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【感想】村上春樹「ねむり」(2010)

ざっくり言うと、30代の消費される主婦の躁鬱日記。

村上春樹です。ついに、村上春樹さんの感想です。
読書が苦手な私も、ついに短編なら読めるようになりました、たぶん、10に1つも理解できてないけど…ネタバレMAXです🙇

0.春樹さんが40歳のときに書いた復帰作「眠り」

本作は21年前の短編の改訂版。あとがきに「ノルウェイの森」「ダンス・ダンス・ダンス」以降、書きたい気持ちになれず、旅行をしたり、翻訳の仕事をしたのちに書いたとある。いわゆるスランプ?鬱?からの復帰作、と言えるのか。それを作品に昇華できるのだから、やっぱり春樹さんは凄いとしか言えない。

1.不眠症の経験がある30歳主婦が、また眠れなくなる

大学時代の不眠と異なり、不思議な不眠――意識はクリアで、体の変調もなく、食欲もあるという。

2.主婦のルーティン

夫は開業歯科医で、息子は小学2年生。
朝、夫と息子を送り出し、古い愛車でスーパーへ買い物、掃除や洗濯、夕食の下準備もしておく。昼に夫が帰ってくるので、ともに食事をし、再び送り出す。その後はスポーツクラブで泳ぐ。泳ぐのが特に好きではないが、プロポーションを維持するために通っている。子供が帰宅し、着替えさせおやつを与える。夫も帰宅し、夕食を3人でとりながら主に息子の話を聞く。このルーティンは、昨日と一昨日が入れ替わっても不都合がないほど同じ。

3.金縛りの悪夢のあと「アンナ・カレーニナ」を読み始める

黒ずくめの老人に水差しで足に水をかけられる、という謎の悪夢から覚醒し、それから不眠を発症、ふとトルストイの長編小説「アンナ・カレーニナ」を読み始める。

もちろん私はトルストイの長編なんて読んだことないので概略をwikiで見たんだけど、主人公アンナが不倫して出産して重体、不倫相手ピストル自殺未遂、不倫相手の領地にいく、相手にされなくなる、列車に身を投げる、といういかにもロシア文学っぽい内容。農村で実直に暮らすアンナの親戚のキティと対比されているらしい。

読書メーターより「少しでも足跡をのこそうと日記をつけていたが、足がとけてしまうくらい水をかけるおじいさんの夢をみて、日記をつけなくなる」と。なるほど、足跡にかかってるのか。

4.不眠1週間後、若返る

日課である全裸チェックをすると、理想の体になっていることに気づく。
謎続きで病院に行くことを考えるが、検査のたらい回しにあいそうで、とりあえず図書館で眠りについて調べる。
眠りは、個人的傾向(たぶんクセのようなもの)を中和する、という本を読む。
主人公にとっての傾向とは家事であり、傾向的に消費され、調整するために眠る、その反復の先には、何もない、だったら眠りなんかいらない、と結論する。

5.自由を謳歌する

消費されない部分の私がここに存在している。生きるというのはまさにそういうことなのだ。

村上春樹「ねむり」 p.68

昔の習慣である読書やお菓子を再開する(夫が甘い菓子を嫌うため、子供にも食べさせていなかった)
子供の名前を決めるとき義母と喧嘩になり、そのとき自分を守ってくれなかった夫を思い出し、夫、として義母と夫に似ている息子を、いつかは愛せなくなるだろう、と思う。

17日目、この深く覚醒した暗闇の状態は、死、なのかと考える。

6.謎のラストで終わる

読み終えて「えっここで終わり?」という終わり方だった、小説あるある。
幾つかブログを拝見して、この終わり方について

  • 主人公はずっと眠っており、これは夢の話

  • 昏睡状態、もしくは居眠り中に、夫と息子に起こされる

とあり、なるほどね~と。わたしも確かに妙にリアルな夢を見ることがある。今朝は家族で出かけて、入場券を忘れてしまい、家にもどるんだけど、スマホがうまく操作できなくなったりして、時間がーー!で起きた(笑)。潜在的な不安、なんだろうなぁ。最近チケットはアプリで提示とか、慣れなくて(充電きれたら終わりだし!)。
それましたが、主人公にとって自分の城である車からひきづり出される恐怖、自由を奪われる恐怖、なのかなぁと。

7.書きたくなくなった春樹さんと、愛せなくなった主人公

書けた方が、愛せた方が幸せになれる――でもそれができない。

専業主婦の鬱というと、たまたまTVに見たお悩み相談で「毎日子供たちの弁当を早朝からつくり、洗濯機を何回も回す日々がツライ」というのを思い出す。そのとき私は「なんて幸せ者だ」と思った。その頃不妊治療中で、子供が複数いるという状態自体が、自分には手の届かない幸せだった。
今、授かることができて、その気持ち、つまりこの主人公と同じ「消費され続ける主婦」の鬱が少しは分かる。わたしも読みたい本やゲームの時間を邪魔されると、うおーーー!となる(軽い)。

目についたのは「おやつを与える」という表現。2回ほど出た。もう家畜扱いじゃん、と。小2男子はね、確かに動物かもしれない。愛せなくなってしまったら、それは受動的で、世話係として消費されてるだけ、と思ってしまい、そうなるとしんどいだけだなぁと。

読書メーターで「辛いよね、みんな眠るのに自分だけ眠れないなんて」と書いてる方がいて、これが書かれた時代、専業主婦が普通で、愛する家族の世話をするのが普通だった、それが幸せ、でもそれができない、のにもかかってるのかなぁと。

雑感:鬱はアルコールにようにありきたりなもの?

鬱、と言えば最近、歌人斎藤茂吉さんの奥さんと息子の茂太さんの対談本を読んだら、「今は躁状態だから、数か月後には鬱になって数年戻れないだろう」と言う息子を、でしょうねアハハ、みたいに母が笑い飛ばしていて、私たちの考える鬱と、文芸界というかそのあたりの人たちの鬱って違う感じがした。いわゆるアルコールのように、はまりすぎるとアル中で死ぬけど、適度な摂取は良い、みたいな。

問題を耐えがたくしているのは、それを治せるはずだという誤った信念だ。

シャーロット・浄光・ベック(アメリカの曹洞宗の尼僧)

と言うし、そもそも鬱を問題視しなくていいんじゃ、と思ったりした、もちろん注意する必要はあるけど。無理に脱却しようとせず、サーファーのように、またいい波が来るまで落ち着いて待とう、な心持ちでもいいのかな、と。そういう俯瞰した気持ちで鬱になれたらいいな、と。
春樹さんが書けなくなった時期から、再び書けるようになったように。

今回、解読するのに読書メーターの感想をかなり読んだ。受け取り方は様々で、「働いていない女性が自分の時間はねむりの時間を削ってつくるなんて言ってほしくない」(←ほんまにイラっとする~)「自分は秒で眠れるからよく分からない」「無垢な子供はよく眠る。図々しい大人ほどよく眠る」とか、「アンナ・カレーニア⇒ナニ・アンナカレー⇒カレーへのコンプレックスが示唆」って大喜利みたいなことしてる人(https://bookmeter.com/users/388657)とか面白かった。

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