そうだ、本の話をしよう 竜胆の乙女 私の中で永久に光る
最近読んだ本で衝撃を受けたのはこちらだろうか。
第30回電撃小説大賞受賞の一作である。
「竜胆の乙女 わたしの中で永久に光る」
著者: fudaraku
レーベル:メディアワークス文庫
ISBN: 978-4-04-915522-8
刊行:2024年2月
物語は、三度、進化する。第30回電撃小説大賞《大賞》受賞作。
※以下ネタバレを含みますので自己責任でお読みください。
なお、本作はネタバレなしでお読みになることをお勧めします。
前半はあらすじにある通り菖子と「おかととき」の話が進んでいく。
明治後期という時期に照らしても残酷で不思議な世界観が魅力である。
一方で普通に読んでいれば文章に違和感を覚えるはずだ。
視点が二つある。
俯瞰してみる第三者視点の記述の隙間にまるでその場にいるような当事者の視点が加わる。
しかし、視点の人物に該当する者は登場しない。
菖子でも奉公人でも商物と呼ばれる者達でもない誰か。
そして各節の終わりに差し込まれる不可解な数字に頭をひねりながら読み進めていくと、中盤でストーリーはがらりと変わる。
ネタバレで言ってしまえば、前半は和風のダークファンタジー、後半は現代社会への問題提起といってもいいのでは……。
前半の物語は実はある少年が家庭で虐待を受けていた従妹のために書いた物語であり、そこに受け取り手の従妹が脚色を加えたものである。
つまりこの物語は読者のためではなく、ただ一人の少女のために存在している。
前半の雰囲気を求めてこの本を読むならば肩透かしを食らうだろうし、そうでなくても驚く人は多いと思う。
そういう意味で大賞選考時の賛否を分けるという評価も納得である。
そのうえで、私はこの作品をとても面白いと思った。
後半現れてくるこの作品の題材は学歴社会、受験戦争による家庭の崩壊だ。
物語の受取手である少女もその母親も精神的に疲弊している。
それは家族関係と社会からのプレッシャーが原因だ。
「おかととき」は少女にとっての母親の暗喩であると同時に、少女以外の読者の視点から見ると社会の暗喩にも感じる。
無理難題、理不尽を押し付けられ、時には死ぬような苦しみを感じても死ぬことはない。
まさに現代社会だなぁ……というのが私の感想である。
本作で一つものを申すとするならば母と娘の関係にフォーカスしすぎて父と兄が不在な事である。
たぶんこの家庭崩壊の原因であろう二人には何も不幸な展開は起こらない。
心を壊した少女も、その母親についても無視である。
その理不尽な態度も含めて現代社会への皮肉なのかもしれないけども……。
内心、お前たちが「おかととき」に手足をもがれてしまえ、と思った。
ここまでネタバレを含めて書いてきたが、本作はぜひとも予備知識なしで読んでほしい作品である。