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毎日投稿を続けてみたものの、途切れてしまって、モチベーションが下がってしまった。 これまでも、書きたいことを書きたいように書いてきたが、毎日投稿はお休みしようかと思う。 じっくじじっくり記事を書くことに力を向けにくくなったような気もする。 また気が向いたら毎日投稿にチャレンジしてみる。
昨日、noteを投稿していない気がすると思って確認した。 していなかった。 毎日投稿を1年くらい続けてやると息巻いて、また途絶えてしまった。 前回は記事作成途中に日付を跨ぎ、今回は完全に忘れていた。 人間、忘れたいことを忘れられないのに、忘れる予定のなかったことを忘れる。 おもしろい。
先を読むことを常に意識したいと思う。 必ずしも、毎度、先を読めているわけではないし、読み損なうことの方が多いかもしれない。 仮にそうだとしても、先を読む努力をしたい。 先を読むためには、周りに注意を向けたり、次なる手を意識したりする。 よく列車で、今の流行り病が流行る前から、「すみません」とか「降ります」といった言葉を発することなく、降車しようとする人に遭遇する。 そのような人は、時折、身体の一部や荷物を身体に当てて、自分の存在を知らせようとしてくる。 あるいは、隙を見て
誰とも関わらなければ、誰も傷つけない。 一人で生まれて来たのだから、一人であることが自然なのかもしれない。 でも、誰かと一緒ならば、同じ方向で歩めるならば、どれだけ心強いことだろうか。 今年の新卒の悩みに「同期がいない」というのがあった。 99%が中小零細企業の日本では、大多数の企業で同期がいないことは自然だろう。 ましてや、毎年採用の企業はどれだけあるのか。 ただ、それだけの理由で離職するのは、どうなのだろうと思ってしまう。 仕事のことを話せる相手、仕事で同じ経験をと
何でもかんでも、リスクを恐れたり、1つの物差しで判断すると選択肢と結果が狭まってしまう。 あらゆる選択肢を残して、良くも悪くもで良いかもしれないから結果を多く、見てみたい。 それが次なる良い結果に繋がるかもしれない。
昨日、オンラインでライヴを観る機会があった。 近頃は、音楽を聴くこと自体も少し遠のいていたところ、久々に音楽に触れると気分があがる。 あがるのも、浮足立つというよりも、心に平穏がもたらされるというものだ。 改めて「旅立讃歌」のMVを観た。 MV公開当時は、少し寂しさや不安を覚えるようなところもあった。 だが、今となっては、曲調や歌詞から前向きで明るい旅立ちへの期待・希望・元気・勇気をもらえる。 今年の目標は「丁寧に生きる」だった気がする。 違ったか。分からないが「丁寧」
特に地震発生時にSNSへ投稿しないようにしている。 それは被災しようと、そうでなかろうと、それにまつわる投稿はしない。 要は、検索で「地震大丈夫?」「揺れた!」「地震だ」という情報で検索が埋まってしまうからだ。 「どこそこで震度ナニ」というのは、最も注目度が高いとして上位に表示されることもあるが、被害状況や今後の情報が埋もれてしまうのでは?と考える。 たしかに、SNSよりも公の機関から情報を得た方が確実なのだが、SNSを拠り所にする人も多いだろう。 何なら、通う大学の情報
私は直感で生きている。 直感で「こっちだな。」と思って、そちらを歩む口だ。 たしかに、慎重になるときは慎重になる。 比較検討する。 数値があれば数値を見る。 リアリストというか超現実主義なので、理想・理念・理屈も理解しつつ、現実も直視するタイプでもある。 あとは、面倒臭がりもあるので、全てのリスクマネジメントは「こうなったら面倒臭いな」という感情が原動力になっている。 したがって、直感も現実路線の中にある。 突発的なことはない、とは思う。 できないことはできると言わない
偶然にも、YouTubeで旅チャンネルを見つけた。 最近、夫の稼ぎに不安、夫に危うさを覚える主婦が投稿する字幕のYouTube動画なども見つけている。 こうした掘り出し物のような動画は楽しい。 その偶然にも見つけた旅チャンネルは、「ぽん旅」だ。 全ての動画を見たわけではないが、100時間旅シリーズが面白い。 北海道、四国、九州の3地域。 まだ四国は見てないことに気づく。 上手くいけば昨年10月頭に北海道に出向いていた話はさて置いて、北海道に行きたくなる動画だ。 この旅チ
何か組織を立ち上げる人のことを、かしこまった言い方で「発起人」という。 発起の経験は2度ほどある。 いずれも上手くいったかと問われれば、決して良い結果になく、引き継いでしまった。 取扱分野の環境・動向、先を見通した先手先手の施策、目的を踏まえた取り組みなどが求められる。 環境は、その分野内も、関係する分野も、幅広く取り組みに繋がりそうなことは調べてみる。 目的を踏まえて、任期や達成すべき時期までの限られた時間で、した方が良いこと、できることをやる。 「これだ!」と直感で思
お店独自のICカードやポイントカード、二次元バーコード決済、電子決済、スマホ決済、クレカ決済に全く興味がなかった。 もちろん、クレカを作ってからは、インターネットショッピングでは、クレカ決済だ。 代引きの煩わしさと手数料300円くらいを削るためでもある。 少し現金派なのかもしれない。 手持ち資金を手に取るように見られて、少なくなったらATMでおろして、支払いで手に取って支払うという動作で出費の実感を得ていた。 何もそればかりではない。 ICOCAなどの交通系ICは使っている
毎日投稿しようということで、「今、このときの自分の考え」を記録しようとしている。 紛れもなく、チャラン・ポ・ランタンの小春さんの考えに感化されてのことだ。 そうとはいえ、毎日、1本の記事を仕上げるのには大変なので、ある程度、休日に書き貯めたり、テーマを思いつくたびにト書きを保存している。 「今の自分」にこだわるために、なるだけ時間が空かないようにとは思う。 そのストックが切れた。 厳密には、いくつかト書きはあるのだが、投稿したい日に少し書き足せば投稿できるほどの記事がな
本当は、コメントをしようと思ったのだけど、私は長文野郎なので、この記事を通じてコメントすることにした。 これを小春さんがご覧になるかは、分からないけれど、少し記事に起こしたくなった。 私は、「らしさ」という言葉を遣うとき、人は変化するものなのに過去の平均値を当てはめるのは気が引ける。 型を自分の中で作って相手に当てはめるような気もして気が引けるとも、思ってしまう質(たち)だ。 (かといって、人がその言葉を使うことに気にも留めず、この思いの共有を求めたりもしない。)
右や左と区別するのは、あまりよろしくないと思うのだけれど、右も左もみるようにしている。 自分と相容れない意見を遮断するのも選択肢としてあるのだけれど、その方法は個人的に取らない。 容易く右や左と分けられるものではないし、それと分ける性格を持たない事柄も多分にある。 ただ、事柄をある特定の部分に限定することで、立場の違いというものをみることができる。 なぜ自分と異なる意見をみるのか。 一番は、自分の中で、その異なる意見について、仮想の結論を立てて、その結論ありきで考え