あの頃に戻りたい今と今に戻りたい未来
ニュージーランドの高校に通い初めて1年以上たった。最初は映画でみたような海外の学校に通うトキメキと言葉がろくに喋れない中で授業をうける心配で毎日泣いたり沈んだりしていたけど、今はもうその全てが普通になって私の体に馴染んできた。
毎朝起きてトーストを一枚焼いて、サンドウィッチを作って霧がかかっている中を学校まで歩いて。新しい日常はこうやって普通の日常になって、いつかこの日常を懐かしいと思う日が来るんだなあ。きっとその未来は思っているより近くにあるんだろうけど、実感がわかないから見て見ぬふりをする。
日本で学校に通っていたときの友達の制服の手触りとか、午後体育の後の社会の授業中に窓から入ってくる生温い風と少しの汗と塩素の匂いとか、風がページをめくる音、下駄箱から聞こえる新入生のまだ少し幼い声、虫が教室に入ってきて授業がいったん止まる時、全てが懐かしく思えて戻りたくても戻れないことを実感する。 あんなに学校に行くのが嫌だったのに今はよくわからないフィルターがかかってノスタルジックになる。あんなに普通だった日常がなんでこんなにキラキラして見えるのかな。今のこの瞬間も、この日常もいつか自分はそんなふうに思うのだろうか。
ニュージランドの現地校、毎朝登校すると門の前におばさん先生がりんごをかじりながら”素敵な1日を”って声をかけてくれるのがすごく好きだ。すっごく大きいフィールドにみんなで丸くなって座るランチタイムも。後数年しか過ごせないこの場所と時間がとても大切な物になった気がした
日本にはないものを求めて、日本では無い場所で生活したくて外国にきたけど海外に出たらいきなり自分の心が開放されて自由になる訳でもないし、英語は努力してもなかなか上達しなくて自己嫌悪することだってしょっちゅうある。根本的にはどこに住んでいたって、誰と暮らしていたって自分はあんまり変わらないんだなあ。