『30女の思うこと〜上海女子物語〜』番外編①もう一人の上海アラサー女子
中国で総再生回数71億回超を記録した、上海在住アラサー女子のキャリアストーリー 『30女の思うこと』
三人の主人公についてはこちら→
右から……
完全無欠の良妻賢母でセレブマダムのジア
仕事も恋愛も手に入れたい、意識高い系女子のマンニー
もうひとつの「上海女子物語」
さて、今回は番外編ということで、メインストーリーでは出てこない、とあるアラサー女性とその家族について。
ドラマの最後の2〜3分で掌編連続ドラマのように登場。このサイドストーリー、毎回必ずあるわけではなく、役柄の名前もなくセリフもなし(サイレント映画みたい)なのですが、展開を地味に楽しみにしていました!
(スピンオフでこの夫婦のドラマが観たい!)
仲良し親子👪
移動屋台で葱油餅などの小吃(軽食)を上海の街角で売っている若夫婦と男の子の三人家族。
ドラマの登場人物たちも、たまにこの屋台で買い物をしている様子が出てきます。人気の屋台なのでしょうか?
また、意外なところでこの家族、主人公達と(本人達も気がつかないところで)接点があるんですよ〜。
夫婦の年齢はアラサーまたはミドサーと思われます。
ジア、マンニー、シャオチンと同世代ということになりますね。
普段から化粧っ気もなくひっつめ髪、地味な服ばかりなので、彼女たちよりも歳上に見えなくもないですが……誰よりも表情は穏やかで、落ち着いて見えます。
男の子の年齢は不明ですが、多分小学校就学前くらいかと。ジアの息子と同じ位かもしれません。ジアの息子と道端で遊んでいたことも。
上海という大都市に住む同世代の女性という共通項はあっても、それぞれの生活は全然違って、悩みもそれぞれ違うのでしょうね。屋台の女性にももちろん悩みはあるはずですが、日々の生活に追われていていちいちゆっくり悩んでいるヒマがなさそうに見えます💦
ドラマの主人公達は、上海のキラキラした、現代的な側面、対照的にこの名もなき女性は、もっと生活者としての側面、時代的にも80年代(日本だと70年代?)的なレトロさが感じられました。
例えば、主人公達は普段から電子マネーで決済していて紙幣や硬貨そのものを出すことはほとんどない生活です。シャオチンは夫婦間でのお金のやり取りもスマホで決済してました。
一方、屋台は現金決済中心で日頃から貨幣をやりとりしています。紙幣や小銭を数えるシーンも。(そういえば、主人公達もこの屋台で買い物する時は現金で支払っていましたっけ)
あるWMの一日
そんな名もなき彼女の一日を。
日の出前に起床して、まだ寝ている息子を起こさないように音を立てないようにして家の狭い台所でその日の仕込みを始める夫婦。
早朝、まだ寝ぼけている息子を連れて屋台を街角まで移動させ、店を開け夕方まで路上で営業、日が落ちて店仕舞いをしたら、また屋台を牽引しながらアパートに帰宅。
文字通り朝から晩まで晴れの日も雨の日も、とにかく働き詰めの毎日です。
お世辞にも綺麗とは言えない、古びた狭いアパートはワンルームのようで、もちろん個室などはなく、三人で川の字になって寝ています。
男の子は保育園や幼稚園に行っていないようです。日中は屋台の隅にいて、仕事をしている母のそばで一人遊びしたり、余り物で作る賄いのお昼ごはん(卵の白身の残りを集めて作った目玉無し焼きとか)を食べたり、時には見様見真似で店の手伝いをしたり、と子供なりに長い時間を静かに過ごしています。
街角の喧騒とは関係なくひとりの世界を持っているかのよう。
母は屋台を切り盛りしている間はずっと忙しいので、息子に構ってやれません。仕事をしながら息子のことをちらちらと気にかけています。
(それでも一度だけ、ちょっと目を離した隙に息子が目の前の車道に飛び出してあわや事故に遭いかけたこともありました!)
忙しい中でも息子に愛情をかけている様子は伝わってきます。
母の頑張りを目の当たりにしているから聞きわけ良くおとなしく過ごしているのかもしれません。この子がとてもけなげでいじらしく思えてきます。
ワークエンゲージメント
彼女とその家族はなぜそこまで頑張れるのか。
なぜなら夢があるから。
この夫婦の夢は、屋台ではなく路面の店で開業すること。
毎日ひたむきに働いている姿に【ワークエンゲージメント】という言葉が浮かびました。
活力 ➡︎仕事から活力を得ていきいきとしている
熱意 ➡︎仕事に誇りややりがいを感じている
没頭 ➡︎仕事に熱心に取り組んでいる
この3つが満たされている状態がワークエンゲージメントが高いということ。
ちなみに、このワークエンゲージメントとは対極の概念が「バーンアウト」だそうです。日本でも「燃え尽き症候群」という名前で知られています。
仕事に献身的に没頭したにもかかわらず、本人が期待した結果が得られないといった不満感・疲労感で社会的活動を停止し、意欲を喪失してしまう状態のことです。
努力も報われてこそ、ですね。そりゃそうだ!わかります……。
店の開業資金を貯めるため、二人は力を合わせて働いて生活も切り詰めています。
少しでも早くお金を貯めて自分の店を持ちたいのです。
男の子が絆創膏で窓に描いたのは、夢のお家。
貧しいことが不幸なのではない
節約のためには、夫の散髪も家で奥さんがします✂️
ある日は、部屋の真ん中に天井から吊るしたビニールカーテン、床には大きなタライを置き、お湯をやかんで沸かしてジョウロに移しかえて、即席シャワーを息子のために用意する夫婦。楽しそうに嬉しそうにシャワーを浴びる男の子。
不便なことも物がないことも、この家族にかかると家族のレジャーに変わってしまいます。
あるものでなんとかする、家族みんなで楽しんでしまう。
貧しくても幸せな人々。
きっとドラマ制作者は、この家族の暮らし向きを三人のヒロイン達の生活と対比させて描きたかったのでしょう。
「物質的に満たされているからといって幸せではない。」
「物質的に満たされていなくても幸せである。」
そうかもしれない。でも、こう単純に対比させることには「貧しさへのノスタルジー」的な解釈をドラマ制作陣に押し付けられているような気がして、ちょっとだけ抵抗を感じる天邪鬼なわたし。
だって、物質的に豊かになりたいから、いつの世も人は頑張れることも事実。お金にしても夢にしても、無いよりはあったほうがいいとは思う。でも、際限ない欲しがりさんはいつまでたっても幸せになれないとも思います。
シェークスピアの『オセロ』でのイアーゴーのセリフです。
「貧しさ」というのは、何を持っている/いないかではなく、すでに持っている物があるにも関わらず、欲していることです。すでに何かを持っていたとしても、満たされていなければ貧しい。欲しがれば欲しがるほど、より貧しく感じるもの……。心の在りようで決まるといってもいいかもしれません。
恵まれたことに気がつかない、気がつけないこと(失って初めて気がつく)が不幸なのかな、と個人的には思いました。
シャオチンの場合は一度失ったからこそ、目の前の幸せに気がつくことができた、とも言えますね。
夢は叶ったのか
この掌編はドラマ本編の最終回前に最終回を迎えました。
ついに、彼らが希望していた、ちょうどいい路面の店舗を見つけることができたのです!
「紅姐葱油餅」開店です!
おめでとう!!
笑顔で働く夫婦。
新しい機械も導入して、テイクアウトの食べ物をシール包装して渡すことができます。(かなり設備投資しましたね!)
お客さんが行列を作っています。新しいお店も繁盛しているようで何より!
男の子はお店の上の部屋(引っ越したのかな)でお留守番です。
窓に絆創膏を貼り付けて、また新しい家や店の計画を立てているのかな?
⬇︎作品情報はこちら⬇︎