生き残れるだろうか?
夜、昼間の活動などにより疲れがピークに達しながら、それでも家事などをしている時にタイトルの言葉をボソッと呟く事が増えて来た。
私はこれまで3度、明確に死の際まで行った。
1度目は記憶すら無い頃の話。
2度目はまるでそこに吸い寄せられるかのように導かれた話。
3度目は自ら命の価値を放棄した話。
全てギリギリまで行き、そしてギリギリでこの世に残った。
我ながら弱いくせにしぶとい存在だと痛感する。いや、実感する。
この半年くらい、3度目からの回復。それも我武者羅矢鱈滅多羅五里霧中な日々のせいか、何か慢性的な疲労を感じている。
身体のケアは怠っていない。食生活も含めて健康そのものだ。なはず。
にも拘らず疲れている。疲れ果てている。
身体の疲労のはずが、まるで生命EN(エネルギー)そのものが底を突く勢いで目減りし続けているような。
自分が今なぜ動けているのか。一体何を源泉にして活動の意欲を湧かせ続けているのか。それに答える事が出来ない現状。
…考えたくない初めての考えが頭をよぎってしまった…
「倒れてしまいたい。かつて願ったように、まるで気絶するように意識を途絶さえてしまいたい。何日でも何週間でも三か月でも。」
気付いてはいたし、理解もしていた。
今の私には懸命に生きたい明確な目標が無い。
習慣付いていた全力疾走のスタイルも、意図してブレーキをかけて来た。そしてそれは6速レッドゾーンスレスレから、4速4000回転付近まで落ちつつある。高回転型4気筒エンジンで市街地をユッタリ流す感じか。
…そう言えばもうバイクに乗っていた感覚も、はるか昔過ぎて思い出せないな…
このタイミングで冬が来るのは全く喜ばしくない話だ。いや、急激な寒さが身体を通して心の熱まで奪いつつあるのだろうか。解る話ではあるが。
せめて6時間の睡眠だけでも取れればよいのだが、私の身体は数年前以来熟睡を嫌い続けている。困ったものだ。
それよりはるか前に一度鬱になった時も、その三か月前から熟睡出来なくなり、にも拘らず意識は完全暴走状態であり当然行動は言わずもがな、だった。
又あの時のように倒れる時が来るのかもしれない。ベッドから起き上がるどころか、寝返りをうつことすらまともに出来なかったあの鬱が来るのかもしれない。
でもそれも解る話だ。無理無茶なんて言葉では一切足りないレベルの数年を過ごして、その反動代償が何も無い、そんな都合の良い話がある訳がない。
私は生き残れるのだろうか。
桜が咲く頃、私はあの桜並木でいつかの桜吹雪を想起しながら、物憂げな想いと共に幸福を堪能出来るのだろうか。