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吃音とポートレート

ぼくは吃音者である。

どもる。

最初の言葉が出るまで時間がかかることが多々あり、今も悩まされている。
言葉を出そうとすると喉にロックがかけられたかのように、出てこない。
沈黙ではない空白に飲み込まれてしまう。

オトナになった今でも。

"シャッターを切る"とは人との対話

なぜ撮るのか?
カメラマンにとっては撮影する機会が訪れるたび、自問自答し、シャッターを切ることによって答え合わせをする。

自在に言葉を操ることを封じられている身としては、シャッターを切ることで言葉以外にも自らを表現できる手段があることが救いであった。

自らの視界をどう捉えているか?
二度とないこの瞬間をどう切り取るか?

撮影とは夢のような時間であり、続きのない儚いものでもある。


インスタグラムで4万人を超えるフォロワー数を誇る大人気のフリーモデルnonuさん。

クールな顔立ちで上品さが漂う清楚な女性。
いま撮りたい服とイメージが一致したから彼女に撮影を依頼した。

今回の撮影に込めた想い

去年彼女を撮影する機会があった。
初対面となると、互いに探り合いになる。
信頼関係を築く前の段階であるから。
予定していた撮影は人混みに飲み込まれて、ぼくのなかにある光に影を落とし込んだ。
流されることなく、彼女と向き合いたい。
その一心で真っ白なスタジオを選んだ。

衣装とは戦闘服

大胆なマーブルプリントが施されたドレスは、窓から差し出すブラインドを表現している。

ぼくの撮影はまず衣装選びが最優先。
一にも二にも衣装なのである。
7年前に偶然出会ったブランドがmame kurogouchiであり、mameのために撮影しているといっても過言ではない。
ブランドの初期のコンセプトが”現代社会における女性の戦闘服”
ぼくにmameを教えてくれた女性は、まさに戦闘服そのものを身に纏っていた。
感銘を受けて、シャッターを切るたび勇気づけられている。

話すことは伝える手段の一つに過ぎない

気持ちを伝えるには言語化をしないといけない。
話すことは声を出すということ。
言いたいタイミングで言いたい言葉が出せないのならば、作品として表現すればいい。

空白に飲み込まれていった言葉は、作品の中に残せる。
どこにも辿り着けなかった想いがあったから。
いつだって言葉には思いを馳せていたから。

作品を一枚残すたび、救われた気持ちになる。

ポートレートとは

相手との距離感を表すものであると撮影を通じて学んだ。

”この人だから曝け出せるものがある”

それは同じモデルでも他人が撮ったものと自ら撮ったものを比較することで理解できる。

相手を理解し、自らが曝け出したいものを追求していく。
そこに本当の自分が見つけられたなら、作品となる。

自分のなかにあるもの

何者でもない立場だから撮影を断られることも多々ある。

”一般の方はお受けできません”

撮影をはじめてから一番よく言われたセリフ。

誰かが決めた一般の方とそうでない者たち。

自分の居場所を見つけるため、ときには戦わないといけない。

ぼくにとって撮影とは戦いでもあるのだ。

学生時代”将来の心配よりも今日どもる心配”をしてきた少年はオトナになり、趣味でカメラを始めて7年後に商業誌に作品が掲載されることになった。

吃音症から逃げ出さずに耐えて、何度どもっても会話に挑戦して、やりたいことと向き合っていけば報われることもある。

何者でもない立場からの出発地点は誰でも同じ。

挑戦する機会を与えてくれるモデルには「ありがとう」以上の気持ちを言語化できないから、作品を通じて恩返しがしたい。

優れた作品を残すことも偉大だけれど、挑戦する機会を与えてくれることはそれ以上に偉大なこと。

ぼくはポートレートから自分の中にある”まっすぐ”を見つけた。









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