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三文小説 King Gnu 【2020/11/14追記】書かずにはいられないものに出会ってしまいました。考察

こんなに感情の入れ物があふれてしまう芸術作品に出会ってしまったのは、それはそれでしんどい。

今、やらないといけない仕事は山のようにあるのに、ただでさえ少ない脳内メモリが容量いっぱい使われてしまって、これはなんしか出力しないとと思って、わーっと書いていきます。

音楽なんてちょっとかじっただけだから、許してください。

なにかの音楽の終わりから始まる。ギターのサウンドとティンパニのロール音かな?「千両役者」の終わりだったりするのかな。

自分の人生なんてさ、他人から見りゃくだらない「三文小説」でしかないんだよね。

それでも、その物語を生きている本人にとっては、大作ドラマなんだよ。

その物語の終わり、一つひとつのエピソードを振り返っていく。

(2020/11/14追記)
MVで歌詞と音楽を補完しながら解釈すると、これは今70代から80代の老夫婦の、その片割れが死の病に冒されていて、その病床で二人が回想した精神世界を表現してるんじゃないか?と思っています。
(後々その根拠は音楽と映像で)
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病床にいる愛する人。
もう、長くはないのだろう。
そのひとの手を強く握る。

幸福よりも苦悩のほうが多くて、一人よりも一層苦しいんだよな。

誰かと生きるってさ。

King Gnuの音楽にAメロBメロサビなんて言い方あんまりしたくなくて、3部構成の繰り返しというほうが正しい気がするんだけど、まあ、便宜上つかわせてね。

(2020/11/14追記)
メロディを歌ってみると、Aメロ、Bメロ、サビは全く別の音楽と言ってもいいくらい、独立したものになっているということに気が付きました。
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イントロ

この世界の誰もが
君を忘れ去っても
随分老けたねって
今日も隣で笑うから
怯えなくて良いんだよ
そのままの君で良いんだよ
増えた皺の数を隣で数えながら


ピチカートとヴァイオリンと優しくささやくようなヴォーカル。
年を重ね、死を隣り合わせにした、君。
一緒に生きてきた、君。

ストリングス(ヴァイオリン群を弓で引いた音)が派手な色味を抑えて、とピチカート(ヴァイオリン群を指で弾いた音)が薄茶のセピアのイメージ。あと、MV見たけどベースはバスキーボード的な何か?かな。シンセブラス系?の音かな?単調な人生に見えても、その底にある重苦しさ。

(2020/11/14追記)

映像は踊る若い男女なんだけど、その服装や髪型が60年代から70年代の雰囲気なんだよね。
これ今の70代80代が若かったころの時代とリンクしてる。
そしてバックに置かれた写真は、断片的な「幸福な日常」を表現している。
それに対して踊る男女は苦悩とか挫折とかそういうものを表現してて、断片的な幸福と、圧倒的に長い苦悩の時間を表現してるのかなぁと。
60年代70年代って文学では内向の世代って呼ばれてるらしくて、自分たちの内面世界にグーッとフォーカスしてるのもリンクしていくよなぁ。
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Aメロ

僕らの人生が
三文小説だとしても
投げ売る気は無いね
何度でも書き直すよ
誰もが愛任せ
いつまでも彷徨う定め
この小説(はなし)の果ての
その先を書き足すよ

ベース・ドラムのリズム隊は表に出てこない。ヴァイオリンとピチカートとピアノとヴォーカル。横に流れるような優しい旋律。

(2020/11/14追記)

伴奏としても何度も繰り返されるのがこのAメロなんだけどこのメロディラインの懐かしさってどこから来るんだろう?って思ったとき、ふと浮かんだのが南こうせつの「神田川」なんです。あ、このAメロって日本のフォークソングを表現してるのかなぁと。日本のフォークソングってのは演歌にロックの要素が入ったようなものって理解してて。神田川が流行ったのが70年代だから、今の70代80代の若かった時代にリンクするんですよね。

で歌詞のほうはというと、
投げ売る気はない=人にとってはなんの価値もない、つまらない人生だけど、それでもじぶんにとってはかけがえのないものだった。

何度でも書き直すよ=思い出の一つひとつを振り返りながら、思い出の「意味」を上書きしているよ

君の愛に身を委ねるように生きてきて、だから君を失ってしまえば僕の心はさまようだろう。だけど、どれほど苦しくても僕は生きていく。君との物語の続きを書ききらなければならないから。

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Bメロ

真実と向き合うためには
一人にならなきゃいけない時がある
過ちだと分かっていても尚
描き続けたい物語があるよ

一変して、マーチ(行進曲)のような力強くスネアドラムが音楽を前に引っ張る。
コード進行も前へ前へ前進するイメージ。

ヴォーカルもオクターブ配置になって「一人ではない」力強さを感じる。

(11/14追記)
ここで、フォークソングが一変してメロディーが一気に今のJポップぽくなるなって感じてて。米津玄師とかもよく使ってるメロディー内でしれっと転調してる??あの感じ。あんまり音楽理論は詳しくないのだけど。

ここの歌詞も、君があの世に旅立ったあと、ひとり残されることになってもそれを受け入れようとする力強さを感じる歌詞になってる。君がいない世界など、生きているのが過ちだと思うくらい無意味だけど、それでも僕は自分の人生を必ず生ききるよという意志。

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サビ

あゝ
駄文ばかりの脚本と
三文芝居にいつ迄も
付き合っていたいのさ

君の不器用な
表情や言葉一つで
救われる僕がいるから

メロディーを包むような「あゝ」の分厚いコーラス。
ドラムがまた場面を切り替えるように、叫ぶようなスネアドラム。

壮大なストリングスときらめくようなグロッケン。
「人の一生」を表現するような壮大なサウンド。

(11/14追記)

このサビなんだろうなって思ってたんだけど、これ、ゴスペルなんですよね。メロディーがシンコペーションになってません?でコーラスというより、あゝが「クワイヤ」になってる。ゴスペル=神の福音=救いのイメージ。
くだらない人生だけど、いつまでも一緒に生きていたい。君の何気ない仕草の一つひとつを愛しているよというメッセージ。

Aメロ(2番)

あの頃の輝きが
息を潜めたとしても
随分老けたねって
明日も隣で笑うから
悲しまないで良いんだよ
そのままの君が良いんだよ
過ぎゆく秒針を隣で数えながら

1番のAメロとはまた違っていて、Bメロのようなマーチのようなスネア。

悲しみを抱えた横に流れるようなヴォーカルと、それでも前進しようと、背中を押すような縦のリズムを刻むスネア。

(2020/11/14追記)

死を目前にした君。やせ細った君。でもそのままで君は美しい。
残された時間を惜しむように数えているよ。

Bメロ(2番)

止めどなく流るる泪雨が
小説のように人生を何章にも
区切ってくれるから
愚かだと分かっていても尚
足掻き続けなきゃいけない物語があるよ 

「泪雨」という歌詞に重なるポツリポツリとなるピチカート。

ドラムはハイハットの音が上に重ねられ、ロック色が強くなる。

(11/14追記)

今も流れ続ける涙。君との人生は幸せばかりじゃなくて、何度も涙を流した。でもそのたびに物語は前に前に進んでいった。

君が病と戦うのは無謀で意味が無いかもしれない。それでも君の人生が少しでも長く続くように、「足掻き続けなければいけない」

サビ(2番)

あゝ
立ち尽くした
あの日の頼りない背中を
今なら強く押して見せるから
あゝ
僕のくだらない
表情や言葉一つで
微笑んだ君がいるから

(11/14追記)

ここの歌詞の解釈が難しくて。
「あの日」ってなんだろう?「プロポーズ」の日かなぁとも思うんだけど、そうではなくて、重苦しい、しんどいのが「あの日」だったような気もしていて、まだ上手く理解できてない。

でも、後半は1番のサビと対になっていて、僕が感じたのと同じように、君も何気ない日常の中に幸福を感じていた、僕らは同じだったっていう解釈をしてます。

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サビなんだけどね、このサビより次の間奏のほうが印象的。

ピアノに重なって、神の導きのようなパイプオルガンのサウンドが入って
「ああ、ついに天に召されたんだな」って。

雲の間からかかる、天使のはしごのような。

サビ(繰り返し)

階段を駆け上がるように、繰り返されるサビ。

人生を「生ききった」二人を神の祝福で包むよう。

ヴォーカルメロディーもアレンジされて昂ぶり、より壮大なサウンドへ。

(11/14追記)

ドラムがすごく派手だから、そっちに気を取られてしまうんだけど、もうね、メロディーにもアレンジが加わって、ヴォーカルの歌い方がどんどんゴスペルっぽくなってる感じ。
で、あの派手なドラムがなかったら、多分、これロックじゃなくてゴスペルになってしまうのね。だから、あれくらいのドラムで中和するくらいでちょうど釣り合いとれるんだろうな。

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(ここで小さな「カチッ」という音があって、の直前にティンパニのロール音??みたいなのが小さく聞こえるんだけど、もしかしたら、この音が冒頭の「何かの音楽(=三文小説)の終わり」だったりするのかなとも思わなくもない・・・。耳悪くなったなぁ・・。年だな、うん。)

アウトロ

この世界の誰もが
君を忘れ去っても
随分老けたねって
今日も隣で笑うから
怯えなくて良いんだよ
そのままの君で良いんだよ
増えた皺の数を隣で数えながら

心の片割れを失って、そして、自分自身にもようやく「死」が訪れる。

かつて自分が囁いた言葉だったのに、今度は聞く側なんだな。

そして、ようやく再会した二人の魂。

(11/14追記)

これは時間が経過して、物語を書ききった、生ききった僕も死んだっていう意味なんだろうなと。決して心中したんじゃない。

映像の方は、写真を取るような仕草の二人。これは二人の魂の精神世界での様子であって、現実は二つ並べられた夫婦の遺影をイメージしてるんだろうな。

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愛し合ったもの二人の「人生のという物語の終着点」をここまで見事に描ききったポップスソングってあったんだろうか?

この作品が世に出る瞬間に立ち会えたのは幸せだなと、心から思う。

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