ぷかぷかvs観光客
昨日の午前のうちに、名駅まで出てきて予備のメガネを作りに行った。今かけてるものがかれこれ5、6年は使っていて、フレームにヒビのような線が見えてきた。これが壊れたら仕事も生活も読書も支障をきたすのではないかと危惧してた。とはいえ2週間くらい仕事とか言い訳に行くのをしっかりごねたが…
しんせつな店員さんにあたり、好みや相性のようなものを一緒に見てもらえたが、そのうち私にそうした明確な目線がないことがわかり、結局その店員さんのオススメに乗る形に買った。なんだか私は空虚な人間なんだなと唸った。前のとフレームの形は大した違いはないが、これがいい、これはちょっと…という意見に自信がないのか、それに意味があるとは思えないのかもしれない。「自分」がないのか?
と、導入に昨日の出来事を挙げたけれども、こんなところでこんなことを載せているような人間に「自分」を主張しないで何をしているのかと呆れるけれど、自分のことをつまらないと思うようになって、他人様にわざわざまざまざ見せつけて出会おうとするなどおこがましいのではないかという考えが根付くようになった。
ここで活動的に事を行う方々はこんな野暮な事を考えるいとまも必要もないのだろうが、私の場合、特定の誰かを見出した時、想定という妄想をしてしまい、でもそれって自分がこうしたいって欲望か何かで、それを他人に押し付けるのは失礼だし、だから大学のころに説教をしてきた同級生がいたんじゃないかと躊躇する。もちろん、その想定の希釈をうすめてー悪い言い方をすれば期待はしないでー事をなしてうっかり世間様がこうした場で求めるような良い方に進んだこともあったが、このごろは配分がよくわからなくなってしまった。軽薄にしていることがダメージが少ないから、というのもあるだろうが、この変に道徳的な側面と軽薄が曖昧になり、億劫になってことの発端をうつこともなくなってしまった。
他人を解剖して並べたがる大学時代の後輩は私のことをつまらないにんげんではないと言ってくれるが、私は私が抱く幻想についぞ失望しているのか絶望している。私のような人間を幻想家とかレッテル貼りされて至極ひと付き合いが下手な輩とおもわれて当然だろう。けろっと軽薄な水面にぷかぷか浮いていて、ときどきそれを観察してくれる遊覧船の観光客みたいな知り合いがいてくれたらそれで良いのだろうか。私は鴨か。それとも池に沈められたドザエモンか。欲が少ないのか、多いのか、ようわからんが…ないもんはないのか、どのくらいないのか。