ろくでな史3.僕が経験してきたろくでもない?職業の数々「社会人前編」
19歳設備会社
<話がちゃうやんけ!>
19歳の頃、設備会社で設計のアルバイトをしました。
僕は工業高校を卒業して図面の勉強もしたことがあったため、配管工事の図面を描く仕事を担当しました。当時、指定業者が下水工事をする事業が多かったです。依頼があった家を訪問して、必要な配管の距離を計測したりします。ほとんどの場合は先輩社員と一緒に行動していました。
事務所に戻ると大雑把にメモした図を清書します。
それが市役所に提出する図面になるのですが、図面は指示書ではないため現場社員に訂正されることもしばしばあったと思います。現場の人は職人気質で良くも悪くも思い通りに動いてくれません。施工現場を見に行っても、かなり愛想が悪かったです。
図面に慣れてきた3か月目のある日でした。
大掛かりな工事を社長が受注したと聞きました。一般家庭ではなく、道路の本管工事を請けたようです。これは現場の人材が数人しかいない会社にとって明らかなキャパオーバーです。
人手が足りないので他の会社からヘルプが来ました。そして、なぜか内勤の僕まで現場に出ろと言われたのです。これは本当に意味がわかりませんでした。「図面を描くには必要だから」と言われました。
暑さも増してくる5月の中旬、下水道の本管工事が始まりました。
初日はドリルでアスファルトをめくったり掘った土をトラックに積み込んだりしていたのですが、次第に仕事を増やされたのです。
「このままでは現場の人間になってしまう!」
僕は危機感を覚えました。あくまで内勤で入ったアルバイトです。日給は7500円、時給換算すると940円ほどです。その当時の現場の人の日給は12000円から17000円ほどでした。僕との差が大き過ぎたのです。
同じ日給で現場仕事をさせられることに耐えられませんでした。理由を言って辞めさせてもらうことになりました。事務所内では「現場から内勤に戻したほうがいいのでは?」という意見も出ていたそうです。
ただ、今考えれば小規模な会社だったので、ピンチヒッターとして現場に駆り出されたのだと思います。だからこそ、せめて日給は配慮してほしかったです。
僕が19歳の頃はインターネット黎明期です。アルバイトを始めたきっかけがノートパソコンを買いたかったからです。このアルバイトのおかけで30万円の富士通のパソコンを初めて買えました。今、思い返すとアホみたいに高いパソコンです。給料の2か月分がぶっ飛びました。
設備会社アルバイト・・・08:00~17:00 1日/7500円 3か月ほど