トランスジェンダーってなんです?
辞書的な意味で言えば、生まれ持った体の性別と心の性別が一致していない方々のことである。
そしてこの世界には一定数、そのような人々が存在することは理解している。
さて、先日、胸の大きな女性向けブランド「overE」公式SNSでの発信が話題となった。
女性からは称賛の声が、一部の男性と自称トランスジェンダーの女性からは批判、中傷ともいえる声が聞こえる。
なんとも、不思議な事である。
こちらのブランドは「胸の大きな女性のため」というコンセプトのブランドである。コンセプトに則るならばこの発言は正しいと、私は思う。
出来れば商品を購入して支持を表明したいが、残念ながら私の身体ではこちらのお世話になる必要がないので言葉だけの応援となってしまう。
そう、同じ女性ですら、自分はこの店のターゲット、客層ではないと理解している。
それなのにどうして、一部の男性やトランスを自称する人たちにはご理解いただけないのだろうか。
自分がターゲットではない店の動向にどうしていちいち文句を言うのか。
他にも不思議なことがある。
トランス女性を自称する方(大人)が女子高生の制服を着るケースだ。
何を言っているのかわからない人もいるかもしれないが、本当に、いるのだ。40代、50代になって女子高生の制服を着るトランス女性が。
この方が本当にトランスジェンダーだとして、
「中学、高校の当時着ることができなかった女子の制服を着てみたい」
ここまでは私も理解可能である。
制服などはあこがれの対象であるし、かくいう私も一度も来たことがないセーラー服を着てみたい(中高はブレザーだった)という願望がないわけではない。
例えばプライベートで着てもいいよ、と言われたら着てみるだろう。
しかし、その姿で外出、ましてや職場に出勤したり人前に立つか、問われれば絶対りえない。
ましてや、この記事の方のように多感な思春期の子どもの前に立つ、というのはどうにも理解できない。
どうして、その姿を不特定多数の人に見せる必要がある。
例えば女性の格好をすることを認めてほしいなら年相応の女性の格好で出勤すればいいではないか。わざわざ制服である必要がない。
そもそも、学校の先生が生徒たちと同じ制服を着ていたら、それこそ性別に一致したものであっても物議をかもすだろう。
トランスジェンダーだといえばまかり通る、というのがおかしな話である。
公共トイレの利用といい、最近はトランスジェンダーを盾にすれば男性が女性のスペースに立ち入ること、非常識なふるまいをすることが容認されるような傾向にある、と感じている。
(※もちろん認めていない人も多くいるだろうが)
彼らは女性である「特権」なるものは享受するが、女性である苦痛、苦労、不遇、恐怖は享受しない。
人込みや夜道での痴漢と性被害の恐怖、理不尽なキャリア、所有物として扱われる人権の無視、そういったものすべては知らぬ存ぜぬである。
結局は自身の欲(この場合は性癖などが近いだろうか)だけが最優先なのでは?と思わざるを得ない。
LGBTQ、多様性の受容が叫ばれる現代において、彼らはトランスジェンダーとシスジェンダーの間に溝を作る存在だと、個人的には考えている。
彼らのような自称トランス女性によって安全を脅かされるのは我々シス女性であり、ヘイトに苦しむのは真のトランス女性だ。
生まれ持った体の性別と心で自認する性別が乖離しているという状況は私の想像を超える。
現代においては楽しい事より苦しい事、つらい事の方が多いだろうと思う。そういった方々のためにも、そしてシス女性の平穏のためにも、自称トランスジェンダーの常識に外れた行動がこれ以上広がらなければいいのに、と思う。