発起のつらさ
何か組織を立ち上げる人のことを、かしこまった言い方で「発起人」という。
発起の経験は2度ほどある。
いずれも上手くいったかと問われれば、決して良い結果になく、引き継いでしまった。
取扱分野の環境・動向、先を見通した先手先手の施策、目的を踏まえた取り組みなどが求められる。
環境は、その分野内も、関係する分野も、幅広く取り組みに繋がりそうなことは調べてみる。
目的を踏まえて、任期や達成すべき時期までの限られた時間で、した方が良いこと、できることをやる。
「これだ!」と直感で思ったら、迷わず取り入れる。
もちろん、理屈や根拠なども、取り入れる前後には必ず検討してかためておく。
その組織がフランチャイズに似て、同じ組織同士で構成するものがある場合は、その動向なども調べる必要がある。
そのグループ内での、この組織の役割も考える。
さらには、そのグループ自体が社会に与える影響など、大きな全体のことも考える。
当然、グループとして何か成し遂げようとするならば、良く検討して、この組織でできることを進んでやる。
呑めないことや疑問・意見は遠慮なく整理したり伝えたりする。
だいたい、ここで少数派になる。
あとから、他も似たようなことをはじめ、むしろ、そちらに注目が行くこともある。
これは、もともとの環境に由来することは否めない。
環境で言えば、既に出来上がってしまった空気感を変えるのは、とても難しい。
いくら課題を共有しても、重要な役回りの人が理解できなければ、自分の行動ではカバーできないこともある。
概して行動を先にして、口にするようにしている。
これは「そう言ってもしょうがない」と言われないようにするためであるし、少なくとも言える立場になるためだ。
全体を俯瞰して、良くも悪くも客観的に自己評価する。
それは、ときに環境の所為にしているように見えることもあるが、事実は事実として理解しなければ、解決策は考えられない。
もし、理念と現実にギャップがあるならば、その差を埋めねばならない。
これはルールと現実のギャップでも同じことが言える。
この埋める作業は単純だ。
現実を合わせるか、理念やルールを合わせるか、どちらかすれば良い。
どちらか一方に合わせようとしないのは現実的でない。
現実を合わせると決めたならば、そのための姿勢と努力も大切だ。
何をどうしようとも、結果論であるから、過程や背景がどうであれ、一定未満であれば、問題ありとなる。
これは世の中の平均的な評価方法だろう。
責任は無論、責任者にあるから、これは認めなければいけない。
背景や過程を大切に、さまざまな意見に耳を傾けたい。
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