見出し画像

光る君へ最終回の話【大河ドラマ光る君へ】

先日、大河ドラマ光る君への第48話、物語の先にが終了した。1年を通して追いかけてきたドラマが終わるというのは、どんなドラマであっても寂しいものだ。

最終回に当たり、道長の死や、武士の世の始まりを感じさせるまひろの「道長様…嵐が来るわ…」と呟いたことがとても印象的だが、やはり私が最も興味深いのは、平安貴族の恋愛模様は、現代人とは全く異なるという点だ。

特に平安貴族女性の象徴だと思うのは、個人的に源倫子である。道長に恋をして結婚するものの、実際に愛されているわけではなかった不遇な女。

彼女は初期に、藤原兼家の息子として生きているものの、政治に無関心そう、でありながら武芸は達者で美しい容貌を持つ道長に恋していた。

父は兼家の側近として働いている源氏方であったが、彼女本人は家の繁栄であったり、政治のための結婚というのに嫌悪感を抱いていた。

父から口酸っぱく言われる、「家のために結婚してくれ」の言葉。その言葉に半ば反抗するかのようにお見合いを蹴っていた彼女だったが、打毬の場で道長と出会ってしまう。

所謂一目惚れというやつで、「私、あの人と結婚したいわ!お父様なんとかして!」と頼み込むのであった。父も母も、大喜びであっただろう。

一方の道長といえば、最終回でまひろが倫子に明かしたように、9歳の頃から身分を隠し、まひろと三郎として出会っていた。

道長の兄である道兼がまひろの母を殺すまで、その出来事さえなければ、彼らの関係は続いていたのだ。まひろも忘れられず、道長も忘れられず、倫子の付けいる隙はなかった。

そして、倫子は、自分が出たくないから代わりに出てくれとまひろに頼んだ五節の舞で、道長とまひろの再会を手助けしてしまう。


道長と結婚した後も、子を成した後も、恐らく倫子は愛されていると感じたことはなかったのだろう。結婚できた時は、好きな人と結婚することができ、平安貴族女性らしからぬ幸福な結婚だと思っていたはずである。

が、同時に他の女の影を感じていたのだと思う。彼女はかなり目敏く、外戚関係を結んだ以上、家を隆盛させていく女主人としてもプライドがあり、あくまで上下関係をハッキリさせる女であった。

道長が、権力を伸ばすために、倫子に内緒で明子を妾として取ったこと、藤原為時の採用に乗じてまひろを藤式部として雇い、自分の手元で贔屓していたこと、全て彼女は薄っすら把握していたのだ。他の女の影がするわ、と。

だが彼女は、あくまで女であった。政治に関与できず、男の手元でコロコロと転がされる鞠のような存在なのであった。そうはなるまいと踠いても、道長の帰る家の主人であっても、道長が会いに来なければそれまでなのだ。

自分の娘が一条天皇に入内し、皇后定子に負けそうであった時、道長は藤式部としての彼女を頼った。女として、娘の母として、娘のサロンを勃興させるアドバイスを聞き入れず、代わりに藤式部を採用した。

無論、清少納言の書いた枕草子が道隆方の権力を盤石にし、自身を脅かしているというのは目に見えていた。そこで藤式部という文才があり、男に生まれていればと言われてきた女御に頼ったのは当然のことだ。自身も文学作品によって、貴族社会を牛耳って行こうとしたのだから。

しかし倫子は、それでも尚道長は自分のものだと主張し、執着心を剥き出しにしている。彼の帰ってくるところは私のところだと、何人妾が居ようと、北の方は私なのだと、最も愛されているのは私のはずなのだと自信がありげであった。

だが、今作においての道長というのは、すべての動力がまひろという女の存在であったからして、倫子という女の入り込む隙はなかったのだ。まひろが偉くなってというから、25年も前の約束を覚えたまま偉くなったし、彰子勃興のための手筈としてまひろを選んだわけだし。

彼女は最初から最後まで、正妻としての余裕を見せつつ、上に立っているというふりをしつつ、男女の関係としてはまひろに最初から負けていたのだった。取り返し用のない、積年の思いの前で無様に踠いているだけであった。

(よくよく考えてみれば、9歳の頃に出会って、自分の母を殺したのは好いた人の兄で、仲良くしていた散楽の男を一緒に鳥羽山で葬って、満月の夜に山小屋でいたして、しかも賢子とかいう光る女君まで誕生して、有名な望月の歌はその時の満月とかかってて…って要素多すぎない?倫子がいくら箱入り娘で、外の様子を全然知らないからって、流石にそんなフルコンボないんじゃないですか…。)


ととのつまり、最終回で倫子は藤式部に対して「あなたは殿だけでなく、娘の彰子にまで取り入って、私から奪っていくのね」と言い放つが、これは実際違う。

そもそも彰子が母倫子より、藤式部に懐いたのは、「あなたは帝の妃なのだから、高貴でなければ行けませんよ。亡き皇后定子様に負けないようにしませんと。」と母から口酸っぱく言われ、自分を理解してくれない苦しみから解放してくれたのが藤式部だったからだ。

倫子はきっと、娘が桃色より青色が好きなことも、芸事よりも文学的な希求心があることも、一条天皇を慕っていたことも知らないのだろう。

逆に言えば、藤式部は彰子が変わるきっかけとなっており、変わる瞬間にも立ちあった。こうしましょうあぁしましょう、と持て囃されるよりも、こういたしたら良いのではと提案されること、自分で考える事が彼女に取っては良かったのだ。

倫子にとって彰子は、未だ「仰せのままに」と物言わぬ人形のように、自身の所有物であったが、彰子本人はそうではなかった。自分で考え、今や政治にも口を出す国母となったのだ。

結局のところ倫子は、平安貴族だったゆえに道長という好いた人と結婚できたが、平安貴族だったゆえに夫の1番にはなれなかった人間なのだ。不遇で、不憫な女だ。

現代人の感覚からすれば、妾が居ることにまず可哀想と思うが、倫子はそれを容認した。道長が勢力を伸ばすために妾を作ることに、女性は口出しできないからだ。私だけを見てくださいなど、戯言に過ぎない時代だったから。

明子という妾を作り、そことも子を成した道長であったが、倫子からすれば「大して明子様のことなどお好きではないのでしょう?私が1番でしょう?」と自信があったのだろうが、藤式部が内裏に上がったというその瞬間から、虫の知らせはあったのではなかろうか…。


恐らく史実とは異なる、フィクションまみれの設定が盛りだくさんだったのだろうが、それもまた、物語を書いて貴族社会を彩った紫式部という人間を描く上で必要なことだったのだと思う。

激しい戦のない、一味も二味も違った大河となったが、後続に蔦屋の話が来るとなれば、尚のこと文学大河というのは意味を帯びる。

1話と最終話で、物語のキーマンである安倍晴明とまひろの放った「嵐が来る」は、後の戦乱の世を思わせるとともに、現代に続く数多の騒動を思わせる言葉なのだろう。政治然り、色恋然り。

終わり。大河面白かったです。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集