的に目頭が熱くなり静かに少しだけ涙を流した。
普段物語を見ていて泣く事はほぼ無いし、泣くのであればその前のフォウが死亡した所であろうと、自分でも思いながら、それでも泣いた。

そうしてその回が終わった後、自分でもそれを分析してみた。
やはり何よりもあれほど表舞台に立つ事を拒み続けていたクワトロが、カミーユの万感の籠った力強い言葉によって、ついに物語が静かながらも巨大な音を立てて動き出すその初音を聴いたからだと言うのが、何よりの第一理由。
そしてもう一つは、人が根本の部分から変わる為には、これほどまでの大きな犠牲とその哀しみや怒りが必要なのか、と思ったのがもう一つの理由。

前者に関しては、そこまでに30話以上もの物語を追体験し続けた視聴者だけが抱ける、正にカタルシスが成せる作劇の妙だろう。
後者に関しては、私自身がnoteでも度々言っている「人が根本的に変わる事の余りの難しさ・厳しさ」を私自身が感覚として実感を持っているからだ。

いずれにせよ、Zガンダムの物語としてはやはり最大の見どころであり、単純に見進めただけであっても胸が熱くなり、ジワリと奥歯を噛み締めたくなる様な得も言われぬ感動を味わうのは絶対だ。

他にもロザミアやジェリドの最期、それらで蓄積された激怒と憎悪を力に変えてヤザンを撃墜するカミーユなど、このZガンダムは伝説巨神イデオンのような「虚しさが生み出す熱さ」に満ち、画面の向こう側で人間達が必死に懸命に最期まで意志をもって生き抜く姿が溢れているのだ。
そういう作品に触れれば、見る者だって心が・魂が・存在が勝手に打ち震え動かされるのは、必然なのだと言いたい。



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