希望の唄が溢れた夜に
もうどうでもよかった、何もかも。
ただただくたばっていただけの夏はもう、少しの残り香を残しつつ、秋へと移ろいていた
ここ最近は何もかもうまくいかなくて、自分のせいだとわかっていてもやるせなくて
最低な日々が続いていた
おまけに自分じゃコントロールの効かない毎月の憂鬱まで付いてきた
私という容器は空っぽで、無力で、無能で
辛かった、漠然と死にたい夜が続いた
そんな時、kaoが京都に来ると知った
9月23日、祝日。京都GROWLY
チケットを予約して迎えた今日。
夜はライブに行くっていうのに、一日中狭い部屋で遮光カーテンに包まれながら寝ていた
世の中が、こんばんはという時間帯に、ようやく目を覚まして重いからだを起こしても、外に出る気分になれなかった
けど、kaoの音楽が私を救ってくれる、という確信だけがあって、それだけをツテにどうにか外に出た
市バスに揺られて、いつもの狭くて薄暗い箱に着いた。
重い扉を開けると、kaoのリハーサルが始まっていた
ともさんのギターを弾く姿を見て、わたしは、人間としての感覚を取り戻した感じがした
心底楽しいと思ったのは、笑みが溢れたのは、久しぶりだった
kaoの音楽はつま先から頭のてっぺんまで貫いて、身体を揺らして、私を私にさせた
pray songにまた、救われた
kaoの熱に心が満たされて、月並みな言葉で表現すると、元気がでた
こういう夜があるから、生きている気がする
ぎりぎりで飛び出した私は、ほぼ部屋着のような格好で、人に見せられるような姿じゃないのに、救われたと伝えたくて、終わったあと、ボーカルのともさんに話しかけた
人と対峙すると、特に尊敬する人と話すとなると、どうしてもうまく言葉が出なくて、伝えたいことはたくさんあるし、頭の中では全部クリアなはずなのに、本人を目の前にすると話せない
ただ、ともさんは人の痛みがわかる人で、優しい人だと知っていたから、拙い言葉も頷きながら聞いてくれた
最低な日々もどうしようもないようなやるせない日々も、kaoの音楽に救われてる
それでも進む日常に、背を向けず、前を向いていこうと思う
どうしても無理な時は、また救って欲しい
わたしの街に来てくれてありがとう
わたしももう少し生きて、またkaoという最高のロックバンドに会いにいきます
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