【つの版】日本刀備忘録32:宝剣還海
ドーモ、三宅つのです。前回の続きです。
鎌倉時代前期、近江守護に討伐された柏原弥三郎は、後世に伊吹山の神と結び付けられて「変化の者」=鬼となりました。さらに酒天童子や八岐大蛇とも関係付けられ、酒天童子の父であるとの伝説も生じることになります。
◆龍◆
◆王◆
伊吹童子
室町時代には『御伽草子』と総称される物語集において、伊吹山の弥三郎と酒天童子が結び付けられました。ここでの弥三郎は鎌倉幕府の御家人ではなく、代々伊吹山の神を祀る氏族の末裔とされています。しかしこの神は神代に出雲に棲んでいた八岐大蛇の霊で、酒や獣肉を好む悪神であったため、弥三郎も幼い時から酒や獣肉を好んで食らい、足りねば人里から家畜を盗んで来て食らうという悪党として恐れられていました。
その頃、大野木(柏原の北)の長者の娘が何者かと密通して妊娠しましたが、娘は通う者の正体を知りませんでした。そこで長者は「糸巻き(苧環)に巻いた糸を針に通し、次にその男が来たら彼の衣の裾に針を刺しておけ」と助言します。男が来た翌日にこの糸を辿ると伊吹山へ続いていたので、通っていた男は弥三郎であると露見しました。彼は大酒飲みの暴れ者でしたが、姿は美しかったのです(同様の話は古事記にあります)。
長者は娘を盗賊に孕まされたと知って激怒しますが、討伐隊を差し向ければ返り討ちに遭うか逃げられるでしょうし、報復に何をされるかわかりません。そこで長者は再び一計を案じ、弥三郎を娘の婿にすると称して自分の邸宅に招き寄せ、宴を開いて歓迎し、彼に大酒を飲ませて酔い潰すことにします。弥三郎は上機嫌で大酒を呑み、八岐大蛇よろしくぶっ倒れて寝入ったため、長者は彼を寝所へ担ぎ込み、脇の下に刀を突き刺して暗殺します。
やがて娘は弥三郎の忘れ形見である男児を出産しますが、生まれながらに髪も歯も生え揃い、目を見開いて人語するという「鬼子」で、長者たちは恐れて彼を伊吹山の谷底へ捨ててしまいます。しかし彼は山の鳥獣たちに養育されてすくすくと育ち、薬草の露を舐めて怪力と仙術を得、長じるや大酒飲みの暴れん坊になったため、人々は彼を「酒呑童子」と呼びました。のち伊吹山を追われて比叡山に遷りましたが、伝教大師の法力と山王権現の神力に敗れて追放され、さらに西の大江山に移り住んだといいます。とすると弥三郎は鎌倉時代どころか平安遷都よりも前の人物となります。
風水龍王
しかして、西国の出雲で倒された八岐大蛇が、なにゆえ東国の伊吹山の神に収まっているのでしょうか。この説は軍記本『平家物語』の異本で14世紀頃に成立した『源平盛衰記』剣巻に現れます。鬚切や膝丸の伝説もこの巻に見えますが、いま天叢雲剣について語られている部分を訳してみましょう。
草薙剣の来歴の大筋は古事記や日本書紀と同じですが、記紀には見えない話が付け加えられています。また天智天皇の時に起きた「草薙剣盗難事件」も続いて語られ、やはり日本書紀には見えない話が付け加えられています。
大江匡房(1041-1111年)の著した『筥崎宮記』にも同様の説話がありますが、ここでは道行を蹴殺したのを宇佐八幡としており、摂津の住吉明神が駆けつけるよりは近いでしょう。八剣大明神とは熱田神宮の別宮で草薙剣を祀る八剣宮をいいます。この事件の後、天武天皇が宮中に熱田から草薙剣を持ち込みましたが、祟りがあったため熱田に戻し、宮中にはレプリカ(後の宝剣)を置いて天皇の即位式に用いたとされます。
宝剣還海
そして時代は下り、源平合戦の時に壇ノ浦で宝剣が沈んで失われたことについての由縁が語られます。
宝剣とともに壇ノ浦に沈んだ安徳天皇は、天叢雲剣の本来の所有者であった風水龍王=八岐大蛇=伊吹大明神の生まれ変わりであり、草薙剣(のレプリカ)を取り戻して龍宮に戻ったというのです。この伝説は『平家物語』にも見えますし、それ以前の承久の乱の頃に編纂された天台座主慈円の歴史書『愚管抄』にはすでに現れています。幼い天子が平家に連れ去られて海中に没し、三種の神器の一つが失われ、後鳥羽天皇らが宝剣なしに即位したという異常事態に納得のいく道理をつけるため、新たな神話が作られたのです。
そもそも草薙剣を祀る熱田大宮司家は、源義朝(頼朝の父)や足利義康(足利氏の祖)に娘を娶らせていました。熱田神宮は不破の関の東の尾張にあるのですから、少なくとも東国の支配権を朝廷から委ねられる理屈付けにはなりますし、日本武尊を持ち出せば、日本国中を武力で平定することの前例にはなります。さらに朝廷・天子が武力の象徴たる剣を失ったことは、平家に続いて武家が政権を牛耳ることを正当化するにはうってつけでした。
ただし愚管抄にも平家物語にも、八岐大蛇が伊吹大明神となって日本武尊を襲ったという話はまだ見えませんから、その部分は源平盛衰記が付け加えたのでしょう。また「生不動」を新羅の将軍の名とするのは不自然で、もとは安徳天皇が「生不動の化身である」という異説が訛伝したものでしょう。
生不動とは、おそらく密教の尊格である不動明王のことです。この仏尊は大日如来の化身として五大明王の中心となり、憤怒の形相をあらわして仏敵を畏怖・退散させるとされます。その手には羂索(縄)と剣を持ち、剣には倶利伽羅龍王が燃え盛る炎となって巻き付いています。また不動明王には前述のように八大童子が付き従うとされますから、八歳の童子の姿で宝剣を持ち龍宮に沈んだ安徳天皇はその化身とみなされたのでしょう。
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かくして酒天童子は伊吹山や八岐大蛇、草薙剣と結び付けられ、彼を武士が退治する物語は、武士が正統な朝廷の武力の保有者であることを保証する神話となりました。やがて酒天童子の出生地は伊吹山のさらに東北、八岐大蛇の出身地である高志の国、越後に追いやられていくことになります。
◆山◆
◆風◆
【続く】
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