私の羅針盤
最近、私の「羅針盤」が狂っている。
これまでの19年間で、少しづつ作られてきた、私の人生の羅針盤が、狂ってきている。
修理時かもしれない。
人生の羅針盤というものは、おそらく誰にでも、胸の奥深くに内蔵されているものではないだろうか。
ある人は、羅針盤がいくつもあるかもしれない。
ある人は、一度も狂ったことのない羅針盤を持っているかもしれない。
ある人は、本当に本当に綺麗な羅針盤を、生涯大切にしていたかもしれない。
私の羅針盤の針は、ぶれてばかりだ。
友達に「雪は芯があるね」
母に「凛とした考えができるところが好きだよ」
そういうふうに評価してもらったことがある。
だけど、私はそんな風には思えなかった。
いつも、自分のことを心から信じてあげられた日はなかったし、どうやったらぶれない針を手に入れられるのか、悩んでも何かをしてもわからなかった。
特に最近は、針のぶれが顕著で、昨日の方向を向いたかと思えば、もう明後日の方向を向いている。
今まで気が付かないうちに心のよりどころとしていたものが、あいまいになってしまったり、大切に思えなくなったりした。
私が信じてきた価値観や、好きだったものが、少しずつ変化している。
そんな予兆を感じている。
でも、これはきっと、良い「故障」だ。
この機会に、私の羅針盤と丁寧に時間をかけて向き合ってみようと思う。
もしかしたら、形も機能もまったく違う羅針盤を一から作ることになるかもしれない。
少しの修理で済むかもしれない。
たくさん装飾をつけることになるかもしれない。
他人の羅針盤をうらやむこともあるかもしれない。
どんな羅針盤を作っていくかは、私だけのお楽しみ。
誰にも知られなくていいし、誰にも文句は言わせない。
私が作る、世界に一つだけの、私の羅針盤だ。
きっと私の羅針盤の針はこれからもブレブレで、たくさん故障すると思う。
でも、だからこそ愛着がわく。
そして、「書く」ことが、私の羅針盤づくりを本当の意味で救ってくれる。
ありがとう、私の羅針盤。
今まで頑張ってくれて。
よし、今から修理を始めるよ。
(かちっ)
ねじを外す音。
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