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自由という不自由
「自由であることは不幸である」らしい。最近読んだ本にそう書いてあった。
現在の若者の不幸は経済的貧困によるのではなく、本当は自分自身で人生を選択する勇気と知識の欠如によるものなのです。自由であるということは辛いことです。選択を自らしなければいけないという点において、僕たちは不幸なのです。
引用:そろそろ会社辞めようかなと思っている人に、一人でも食べていける知識をシェアしようじゃないか (著:山口揚平)
確かに、そうだなあと自分でも思う。
今は休職中の自分の暮らしとしか照らし合わせることができないのだけれど、この1か月の休みが終わったら、復職するのも自由、転職するのも自由、フリーランスになってみるのも自由、退職してニートになるのも自由なのである。自由ゆえに無限の選択肢があり、その中から自分で決めなくてはならない。当たり前だけど、それが今の私にはしんどかったりする。
現実逃避で、もし、江戸時代とかに生まれていたらどうなんだろうと妄想することがある。生まれたときから身分も職業も大体決まっていて、結婚も親が決めた相手とお見合い結婚。もしかしたら現代よりも楽なんじゃないかと思ってしまう。まあ、歴史上、数々の革命が繰り返されているのを見ると、必ずしも良いわけではないのだろうけど。きっと私の悩みはその時代の人からしたら贅沢な悩みなのだろう。隣の芝は何とやらだ。人間は何か悩み事がないと死んでしまう生き物なのかもしれない。
自由すぎても不自由すぎても不幸になってしまう。
人間とは何とも面倒くさい。
折衷案としてゲームでいうところの「縛りプレイ」というやつが必要なのかもしれない。程々な制約というのは人生にメリハリをもたらす気がする。
例えば私の住んでいる部屋のキッチンはとても狭く、食材を切ることと、焼くことが一度にできない。(正直設計ミスではないかと思っている)なので、できるだけレンジで調理を済むようにしたり、先に切る作業を全て済ませたり、洗い物を極力減らすようにしたりなど、色々工夫しながら料理をするのが楽しかったりする。
大事なことは、この「縛りルール」はあくまで自分で決められるものであることだと思う。キッチンが狭いなら広い所に引っ越せばいい、けど私は他の条件も色々考慮したうえでこの部屋を選んだ。だからこの中で最善を尽くすのである。他人から勝手に指図されたルールは縛りプレイでも何でもない。ただの無理ゲーだ。
この自由な現代を生きるためには、ブレない自分の軸が必要なんだと思う。それが私に「縛りルール」をもたらしてくれるのだろう。
いつか会えるだろうか。
梨女(@xxnashimexx)
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