私は多分ちょっぴり頭が弱い
五体満足、身体を動かすことが好き、母国語を多少理解できる、
時折センチメンタルで、数は多くはないけれど大切な友人達がいる。
自分で自分の周りを快適にする能力も多少ある。
そして、多分ちょっぴり頭が弱い。
◆社会人5年目の私、よく頑張ってるよ!
通知表によって能力が測られる時代の成績は常に半分より上位で、
世界は自分のために周っていると思っていた。
社会人になり、自分の先を見通す能力の低さ・社会を生きていく能力の低さを目の当たりにし、それを受け入れるまでにかなりの時間を要した。
社会人5年目、良く生き抜いていると思う。
今では私の頭が弱い部分を受け入れてくれる環境に恵まれ(多分人生最高クラスで恵まれている)、心穏やかに生活できる時間が増えた。
◆「近い将来地震が起きるとしたらあなたはどうしますか?」という問いに対して
思い返せば子供の頃から単純な知識をインプット・アウトプットする能力は優れていたけれど、思考を要するジャンルは平平凡凡かそれ以下で苦手としていた。
例えば図工や美術の才はなくて、たまに描いた絵を褒められることがあってもそれは単に模倣したものに過ぎなかったし、
社会の授業で、「近い未来、大きな地震が起こると専門家が言っています。あなたはどのような行動をとりますか?」という問いに対して、質問の趣旨が全く分からなかった小学4年生の私は「コンビニに行ってご飯を買います」と回答するほど頭が弱かった。
(ちなみに正しい回答は、「水を確保する」「備蓄を増やす」「すぐに避難できるようにしておく」「防災グッズを手に入れる」等)
当時の担任の先生にはふざけるなと怒られ、クラスの子たちには笑われた。
私は本当に何を答えれば良いか分からず、必死にひねり出した答えが「エネルギーを摂取する」だけだった。大真面目に。
物事を組み立てて考えることが本当に下手で、何なら発達障害の気があるのじゃないかとさえ思う。
こんな安易に障害があるというと、本当に発達障害の方に悪いとは思うのだけれど……。それほどに私は生きづらいと感じている。
◆「一般的といっても伝わらないんだったね」と言われた社会人3年目
私の思考はよく言えば独創的で、はたから見ると頭がおかしい。
例えば「一般的」だとか「普通」だとか、そういったものが分からない。
社会人になって3番目ぐらいの人生の壁は一般的という概念が分からないことだった。当時の上司は一般的や普通という単語がとても好きな人で、理解できない私は常に具体的な説明を求めていた。例えば〇〇ということですか?と何度も確認していたけれど、いよいよ上司の意向に沿えることはなかった。
最終的に「あなたに一般的といっても伝わらないんだったね」と吐き捨てられた。当時の上司には申し訳ないと思う。
そして今でも一般的だとか普通だとかいう言葉が苦手だ。
自分でもつい使ってしまう単語だけれど、後々反省することばかりだ。
◆◆◆
私は多分ちょっぴり頭が弱い。
けれどもそれが私。
そしてそれが私の長所。
◆◆◆
そう言えば自己紹介記事を書いていないと思い、時間のあるこのタイミングで執筆しました。
ゼロから生み出すことが苦手だけれど、頭がおかしいけれど、
自分と自分の好きな人たちが幸せに生きていけたら良いなと思うのです。
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