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「暇は『ある』ものではなく『作る』もの」切通理作氏(批評家)『暇』2023年11月号
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フリーの物書きとして、いつ急な依頼が来ても受けられるような身体でありたく、かつ、常に何がネタになるのかわからないという刺激的な緊張の下、「貧乏暇なし」を身上としていた。一方で古本屋などに入り時間を忘れたような気になる事で、一息つく精神性も潜在的には持ち合わせていたが、「自分は忙しいのだ」という自負も一方であったのだ。
4年前に古本屋(かつては貸本屋)の阿佐ヶ谷ネオ書房を引き継いで、さらに今年から、神保町で「ブックカフェ二十世紀」としてやっていた場所を「ネオ書房アットワンダー店」として任されることになり、「忙しさ」の意味に、精神的なものだけではなく物理的なものが加わった。
「営業時間」という、決してタイムシフトできない責任。店に出ている時間だけではなく、家に帰っても経理など諸々あり悲鳴を上げたくなるが、それでもなんとなく、人には任せたくない。
そうこうしている間にも、阿佐ヶ谷店のみだった時代から、「暇」を携えて出入りしてくれていた杉本健太郎さんが、神保町店のカフェで椅子に座り、ビール小瓶とツマミでくつろいでいるのを見ると心癒される。
だがある時、神保町店で個展をやってもらっているアーティストの久喜ようたさんから「実は杉本さんって、いつも忙しいらしくて、『暇は作るものだ』と言ってましたよ」という個人情報を仕入れた。
暇というものは、あるものではなく作るもの。私は、人にそれを提供する側にもなったのだ。
私の中にも「暇空間」が息づき、育っているのを感じられた。