フィレンツェ中心地のお家とビステッカランチ
Candlelight コンサート
世界180都市以上で開催。何百万のキャンドルの炎に囲まれた舞台で演奏、演技するコンサートinフィレンツェ素敵🕯️🕯️🕯️🕯️🕯️
仲良し友人夫婦(現在シチリア在住。以前は仕事仲間であり、プライベートでも仲良くしていた。実は私達が彼らのキューピートなの)友人レディーの方は、バレリーナ&バレーの先生をしていて(シチリア出身。フィレンツェでのキャンドルコンサートに生徒さん方と出演の為)とメンズ(トスカーナ出身夫君の親友。)と1歳の女の子のお子様、マラムットワンコ一緒に)フィレンツェにビジネス、里帰りで訪れたので、フィレンツェ中心地で久々の再会。まずは、フィレンツェ中心歴史地区に彼らが借りたお家拝見!古代ローマ時代から“花の女神フローラの街”として繁栄してきたフィレンツェの街は、1982年世界遺産登録。彼らのアパートは、シニョリーア広場(全体が無料の屋根のない青空美術館。ミケランジェロのダヴィデ像の複製やネプチューンの噴水がある。)から1本細い道に入った所に位置。ポンテベッキオ、ウフィツ美術館、ヴェッキオ宮殿、イノシシ像、ドゥオモ、共和国広場...もすぐそば。アクセスが良い。ルネッサンス時代からの建築物が今でも立ち並び、住宅について景観保全の為、建物の色や赤煉瓦屋根の建築条例があり、街の建物は統一していて美しい。レンタルアパートは、キッチン付きで自炊可能。(ミニスーパーも所々あるし、パン屋さん、お菓子屋さん、お惣菜屋さん、中央市場)自炊しなくてもレストランも多いし。とドゥオーモのすぐ横のジョットの鐘で目覚め「ここで暮らているかの様に過ごせ、滞在中は毎日ドゥオモを眺められて、街中散歩出来る」とあって、家族で街中滞在を楽しんでいる様だ。(友人実家は郊外)陽気が暖かくなったせいか、ストリートバンドやパントマイム、手品...などもしていて賑やか。以前はフィレンツェ在住だった彼らにとって、フィレンツェ歴史地区は格別で、常に魅力あふれるエリアである。
まずは🍷で乾杯
アブルッツォのワインでオススメ🍷
アブルッツォはイタリア中南部。東はアドリア海、西にアペニン山脈(最高峰のグラン・サッソ(コルノ・グランデは2,912m、それに続くマイエッラ(モンテ・アマーロ2,793mという名峰が連なる。そのため、内陸の山岳地帯は昼夜の寒暖差も高く、比較的冷涼な気候でアブルッツォ州はブドウ栽培に適した土地であり、努力しなくても良いブドウが栽培)と海と山に挟まれており、西はラツィオ州、南はモリーゼ州、北はマルケ州に接している。ワイン造りの歴史は古く、古代ローマよりも早く、エトルリア人によって既にワイン造りが行われていたという説。続く帝政ローマの時代には国中にその品質が認められ、詩人オウィディウスによってこの地の肥沃と、産するワインの豊饒さがうたわれた。
ルカマロー二最高得点
Luca Maroni 99点(2017年)
Luca Maroni 99点(2018年)
金賞受賞の高品質!
トップキュベDon Antonioに至っては、2022年度のベストワイン38本のうちの1本に選ばれた。
アマランタ・モンテプルチアーノ・ダブルッツォ( テヌータ・ウリッセ生産 )DOC
100% モンテプルチャーノ(モンテプルチャーノは、イタリア中部〜南部にかけて栽培されている黒ブドウで、DOPやDOCGに認定されたもの)
生産者Tenuta Ulisse
アルコール14,0%
テヌータ・ウリッセは2006年設立。ウリッセ家の兄弟、AntonioとLuigiによって運営。
ブドウの果実は完熟を過ぎ、やや過熟頃に入念にチェックし、収穫。その後ステンレスタンクで15~20日間果皮や種も一緒に漬け込み、24~26℃を保ちながら発酵。圧搾後、9~12カ月間フレンチオークとアメリカンオークの上質なバリックの樽で熟成。
クレッキオ地域のようなテロワールの並外れた性質を裏付け。構造的で複雑だが、同時に説得力があり、滑らかです。。とても深みのある上品なルビーレッドの色。香りは幅広く複雑で、フルーティー。ドライプラム、、ドライフラワースパイス、リコリス、マラスカ・チェリー、ドライプラム、タバコの香りを含み、スパイシーな余韻を伴う。口に含むとバランスが取れたタンニンがアルコール成分とよくよく溶け込みボリュームがあり、口あたりがなめらか。複雑で芳醇な風味。しっかりとしたボディで、アルコールの強さと生々しいタンニンのバランスが良く、長い余韻が続くエレガントな赤ワイン。トマトやラグーソースのパスタ、セミハード、熟成、ハーブ入りチーズ、肉料理全般、特に赤身肉のロースト、ジビエに合う。
起源はメディチ家が、聖ロレンツォの日(8月10日。ラウエンティラス。スペイン人。ローマ教皇の執事。教会の財務管理。貧しい人々の施シンプル担当。メディチ家にも何人かロレンツォという名前の方がいる。聖ロレンツォは、火炙りの刑に処されたから?)のお祝に火を焚き、大きな塊肉を焼き、庶民に振舞われていた。フィレンツェ在住のイギリス人がビフテキと呼び、それをイタリア語のビステッカと呼ぶ様になった。