Creepy Nuts × 菅田将暉/サントラの歌詞考察
霜降り明星・せいやが言うところの、本来の意味での「第七世代」の代表者であるCreepy Nutsと菅田将暉。
両者は、それぞれHIPHOPアーティストと俳優という別業種のトップランナーであり、本来は交わることはない存在だった。
その二組を繋いだのが「オールナイトニッポン」であり、作家・福田卓也をはじめとするラジオスタッフ陣だ。
福田は両者のラジオをきっかけに『菅田将暉TV(NHK-BS)』や『よふかしのうた ラジオ盤』の構成作家も務めており、両者とズブズブの関係にある。
そんな両者が出会うきっかけは昨年7月だった。『菅田将暉のANN』のオープニングトークで、菅田がビタースイートサンバの直後に再び台本にあるタイトルコールを読み上げてしまったのだ。
過去に、R-指定が複数回このミスを犯していたことから、この日の放送のリアクションメールは、DJ松永の言葉を借りれば「縦軸がR-指定」になったのだった。
そんな福田とリスナーの悪ノリから話は展開していき、以来、両者の番組で文通の如く週に一度ずつの連絡を取り合い、何だかんだあって、8月5日の『菅田将暉のANN』にCreepy Nutsがゲスト出演することになった。そして、その番組内で、菅田が「リスナーのみんな、聞いてるか? 本当に(コラボ曲を)作るぞ!」と明言し、両者のコラボ曲の制作が本決定したのだ。
その後、DJ松永がDMC日本一、さらには世界一に輝いた結果、三人のスケジュールが合わなくなり、なかなか制作に取り掛かれないという良いアクシデントはあったものの、三人でミシュラン寿司を食ったり、「日本一テレフォン」に松永を呼ぶ呼ばないで言い争ったりと何だかんだで親交を深め、6月23日深夜の『Creepy NutsのANN0』内で、翌週の『菅田将暉のANN』放送内で曲がフル尺で解禁となることが発表された。
曲の内容は至って真面目で、HIPHOPアーティストと俳優という両者の仕事に対する思いの丈を歌ったものになっているという。
歌詞について詳しく見ていこう。
この部分では一行ずつHIPHOPアーティストと俳優を対比している。
「HIPHOPとは自分の“リアル"を歌う音楽だ」とよく言われる。この"リアル"という抽象的な言葉の解釈の違いのせいで、「誰々はリアルじゃない、フェイクだ」「セルアウトだ」という不毛な議論が起きるわけだが、R-指定はリリックの中で自分の中の"リアル"とは「私事」を吐露することだ、と説く。
白紙にペンを走らせて、「私事」とそれにまつわる思いを吐くことで紙を黒く塗り潰していくのだ。
また、Creepy Nutsは無法者や無頼漢として警察と対立してヘッズからのプロップスを得るのではなく、ナード寄りの立場からHIPHOP界隈で名声を高めてきた。常識に立ち返って考えれば、可笑しい話なのだ。法を犯すことが是とされる世界は普通ではない。むしろ、「合法的」に音楽でトぶと歌い上げるのが異端として扱われてしまっている。そんな世界で彼らは藻掻き続けてきた。
しかも、苦労して紡いだその言葉も、不意に放ったフリースタイルラップも、真意はなかなか上手く伝わらない。もどかしいことこの上ない。
それに対して、「俳優」という単語を大辞泉で引いてみると、
「舞台に立って、また演劇・映画・テレビなどで、演技することを職業としている人。」
と出てくる。自分の本当の感情を押し殺し、役に入り込んで泣き、役に入り込んで笑う。
その役は自分の本当の姿ではない。それでも、プロとしてその役そのものになるのだ。台詞だけに限らず、眉毛の動きに目線の使い方、指先、足先にまで神経を張り巡らせ、役の感情を身体全身で表現する。
しかし、ゲスな週刊誌には付け回され、どこで発生したかも分からないアンチは詭弁暴論を吐き、暴れ回る。そんな日々が続けば精神がすり減っていくのも当然だろう。
韻について。
「なやみ事」「隠し事」「私事」「書く仕事」「なやみ事」「隠し事」「やる仕事」「白紙ごと」「吐く仕事」「泣く仕事」「わらう仕事」「なる仕事」「傾奇者」「おたずね者」「藻掻く仕事」「あらぬ事」「よからぬ事」「病む仕事」「伝わる仕事」「しまう仕事」で[aaioo]を基本線に脚韻。
また、その中の「隠し事」「書く仕事」で[kakushigoto]、「白紙ごと」「吐く仕事」で[hakushigoto]で子音踏みが気持ちいい。
その間に、8分に合わせて「ならずに」「何故か」で[na]で子音踏みの頭韻、「不要」「ひとつ」で[ou]、「全て」「伝えて」で[te]にアクセントを置きつつ踏んでいる。
「かきたてられ」は「(あらぬ事よからぬ事を記者に)書き立てられ」「(不安な感情が)掻き立てられ」というダブルミーニング。
「笑顔」の部分で菅田が笑う声が録音されている。
DJ松永の細やかな遊び心が光る。
先程とは打って変わって、ここからはHIPHOPアーティストと俳優、その両者に共通することが述べられている。
片やオーディションで、片やバトルの現場や音楽チャートで、はたまた関係者やファンの評価で、両者は仕事のたびに大勢のライバルを蹴落として今の位置にいる。
それには自分を大きく見せることが必要で、時に大言壮語極まりないこともある。
それでも、そんな自分の現状と周りからの評価を冷静に見つめつつ受け入れなければいけない。
そして、両者に共通するのは、自分たちを見聞きした客の心を震わせることを生業としているということだ。
演技、歌唱、演奏、曲作り、ラジオパーソナリティ、バラエティ出演……
その一挙手一投足に人は泣き、笑い、自分の姿を投影するのだ。
人の感情以外は何も生み出せない。たかが人の感情、されど人の感情。人の感情を動かせる仕事に誇りを持っている、とR-指定は歌う。
韻について。
先程からの流れのまま、このVerseは「~仕事」の脚韻で最後まで突っ走る。
その中で「自分を正当化する仕事」「自分を過大評価する仕事」で[jibunwo/o-asurushigoto]で頭韻&脚韻。
「自分を認めさせる仕事」「泣かせる仕事」「わらわせる仕事」「勝手」「重ねる仕事」で[aaerushigoto]で脚韻。
「人の感情」「何ひとつ」で3/4拍目に[ou]で脚韻。
続いてHOOKに移る。
HIPHOPPERでも俳優でも、結局はただの人だ。
本当の姿は大きなスクリーンやテレビの画面の中の主人公なんかとは違って、人並みの生き様を晒して周りの人に光を当ててもらっているだけだ。
それでも、そんな自分を肯定したいとR-指定は書く。"今は"ありふれた生き様を晒している。HIPHOPPERとして、俳優として一段一段ステップアップして、いずれはワナビーの頃に描いた絵空事を真実に塗り替えてやる。
大ホラ話に思われるような夢物語に真実味を加えていけるのは、自分だけだ。
韻について。
HOOK前の「Ey!」と「映画」で[ei]で踏んでいる。
「みたいな」「そだちや」「みたいな」で[aia]で脚韻。
「人生って」「手で」で[ee]で踏み、「つくりばなし」「行くしか無い」で[uuiaai]で脚韻。
さらに、[aai]を続けて「外側に」「物語」で[ooaai]で脚韻。また、「無謀な」の[oa]とも絡んでいる。
Verse2へ。
Verse1では菅田将暉とCreepy Nutsの「仕事の対比」が軸となっていたが、Verse2では「ありのままの生き様」と「(アーティストとしての)人生」の対比が描かれる。
Rの場合、ペンやマイクを掴んだ瞬間にただの人からラッパーになる。
松永の場合はターンテーブルに触った瞬間。
菅田の場合、舞台の幕が上がる瞬間や、撮影が始まる瞬間。
人前に出て何かを表現することを飯の種にするというのは普通ではない。
三人とも、世間がよく言う「勉強して良い大学を出て良い企業に就職して…」という世間体が良い道を選ばなかった。他人から見れば異常かもしれない。それでいて単純で繊細で、たまに自惚れていた平凡な自分に気付かされて自己嫌悪に陥る。
だからこそ、自分が出来る精一杯を生きたい。
自分が考えうるMAXを世間様に提供して、それでも飽き足らずにプライベートを切り売りして、俯瞰して見れば恥ずかしいと自分で思ってしまうことにも全力で挑んで、見世物として平和や愛を届けるのだ。
「持てば」「握れば」「落とせば」「上がれば」「立てば」「かかれば」で[(a)ea]で脚韻。
「最強」「単純」「最低」「ヤツ」で[a]でアクセント。
「繊細」「平凡」で[e]で頭韻。
また、「最低」「出して」で[aie]で踏んでいる。
「~なヤツ」「飽き足らず」「恥部を晒す」「幾度となく」「自分を笑う」「ピース ワンラブ」で[(iuo)aau]で脚韻。
果たして、この道で生きていくと決めた頃の自分は、今の自分を見て何と言うだろう。今、自分は胸を張って生きている。でも、あの頃の自分に恥じない自分でいられているかどうか自信がない。
これから先はどうか。
栄枯盛衰が激しいこの業界で、少し時間が経ったら移り気な世間から忘れられて細々と死んでいくのか。それとも、のうのうと生きて子孫に少しは金を遺してやれるのか。
今はまだ分からない。分からないからこそ、今を全力で生きていくしかない。
「27club」という伝説がある。
Rolling Stonesのブライアン・ジョーンズ、ジミ・ヘンドリックス、Nirvanaのカート・コバーン、エイミー・ワインハウスら超有名ミュージシャンは、若い頃から多くの伝説を遺して、計ったかのように皆27歳で死んだ。
この曲の制作当時、菅田将暉は27歳、R-指定は28歳、DJ松永は29歳と、皆無事27歳を迎えることが出来た。
しかし、安堵と同時に少し寂しかった。27歳を超えて生きていることは、自分が伝説の存在ではないという事実が胸元に突きつけられているかのように思えたのだ。
だから、26歳最後の夜は、翌朝自分が目覚めないことを少しだけ期待してしまった。けれど、当たり前のように27歳最初の朝はやってきた。
ただ朝起きただけなのに、自分はまだ生きていく必要があるのだ、と思わされたような気がした。
(※7/15追記)
R(と松永と菅田)は「自分が伝説の存在ではない」現実を改めて認識することが怖いから、審判の歳である27歳になる前に死ぬことで世間に予防線を張りたかった。
しかし、何事もなく27歳を迎えたことで、命ある限り自分の命を全うしていこうと決めた。
つまり、
「27歳になる瞬間」イコール「くよくよ悩んでいた過去(26歳まで)の自分から生まれ変わり、仕事や人生に対する考え方に折り合いをつけて前を向いた瞬間」
27→28になる瞬間の話の方が解釈としてすんなりいく、というのも分かるが、現在菅田将暉が27歳で、27→28になる瞬間を描くと話が噛み合わなくなってしまうので、26→27の話だと解釈した。
R-指定が梅田の歩道橋の上で毎週末サイファーをしていた頃、仲間のひとりに「ぺっぺBOMB」というラッパーがいた。
彼は2018年に自殺してしまい、今はこの世にはいない。
梅田サイファーの『Never Get Old』というアルバムの中に「エピソード」という曲がある。
この曲は梅田サイファーの面々がぺっぺBOMBとの思い出を歌にしたもので、恐らく「連れ」という歌詞は彼のことを指している。
彼や身内が亡くなった時のことを思うと、少しでも己が死ぬことを期待した自分が嫌になる。
だから、R-指定は、自分が生きている間は全力で生き続ける。
そして、ライブハウスやクラブ、テレビ番組から「どう?調子!」とスピットし続けるのだ。どれだけ遠くにいる人にも声を届かせて、感情を動かすために。
「みとめてくれるか?」「惚れてくれるか?」で[oetekureruka]と脚韻。
また、「こんな」「おれを」「みとめて」で[o]にアクセントを置き、「俺」「惚れ」で[oe]で踏んでいる。
「誇り」「残り」で[ooi]で踏み、
「パッと」「くさって」で[a]、「散って」「じっと」で[i]にアクセントを置いている。
「6」「夜」で[ou]、
「7」「朝」で[aa]、
「最後の」「最初の」で[aioo]で踏み、
「目が」「覚めた」で[me]にアクセントを置いている。
「旅」「立った日」で[tahi]の子音踏み。
「身うち」「あっち」で[chi]にアクセント。
「ステージのうえから」「画面の向こうから」で[e-ou/aa]で踏んでいる。
また、最後の「どう?調子!」というフレーズはCreepy Nuts「月に遠吠え」からのセルフサンプリングだ(「月に遠吠え」はR-指定ソロアルバム『セカンドオピニオン』収録の「使えない奴ら」へのアンサーソングだと思うのだが、今回は省略する)。
ありふれたOne dayは
記憶の中光るbetter days
文字通り内側だけ向いてたあの輪の中に
互いの傷さらし合い 笑ってた真夜中に
着信、折り返し。最近、どう調子?
バタバタしててが口癖また帰るわ近いうち
俺が「ただいま」じゃお前は?
(「月に遠吠え」より抜粋)
10年たった今も梅田サイファーの仲間たちとの関係性は変わらず深いことが読み取れる。
また、「27club」に関する部分だけ1オクターブ下で菅田がユニゾンしている。
HOOK2へ。
何かに取り憑かれたかのように「全力で生き続ける」彼らは、「自分だけの生き方」を探しながら、一歩ずつ踏みしめていく。
あの日描いた夢を捨ててしまえば楽だろう。
でも、自分でこの道を選んでしまった以上、後はどうにかもがいて道を拓いていくしかない。
そのために、世間が敷いたレールから脱輪した彼らの車輪は止まることは無い。止まってはいけない。荒れ地の中をひたすら進み、ひとつの轍を作るのだ。
「張り上げ」「震わせ」「見ひらいて」「たぎらせ」「書き上げ」で[aiae]で脚韻。
「生々しく」「自分」で[iu]で踏んでいる。
「夢なんて」「見なけりゃ」で[ae]で踏み、
「こうして」「もがいて」で[te]にアクセント。
「苦しまない」「行くしか無い」で[uuiaai]で脚韻。
その[aai]と絡めて「向こう側に」「この轍」で[o-aai]で脚韻。
そして、「レール」「付ける」で[e-u]でも踏んでいる。
Verse3へ。
「ライツカメラアクション」とは、掛け声の「よーいドン」のようなもので、映画業界用語から転じてHIPHOPでもよく使われるフレーズ。
この場合、「アクション」がかかるその瞬間は一瞬だけれども、そこまでに積んできた経験や舐めてきた苦渋は計り知れないという意味だろう。
いくつもの朝と夜を超えて、シーンの切り替えやカットも数多経験した。
清濁併せ呑み生き馬の目を抜く世界を潜り抜け、今、周りにはたくさんの大人がいる。
この先、自分の末路は分からない。
自分たちは、これからかかる「アクション」の合図を待っている。
自分を待っていてくれるたくさんの人たちの耳に届けるため、全力でこのカットを演じようと思う。
「いくつもの」「行き着く」「一枚」で[iuuoo]を軸に不完全韻。
「カット」「ファクト」「末路」「アクション」で[auo]で脚韻。
HOOK3へ。
最後はHOOK1とHOOK2を再び歌う。
違いはいくつかあるが、大きく二つ上げるとすれば菅田の歌い方が変わっていることとRとユニゾンしていることだろう。
Verse2までで「仕事とは?人生とは?命とは?」という自問自答が解決し、HOOK2以降は吹っ切れている歌の湿度を声で表現している。
がなるような荒々しい歌い方から、愚直さや武骨さがひしひしと伝わってくる。日本トップクラスの俳優の面目躍如だ。
また、菅田とRの声の相性がめちゃくちゃいい。
二人の声が映えるバキバキのバンドサウンドに仕上げた松永にも脱帽する。
そして、R-指定は他人との共通点を掬い上げて歌詞に落とし込むのがとにかく上手い。
HIPHOPPERと俳優という対比もそうだが、この曲の歌詞全体を通して見ると、どんな人間でも共感し得る人生賛歌に仕上がっている。
個人的には「夢なんて見なけりゃ苦しまない/それでもこうしてもがいていくしかない」の部分に食らった。
「サントラ」というタイトルはこれ以上ないものだと思う。
「サントラ」とは映画業界用語で、劇伴音楽や付随音楽を指すサウンドトラックのこと。
人生賛歌として、「聞く人の人生を応援するサウンドトラック」という意味。
また、DJ松永×R-指定×菅田将暉という最強の三人のトライアングルという意味にも取れる。
そういう意味でも、すごくいいタイトルだと思う。
☆
この曲が解禁された6月29日の『菅田将暉のANN』では、もう一曲解禁された曲があった。
しゅーじまん「standby」
こちらも福田が作家を務める三四郎のANNから、Rと菅田の"マブダチ"でもある相田が勝手に曲を作り勝手に解禁日をこの日に設定したのだ。
果たして、しゅーじまんもCreepy Nutsや菅田将暉と同様に、「standby」一曲で「Mステも紅白も射程圏内っちゃ圏内」に辿り着けるだろうか。
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