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和風創作フレンチ
2024年4月25日 09:06
飲む水に影さえ見えて。この表現がとても斬新で印象に残った。その印象からして、てっきり詠み人が恋をしているのかと思いきや、よく見ると「恋らし」の主語は「わが妻」で、またしても衝撃を受ける。ナルシストなのだろうか…。いや、ナルシストなら水の鏡に写る影は自分のはず。やはり彼は、妻を愛していたのだ。現に、後半の「世に忘られず」の主語は彼だと読めるようになっている。それにしても、水に写った影を見たと
2024年4月23日 12:14
とくに説明も要らないような、素朴な歌。なのにこんなにも心が惹かれるのは、この歌に読まれている具体的な風物ひとつひとつへの憧れというより、それらが一体となって調和した風景の中に、自らもまた溶け込んでいくかのような、詠み人のこの上なくリラックスした心境そのものへの憧れが、大きいのだと思う。そういう時間を過ごすこと、それ自体への憧れ。今のことばで言えば、「チル」ということになるだろう。羨ましいほどの
2024年4月16日 15:13
葬送のフリーレン。最近みたアニメのことを、僕は思い出していた。浜木綿は幾重にも重なる葉のうえに、白い花を咲かせる。その姿に同じ髪の色をしたエルフのイメージを、ほとんど無意識のうちに重ね合わせていた。三熊野の みくまのの浦の浜木綿 うらのはまゆう百重なす ももえなす心は思へど こころはもえど直に逢わぬかも ただにあわぬかも三熊野の浦の浜木綿のように心では幾重にも君を思うけれど実
2024年4月12日 21:09
大伴家持は746年から5年間、越中に赴任していた。初夏のある日、国司の役人石竹(いわたけ)が、同じ役人たちを邸に招いて開いた宴会に、家持も呼ばれていた。石竹は百合の花でかづら(髪飾り)を三つ作り、高坏に据えて賓客に捧げたという。家持はこの時に歌を詠んでいる。都から離れた、いわば出張先での歓待の席。そこへさらなる心配りで、宴に花を添えてくれる岩竹。家持はそのやさしさを大切に受け取り、かづらをほ