工場勤務が終わり休職
米粒です!
前回までのあらすじを簡潔に。
・親が嫌いなのと自立したくて県外の工場に行く↓
・交代勤務に身体が慣れず適応障害を起こし抑うつ状態になる↓
・派遣会社から1ヶ月の休職を言われる
今回は休職期間の自分の過ごし方について振り返ります
泣きながら運転した帰り道
派遣の人から休職と言われましたが
3ヶ月ちょいしか働いてないし
帰省でかなりお金を使った自分はそれほど余裕はありませんでした
将来の心配ばかり頭をよぎり
前日の医者と友達の言葉が頭をよぎり悲しくなり
事務所から寮に戻るまで堪えきれずまた涙が出てきました
泣きながらバイクを運転する人ってなかなかいないと思います
この日は2年以上経った今でも写真や動画のようにはっきり思い出せるので
この先も忘れることはないでしょう
話すことで人は楽になる
ただし相手にもよります
以前電話したときに
「鬱とか‥これからどうやって生きていくんや」
みたいなことを言う人はまず鬱に理解がありません
自分の場合は友達は少ないですが
小学生からの親友
高校からの親友
そして愛知に来た初日に一緒にスタバに行った仲の良い後輩
がいました
2/2日、土曜日と2/3日の日曜日は
1日の大半を布団で過ごし
布団に潜りながら高校の友達と後輩と電話していました
高校のときの友達は自分より1ヶ月遅れで違う工場で働いていたので工場の大変さを知っていたようで
「鬱になったなら仕方ないよ、1ヶ月休んでまた頑張ろ!」
と言ってくれて
後輩も
「米粒さんは工場よりもピザ屋のほうが合っていましたよ、体調に気をつけてまた良くなったら会いましょう!」
と言ってくれました
嘘のように回復
2/5日火曜日
前日の4日も派遣の人との面会以外は寝ていたこともあり
ようやく工場勤務時代の睡眠負債が解消されたという感じでした
心療内科を午前中に入れていたにも関わらず朝スッキリ起きることができて時間通りに行くことができ、さらには最寄り駅近くの温泉に行きました
すると嘘のように抑うつ状態は治り、
またバリバリ働けるくらいに回復しました
安定しない生活リズム
しかし次に訪れたのは暇でした
少し前までは必死に働いていたのですが急に仕事がなくなったのですることもなくなり
適当な時間に寝て適当な時間に起きて
深夜に24時間のビデオレンタル店やコンビニに行くこともしょっちゅうでした
やはり安定しない生活リズムは体調を崩しやすくまた下降気味でした
カウンセリング
抑うつになったときに母と姉には報告していたため、たまにラインや電話は安否確認と行った感じで来ていました
そして母から
「お母さんの昔の知り合いが愛知でカウンセリングやっているみたいだけど行ってみない?」
と言う初耳の報告を受けて
その人の会社に行くことにしました
電話をかけてカウンセリングをお願いしたとき、
実際はけっこう予定が詰まっていたらしいです
しかし自分の電話口の声が細かったことで
「これは早くカウンセリングしたほうがいい」
と思ったそうで次の日にカウンセリングを取り付けてもらいました
2/15日、金曜日
寮から15キロほど離れたカウンセラーの方の家に向かいました
本当はバイクでも行ける距離だったのですが
バイクの調子が悪く長距離や愛知の広い道は危ないということで電車で行くことにしました
幸い駅からは歩いてすぐでしたが
電車の乗り換えを3回しないといけないのが厄介でした
早めに家を出ていたので遅れることはありませんでしたがご飯があまり食べれていなかったのでお腹は空いていました
そして到着しカウンセラーの方と会いました
Aさんとします
Aさんは50代前半ほどの男性で普段は個人塾を経営、カウンセラーの資格も持っている方でした
カウンセリングでは
親との仲が悪く家に帰れないこと
工場の派遣が切られ生活が危ないこと
家庭教師の経験があること
歌のオーディションに合格したことがあることなど洗いざらい話しました
Aさんは終始しっかり自分の目を見てすごく心地よいタイミングで相槌を打ってくれて、
以前の話を聞かない心療内科の医者とは大きく違うなと思いました
そしてその日、2月15日はまだ休職扱いで
月末には派遣事務所にまた行き違う工場に行くか派遣会社を辞めるかという選択肢があってそれに悩んでいました
しかし自分の工場のことについて話しているときと塾や歌について話しているときの表情やわずかな声の違いをAさんは見逃さず
「やっぱり生活はかかっているとはいえ、自分のやりたいことをやるのがいいよ。工場は無理して行くところではないし」
と背中を後押ししてくれました
カウンセリングが終わってからは再び電車に乗り途中の商店街で買い物をし寮に戻りました
ここから寮の片付けをしていきます
続きます。
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