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10/14 心と対話する

水の3

『ありのまま。難しい言葉に感じる。つまり、そのまま。鏡の自分を見る。ただ眺める。そこに存在する。良いも悪いも、鏡の中には映っていない。ジャッジする心は、自分が生み出している。目を背けていたら「無い」じゃない。「無いフリ」しているだけ』

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おはようございます。

今日は4時30分に目が覚めました。

こんなに朝早く起きてもやること思い浮かばん…ということで、

「私の心は、私になんて言いたいのかな?」をテーマにカードを引き、

布団でぬくぬくしながら、

ぼんやりと考えていました。


最近、「ありのままの自分」をよく聞きます。

でも私には、「ありのままの自分ってなんやねん」ってしか思えなくて。

耳障りのいい言葉でしかないかなーなんて思っていたのですが、

ふと、とある本の内容を思い出しました(タイトルは忘れました)。


何でもいいから、自分と関係のないものを見つめてみよう。

庭に落ちている枯葉でもいいし、

いつものカップでもいい。

外を走る車でもいいし、

家にある座布団でもいい。

それらを見て、

「ただそこにそれがある」と認識すること。

それが、

ありのまま。

枯葉は枯葉、カップはカップ、車は車、座布団は座布団。

それが、そこにある。

今この瞬間、ここに存在する。

それがありのまま。あるがまま。

枯葉はカップではないし、カップは車ではない。

車は座布団ではないし、座布団は枯葉ではない。

そこにそれらが存在し、

自分と深い繋がりのあるものでない限り、

それらに特段何の感情もわかないだろう。

同じように、

私を私として見る。

鏡に映る自分はただの自分であり、

良い自分も悪い自分も、

好きな自分も嫌いな自分も、

そこには存在しない。

自分は、ただの自分なのだ。


内容は大幅に違いますが、

要は、「それをそれと認識する能力」が、

「ありのままの自分を見る」なのかなと、

個人的には思います。


顔のホクロの位置が、

自分目線では嫌いなものだったとしても、

全く関係ない人から見たら、

顔のこの位置にほくろがある、と認識するだけで、

好きか嫌いかまでジャッジしませんよね?


私が嫌いなものは、

あなたも嫌いなもの、ではないのだから。


こうして心と対話…というより、

心を鏡にしてみると、

何か新しく見えてくるものがあるかもしれません。

自分探しに疲れた方は、

良かったらお試しくださいませ🍀


最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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