鬱々しく、美しく
先に言っておくが、これは詩でもなんでもなく、ただの日記だ。
切り替えが得意だとは自分でも思う。
楽しい時はハイテンションだし、思い悩む時はとことん深く堕ちる。
先の見えない夜なんて幾度となく経験してきた。
そんなものは現代を生きる者、皆そうであろう。
重苦しい夜を何度も超えてくるのが当たり前で、それが正しいことだ、というどこにも記載されていないし、ましてや誰から聞いたでもないことを頭に植え付けながら生きている。
なんとも言い難いもやもやした感情に襲われる。
だが、こんな生きづらい世の中で生きている人々は本当に素晴らしいのだと。そして儚い存在だということを忘れてしまうくらい目まぐるしく日々が過ぎていく。
今日は私の話をしにきた。
私が勇気を出した話。
私のこれからが少し変わった話。
それが今日だった。
学校で授業を受けながら思う。
あぁ、私はやはりどうしようもないくらい侵されているのだ、この医療系という学問に。
私の将来なる職業は作業療法士。
(以下、OTと略す。)
リハビリテーションの印象が強いだろうが、時と場合によっては精神面のケアをする仕事につくのだ。それが理学療法士との大きな違いであろう。カリキュラム上、精神OTという科目を毎週水曜に必修で受けている。どのような患者を相手にするのかを学んでいく日々に、どうしようもなく憂う。
患者の精神状態を面接やコミュニケーションを通してリカバリーする、そのアプローチ方法を考える。
冗談じゃない。
自分の精神状態さえコントロール出来ない人間が、人様の精神の問題に口出しできるわけがなかろう。
毎回そう思っている。
統合失調症や鬱病など、基本的な精神系の病気を学んでいく中で、「あぁ、これは自分にも当てはまるな。」などと思う。そんなものは全員いくつか当てはまるであろう。それをどう捉えるか、日常生活に支障をきたすかが判断基準になってくるのだ。
話は少し変わって、昨日の実技テストのことである。
自身の評価が終わり、先生からのフィードバックに入った。
「目を見て話してないもん。」
そう言われた。その時は、何を言っているんだ?と思った。
目を見て話すことを意識したし、話しながらも見れている自覚があったため、少し反論しそうになった。
でも1日、日を置いて考え直してみたら気づきを得た。私は自分が思っているほど周りを見れていないのではないか、と。見れているつもりでいて、相手からしたらそうではなかったのだ。
自分の長所は周りを見て、察して早回りした行動ができることだと思っていた。気を遣い、その人にあった言葉がけやコミュニケーションをとれることだと。その人に向き合い、人の心を、考えていることを読み解き、そこからアプローチしていくことが得意分野だと思っていた。
精神系なんて出来るわけないと今は言っているが、私は高校時代、3年間ずっと文系だった。何故なら心理系の進路を目指していたからだ。その頃から人の心を開かせる、相談に乗る等のことは得意だと思って生きてきていた。むしろそれしか取り柄がないと思っていた。
だがどうであろう、実際に向かい合っている人はそうではなかったのだ。目を見てくれない、会話に置いていかれてしまう、ちゃんと話を聞いてくれているか分からない。そんなことを言われてしまった。この6年、私が豪語してきた自分の強みとは一体なんだったのだろうか。もうなんの自己紹介にも使えなくなってしまった。
こういった気づきを与えるためのテストであったため、先生側からしたら満点すぎるくらいの構成であろう。だが、私にとっては重すぎた。
重すぎたんだ。唯一、患者と向き合う際に自分の強みだと思っていたことが、強みではなかったどころか、他の人より劣っていたのだ。私の心を壊すのには十分すぎる事実だった。
一言も褒めてもらえず、賞賛するところがなかった私は、ボロボロにダメだしだけをされてブースを後にした。泣きそうになりながらペアの子のテストが始まったため、隣に立って私も評価をする。びっくりした。自分とは似ても似つかないほどの出来であって。何をとっても優れていて、先生もべた褒めであった。終わったあとに隣の私がやっていたブースから声が聞こえてきた。
「素晴らしい!!!」
さっきまで私を評価していた先生が私の次の子に送った一発目の言葉だった。
致命的な一打であった。
私はここにいる誰よりも何も出来なくて、向いていなくて、居た堪れない。
一刻も早く抜け出したかった。私はここにいてはいけない。みんなの邪魔をしてしまう。早く何処か別のところに消えたい。
恥ずかしさと後悔と自責で押しつぶされそうだった。
このまま此処でみんなと学び続けていていいのだろうか、こんな劣等生がクラスにいては、品性を下げてしまう、評価を落としてしまう。大学ブランドが著しくある学校であるからこそ、その名前を背負っていく自信が、1ミリたりともなくなってしまった。なんでこんな恥ずかしい人間なのに生きているのだろうか、消えてしまった方が誰も迷惑をかけずに、お手を煩わせることもなくすむであろう。本当にやるせない。
それから96時間、何も食べれなかった。
ダイエットをしていたから、ということもあるが、完全なる意気消沈であった。
そして今日、唐突に思った。摂食、浪費癖、自傷、ここまできているのだから、もうそろそろいいのではと思った。もう抱えなくても、1人で戦わなくてもいいのかな、なんて。
揃いすぎているんだよ、あの病気の判断基準が。
冒頭でも言ったが、私はどうしようもないくらい侵されている、医療学生という立場に。
分かっているんだ、自分がなんなのか、どこまでマズイ状況なのか。ダサすぎるって、ダサいよほんと。そんなので折れて診察しにいこうなんて気持ちがもう、ダサい。でも無理だった、行こうと思った。2年ぶりの訪問だった。
思っていたより医者は話を聞いてくれた。
パパママごめんなさい、遺伝系問題ないのに私が突然変異でだっさい病気を疑われてしまって…
そして診断された。
"双極性障害"であると。
知っていた。知っていたからこそきたくなかった。認めたくなかった、認めたら病気のせいにしてしまう、自分が弱いのが原因なのに、何も出来なくて取り柄もないが故に落ち込んでしまう私が悪いだけなのに、と。でももう、しっかりとレッテルを貼られて楽になりたい気持ちもあった、ここまでずっと一人で頑張ったんだから、もういいよねって。先程医療系に侵されているといったが、わかっているが故に行きづらかった。
担当医は言う、「勉強してるかな?わかる?」と。
わかるに決まってる、分かるからこれなかったんだ。心の中でそう返す。精神OTで双極性障害をやったとき、これだと思った。あまりにも自分すぎた。だが目を逸らした。見ないフリをした。
だが頭のどこかでずっとこびり付いていたそれは、私の心が折れた時に花を咲かせた。
これでよかった、今はそう思える。
双極性障害の中でも二型で、私は躁と鬱のスパンが短いタイプだった。躁が2日ほど、鬱が4-6日というサイクルで回っている。通常とは少し離れたタイプらしい。通常は躁が4日ほど、鬱が2-4週間続くのだそう。私は波が激しく、コロコロするのでその分、人より疲れやすいのだとか。
担当医に、「波が激しいんだ、凄くしんどかったろう、よく来てくれたね。」
と言われ、涙が込み上げた。
辛かった。
苦しかった。
しんどかった。
ずっと1人で戦ってた。
戦い続けていた。
それはこれからも続くことなのだろうけど、1人で病気と戦うのはあまりにも酷だった。もう、いいんだ、そう思って私はここにカミングアウトすることにした。別に知ったからといって周りにどうこうして欲しい訳でもなく、何も変わらなくていい。むしろ変わらないでいて欲しい。
抱えきれなくなった時はまた吐き出しに来るから、ただ、そっと見守っていて欲しい。
長々とカミングアウトに付き合って頂き、恐縮である。今はこの病気に負けずに、まだ生きていこうと思えている。それがいつ変わるかは私にも分からない。だから今日という1日を、大切に生きようと思った。いつか唐突に終わらせたくなる日がくることを念頭に、私は過ごしていきたい。
美しく、共存していきたいのだ。
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