見出し画像

[読書日記]ブラックボックス/砂川文次

「うまく言えないんだけどね、おれも確かにおんなじ毎日だった気がするんだよ。今もね。でもやっぱり前のときも今も、これからもちょっとずつ違ってる気がするんだよなあ」

「ほんの少しだけ違うことをさ、認めるだけでおんなじような毎日が、だから変わっていくんじゃないかなあ。おれもさ、ずっと変わらない毎日を変わっちゃいけない毎日だと思い込もうとしてたから苦しかった気がするんだよなあ」

同じ毎日を生きていく苦しみ。普段何気なく生活していく中で、通奏低音のように横たわったているその苦しみ。ここでないどこかへ行きたいという誰しも一度は思う欲求に、ひとつの出口を提示してくれるのが本書だと思う。

タイトルのブラックボックスについて、本書では次のように触れている。

ブラックボックスだ。昼間走る街並みやそこかしこにあるであろうオフィスや倉庫、夜の生活の営み、どれもこれもが明け透けに見えているようでいて見えない。張りぼての向こう側に広がっているかもしれない実相に触れることはできない。

見えているようでいて実は何も分からない。そんな日常の風景をブラックボックスだと言っている。
逆に言えば普段何気なく見ている風景の中に、うかがい知れない何かがあるということなのかもしれない。

主人公のサクマがバイシクルメッセンジャー(自転車を使った速達便)をしている様子が前半で描かれ、後半はある事件をきっかけに刑務所で過ごす様子が描かれる。

前半のメッセンジャー時代に、後輩の横田が、ループとゴールについて触れる。

「いやサクマさんはいいんですよ、色々経験してるしもう同棲もしてるしなんかゴール見えてるっぽくないですか?」
(中略)
「ぼくもこのループから早く抜けたいです」

サクマは以下のように応える。

「抜けれるんかねえ」
今度はサクマの方が自分に問うように応じる。これについては結構淡白だ。こんな日々を積み重ねた先にあるものは、やっぱりゴールじゃないという気がしている。どんな日々を積み重ねたら納得できるゴールがあるのかは分からない。ひょっとすると積み重ねるという行為はゴールから遠ざかっていくことなんじゃないか、とも思える。一攫千金を夢見るのと同じばかばかしさが、積み重ねを拒否する行為には備わっているのは分かっているけれども、でも自分もここから抜け出したいとは思っている。

前半部分でサクマはこのように毎日の積み重ねはゴールから遠ざかることのように感じている。しかし、後半では異なる考えを持つようになる。
冒頭の引用はその後刑務所で過ごすことになったサクマが同じ房の向井から聞いた言葉だ。

同じような毎日の中で、それでも違う毎日だと自分の認識を変えることでこの苦しみから抜けることが出来るというこの台詞は、ループを抜けた先のゴールは日々の中にあると示しているように思う。
これこそが本書の大きなメッセージのひとつではないだろうか。
まるで仏教の悟りでも開きそうな思想だが、歎異抄が登場することからもあながち間違いではないのだろう。

さて、主人子のサクマについて少し。
彼を単に厄介な人物と語ってしまうのは簡単なことだろう。表面的には間違っていないと私も思うが、歎異抄の言葉を借りるなら”さるべき業縁のもよおせば、いかなる振る舞いもすべし”と言ったところか。
常に劣等感に苛まれているからこそ、役人に笑われたように感じて、怒りを抑えることができなくなってしまう。
この物語はコロナ禍の非正規労働者のリアルを描いたものだと言われている。
環境というのは本当に人を変えるし、そこに留まらせるチカラがあると私は感じる。
サクマはちゃんとしたいという気持ちとは裏腹に、常に感じている鬱屈とした感情のために自分が許せない事柄に出会った時に怒りを制御できない。
それは決して彼の本性が粗野だからなのではなく、環境がそうさせているのだと私は思う。

前半のメッセンジャー部分が疾走感を持って読み進められるだけに、途中からの落差と時系列がぶれる書き方に困惑した方が多くいるように感じた。
しかし何度か読み直すと本書が書きたかったブラックボックスがだんだん形を持ってくると思うので、もし既読の方もこの機会にもう一度読んでみてはいかがだろうか。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集