減塩台湾攻略〈完〉2023.12/31
最期まで市場を愛でる
最終日の朝を迎えた。体調はすっかり万全である。
荷造りを終えホテルに預けて台北駅のバス乗り場まで歩く。途中で路上ではなく屋内型市場の前を通りかかったので当然のように中を覗いていく。
香港でも台湾でも中国でも、なぜこんなに市場に惹かれるのだろう。
1970年生まれで幼稚園卒園までを都下、小学校卒業までを川崎市の団地で暮らした。スーパーマーケットも存在してはいたが、昔ながらの個人商店が一つ屋根の下に集まった市場も身近にあった。
豆腐屋はラッパを鳴らしてバイクで売りに来るし、パン屋も時折ワゴン車で回ってきた。駄菓子屋にはガラスケースに入った量り売りのお菓子が売っていて、同じく都下の祖父母宅の近くにはいくつかのアーケードが並んだ商店街があり、製麵屋にうどんを何玉とおつかいしに行く事もあった。
市場にときめきと憧れを抱き続けるのは幼い頃の思い出と風景が重なるからなのかもしれない。いや流石に生きた鶏とかカエルとかは売っていなかったけれども。
市場巡りを堪能して建物の外に出ると「台北市萬華老人服務中心」の看板と車いす用のスロープが目に入った。市場の建物にデイケアセンターがくっついているのだろうか。いいな、羨ましい。人が集まり活気が絶えない場所に通えるのか。もしかするとかつてこの市場で働いていた高齢者が「おじいちゃん、今日は市場に出る日でしょ」とか言われて現役時代の様に通ってくるのかもしれない。時々は市場の中を歩いて買い物して、センターで調理してみんなで食べたりしていたらいいな。
私が勤めていた23区内の特養併設在宅サービスセンターは、私鉄急行停車駅から徒歩十分圏内の、中規模公団住宅のすぐ近くに設置されていた。お向かいが小学校でまだ賑やかな方だったのは、介護保険導入直前のさなかようやく都心でも住居の近くに終の棲家を、との住民の意向で高齢者福祉施設が建ち始めた頃だからかと思う。それより以前(学生時代に実習に行っていたような頃)の老人ホームといえば、あからさまに忌避施設として郊外や山奥にひっそりと建っているものだった。
町中の、生活に密着した場所に当たり前のように要介護高齢者の居場所があって、ご近所さんとして交流が出来るとしたら、それはなんと「豊か」なことだろう。今でこそ日本も小規模多機能施設が町の中心部にあったりするけど、もっともっと増えるといいなぁ、と思う。「生活の場」としての介護施設が静かな郊外ではなく、こんなところにあったっていいじゃないか。
目的地は野柳
最終日をどこで過ごすか、と相談する中で「野柳」を提案したのは夫だった。そこが一体どんな場所なのかもよくわからないままに台北駅のバスターミナルから出発する。直通ではなく、途中いくつもの停留所に止まる路線バスらしいが座席は満席で、ぽつぽつと人が乗り降りしていく。
1時間半くらい揺られて下車し、バス停から10分ほど歩いて漁港や海鮮レストランやホテルの集まった区域を抜けると野柳地質公園の入り口に到着した。
ジオパークという名前は聞いたことがあったが、訪れたのは初めてである。ここでも免費入場の恩恵に預かり、熱帯植物がもさもさ生える道を進むとそこそこ人が多い。ジオパークというわりにただの公園っぽいな?と思いながら歩いていくと、海岸に出た。
風景が一変して、海岸、というにはなんだか茶色くてごつごつした場所に出た。ここからが奇岩エリアらしい。
前に進むのもなかなか大変なほど人が多く、ペット連れもちょいちょい見かける。正直「ここまで人が押しかけるような場所か?←失礼」と思わなくもなく、もしかして台湾は観光資源に乏しい国なのだろうか…そりゃ日本に観光に来るわけだなぁ、などと考えてしまう。
奇岩エリアを抜けると人はだんだんまばらになる。案内パンフを見るとこの先に展望台があるそうで、たどり着くには結構な距離を登らなければならないらしい。普段なら「眺めがいいだけならいいや」と登らなかったと思う。だけど、この時なぜか「行ってみよう」と思ってしまったのである。
暑くも寒くもなく、気候がちょうどよかった、というのもあるかもしれない。
展望台への道は予想よりはるかに長い。途中休憩所で腰かけて休みつつ、黙々と歩いた。日本とは異なる植生も物珍しく、海と空は碧く美しい。
途中夫に心配されつつもなんとか展望台までたどり着いた。展望台は海からの強い風が吹きつけて、落ち着いてお弁当を広げよう、という雰囲気ではなかったが、眺めはよかった。
展望台への道をすがら最後までたどり着けたら私はまた台湾に来られるんじゃないか、そんなことを考えていた。
シャント造設手術をして一か月、クレアチニンの値は6から4へと急激に下がっていた。もしこのまま少しでも透析導入が延期できたら、まだ夫とどこかへ旅する事を続けられるかもしれない。
願をかけるように私は歩いた。そしてたどり着けた。
奇岩エリアの既視感
登るときは真っ青だった空が、下りの途中からどろどろと雲に覆われていく。タイミング的にもあの時に登ってよかったなぁ、と思いながらだらだらと奇岩エリアへ戻る。
人はさらに増えているように見えた。
ところどころ植物が生えているエリアはそうでもなかったのだが、岩と地面のみ、というエリアを見ているとなんとなく尻がもぞもぞする。何だろう、この既視感…ボコボコと穴の開いた、平べったいクレーターのような岩…丸みを帯びて屹立する赤い岩…
これはあれだ、ガミラス本星だ。濃硫酸の海がある1974年版宇宙戦艦ヤマトのガミラス本星だ。クレーターの部分は2199の火星のマーズポートっぽい。新旧入り混じってヤマトファンにはたまらないエリアじゃないか。
と、ひとり興奮しながら写真を撮りまくる。
岩だけを映しているもの好きはあまりおらず、周囲は奇岩を前にポーズをとる観光客だらけである。といっても日本人は目立たずフィリピン、韓国あたりの言葉が激しく飛び交っている。韓国の家族連れの家族写真を撮るサポートなどをしたりして、奇岩エリアを見て回った。この荒涼とした風景はコスプレ写真なんかを取りに来ても面白いかもしれない。
今は奇岩エリアに自由に立ち入ることが出来て、至近距離で写真を撮ることも可能だが、観光客が増えるとそのうち規制線が張られたりするかもな、とうっすら思う。かつて一部の観光客しか入らなかった観光施設(大熊猫繁育研究基地とか)が、オーバーツーリズムの対象となり今までにはなかった規制が発生し厳しくなる現象はこれからも続くだろう。
ここもすでにそうなりつつあるのかもしれない。クイーンズヘッド(エジプトの女王の横顔のように見える岩)の前で写真を撮ろうとする人々の長い行列と、その行列解消の為か作られたレプリカ(最初、なんでレプリカ?と理由が分からなかった)がそれを暗示していた。
まぁ、自分も押しかける観光客の一人なのであるけども。
ジオパークを出ると目の前にお土産物売り場と小さい食堂、食べ歩き用の屋台が並ぶエリアがある。マグロを甘辛く煮てキューブ上にしたお菓子(ツナピコとかいうやつ)や揚げえびせん、魚のそぼろが名物らしくしきりに試食を勧められる。
朝から何も食べていなかったので、牡蠣オムレツと焼きそば、そして今回初の白ご飯を注文し本日一食目。
ご飯を紙の器で食べたのは初めてだったのでちょっと笑ってしまった。
お土産エリアを抜けると今度はフィッシャーマンズマーケット、という事だったが、店のラインナップはほぼ同じだった。干しエビや海産乾物を扱う店が少し増えた程度だが、ここも賑わっていた。
ジオパークのチケット売り場は更に長い行列ができていて、駐車場の入り口にはツアーバスが何台も連なって空きを待っていた。
隣の水族館のマリンショーからは歓声が上がり、鄙びた観光地だと思っていたのにとんだ人気スポットじゃないか、とまたも驚いたのであった。
足湯で〆る台北の夜
帰路は淡水までの路線バスがあるという。結構な時間待った上に、乗客がぎっしり、かつ結構な距離の海沿いをぐわんぐわん揺れながら走るなかなかの苦行だった。
海沿いは荒涼とした風景が続いたかと思えば突然公園やレストラン、土産物屋が並ぶスポットがあり、バイクがずらっと止まっていたり、大晦日だというのに(大晦日だから?)レストランはそこそこ混んでいて、台湾の人は大みそかに海辺に集う習性があるのだろうか?と疑問に思った。
ようやく到着した淡水駅周辺も大変な混雑で、MRTも朝のラッシュ並みに満員という有様。これから大みそかの夜を楽しもう、という人々なのだろう。車窓から見える公園ではカラオケやダンスに興じる人々が集っていた。
北投駅から一駅、新北投行の電車はさすがに空いていた。
改札を出てしばらく歩き、公園やローラースケート場の隣にある公共足湯の閉園1時間前に滑り込んだ。
コンクリート打ちっぱなしのそっけない浴槽に大勢の老若男女が足を浸けている。周りをうろうろしていると、皆さんが席を詰めてくれてここに座りなよ、と示してくれ、スカートの裾が湯につきそうだと、おばちゃんが一緒に裾を持ち上げてくれる。
湯も温かければ人も暖かい。これが台湾だよなぁ、としみじみする。
日が暮れて風は冷たいがうっすら汗ばむほどに体は温まった。閉園時間が来るとあっという間に湯が抜かれ、人々は三々五々と帰り支度を始める。
駅の途中のスーパーでお腹が空いたときの為に、と菓子パンを購入しホテルに荷物を受け取りに戻ることにした。
大晦日の夜、西門町はそれはそれは人が多かった。駅もえらい混雑なので、台北駅の空港行きMRT乗り場まではタクシーを使うことにした。この旅初の利用である。
搭乗時間の随分前に空港に到着し、チケットカウンターの秤を借りて再度手荷物の重量チェックをする。
まだ開いているフードコートで夕食を取った。
チェックイン開始早々に手続きをし、出国審査を終えて4階のラウンジに向かう。ここに無料のシャワー室があるとのことで、最終日の汗と海風でべたべたになった潮を洗い流す。きれいな身体で新年を迎えることが出来るのはありがたい。
タオルなどはないので、使い古しのバスタオルをこのために持参した。シャワー室内で使ったサンダルの水気を拭き、長年のお務めを終えたバスタオルはゴミ箱へ。
今回も大晦日に台北にいるというのに101の花火を見損ねてしまった。
そして、今年の年末も仕事納めの深夜発で、台湾に行く計画を立てている。今年こそ101の花火が見られるように、帰国は1/2でチケットも取った。
願かけのおかげか、今のところ透析は回避中である。減塩台湾攻略はまだ続くのであった。
おわり