インナーチャイルドに一生苦しめられていた義母。
義母がどういう人だったのかと思い返してみると、一言で言い表すことはとても難しいんですが、一番最初に思い浮かぶのは、インナーチャイルドに一生苦しめられていた人だったなーと。
それは、義母が持っていた強い信念や価値観、毎日の言動から、明らかにわかりました。
「それはフェアじゃない」
が口癖でした。
何に対しても平等でなければいけないという強い信念を持っていました。
その強い信念は、義母の幼少時代の経験から生まれたものです。
義母がよく話していた話のひとつなんですが、6歳下の妹に当時お気に入りだった本を破られてしまって怒ったら、お母さんに
「お姉ちゃんなんだから、我慢しなさい。妹はまだ小さいでしょう。」
と言われたというのです。
妹は当時まだ2,3歳とかだったので、お姉ちゃんを怒らせようと思ってやったわけではないと思うんですが、そのあとも、妹にいたずらされるたび、
「お姉ちゃんなんだから、我慢しなさい。」
とお母さんに言われ続けていたそうです。
その小さいときからの経験が大人になっても反映していて、「フェアじゃない」と思うことに対して、強い感情を持っていました。
強い怒りを持っていました。
その「フェアじゃない」と思う対象が日頃からたくさんあったようですが、その対象は、世界で起きている可哀そうなニュースで見た出来事から、自分の子供や孫たちにあげるプレゼントの量や値段だったりにも反映していました。
例えば、1人のプレゼントにいくらかかったから、他の子供、または孫たちにも同額の値段のものを買ったり、値段が安めだったら、差額分のお金と一緒にあげたり。。。1人だけに少し高額なものをあげると、他の子どもたち、または孫たちにフェアじゃないから。何でも平等でなければいけないという強いポリシーがあって、いつもそうしていました。
極端なケースもあって、例えば残り物のケーキを切り分けるときなども、人数分数えて、その人数分、全て同じ大きさに完璧に切り分けたりしていました。
私は、そこまできっちりされると、食べる気を失うんですが。。。
「フェアじゃない」と思う気持ちは、現在目の前で起こっている、または見ている状況が、インナーチャイルドを刺激して、子供のときに感じた感情を生々しく湧きたてることもよくありました。
例えば、義母の妹、私の夫の叔母に当たる人の家で家族の集まりがあったとき、特に私が電子ピアノを買ってもらう前は、ピアノを弾く機会が全然なかったため、義母の妹の家にあるアップライトピアノを弾かせてもらうことがあったんですが、義母はよくこう言っていました。
「これは私のお父さんが妹に買ってあげたピアノ。私はピアノも買ってもらえなかったし、ピアノのレッスンも受けさせてもらえなかった。」
こう言われると、
「あーー。。。」
と言葉を失ってしまって、ピアノを弾く手も止まってしまいました。
「妹はバレエのレッスンも受けさせてもらえたけど、私は受けさせてもらえなかった」
お義母さん、可哀そうだったね。。。
と、しゅんとなりました。
でもあとから考えると、義母がまだ小さかったときには、もしかしたら子供に習い事をさせる経済的余裕がなかったかもしれないですよね。
私もその当時の状況が全くわからないので想像しかできませんが、確かに子供にはそういう大人の状況は理解できない部分も大きいと思います。
子供だった義母からすると、
「妹は好き放題やって習い事もさせてもらったのに、私は習い事もさせてもらえなかった。私だけいつも我慢させられて。。。フェアじゃない。」
この気持ちが強かったと思うのです。
妹に対しては、亡くなる前まで不信感を抱いていました。
夫の家族は、家族での集まりが多いんですが、集まるのはほぼ毎回、夫の両親、義姉一家、義弟一家、そして義母の妹一家の大人数。
クリスマスやイースターなどはもちろん、家族全員の誕生日にも毎年集まります。
夫の実家で集まることもあれば、義母の妹の家で集まったり、もちろん、私たちの家だったり、義姉、義弟の家だったりですが、実家で集まるときに、義母の妹一家が先においとますることが多くて、帰ったあとには毎回、義母が深呼吸をして、
「やっと静かになった。今日もうるさかったね。妹の息子2人はまた今日もたくさん食べてた。チョコレートもたくさんあったのに、見て!こんなに少なくなってる。」
などと、小言を言うのです。
それも毎回。
本人の前では一切言わないのに、いなくなった途端に言う。
私がまだイギリスに来たばかりで、義母の妹のことをまだよく知らないときのこと。
義母や夫の家族があまりにも義母の妹のことを悪く言うので、
「え?そんな風には全然見えないのに。。。」
と私が受けた印象と義母たちが話す義母の妹の姿があまりにも違うので、戸惑いながらも、でも義母の妹に対して普通に接していました。
まあ、確かに声は大きいかもしれないけど、明るい性格で、おしゃべりで、人のために喜んでお手伝いもするし、働き者だし、出逢って20年弱経った今でも、その初めに受けた印象は、ほぼ変わっていません。
義母は体調不良なことが多かったので、何か大きなことがあると、義母の妹はお姉さんはいつも大変そうだからと、「私がやる!」ってやることが多かったんです。
でも義母にとって、
「私がやろうとしていたことを、また横取りされた。
いつも勝手にしゃしゃり出てきて、自分の手柄にしてしまう。」
と不信感をどんどん募らせていっていました。
直接妹と本心で話せたらよかったのに。。と思うんですが、結局そうすることもなかったようです。
義母は直接妹に言えないので、妹のいないところ、旦那さんと子供たちや孫たちの前で、いつも悪口を言っていました。
これは、妹だけのことではなくて、他の人に対してもそうでした。
周りの人に対して、自分の信念や価値観に合わないと思うことがあると、直接本人に言わず、
「それはフェアじゃない。」
とか
「こうすべきではない。」
と陰で思いっきりその人のことを言うのです。
とても意見がはっきりした人だったので、両極端で、他人に対しての理解をほぼ示さないまま、
「〇〇は~だ」
と決めつける節がありました。
私は、陰で人の悪口を言う人が苦手だし、人の悪口で盛り上がるような場で居心地よくいられません。。
あんなに気前が良くて、喜んで家族のお手伝いをする義母の妹のことを、義母が陰で旦那さんと子どもたちや孫たちに文句を言い続けていたせいで、夫の家族は義母の妹のことをよく思っていませんでした。
表向きは仲のいい姉妹という感じだったかもしれません。
でも、義母にとっては違っていました。
義母が亡くなった日の早朝。
入院先の病院で緊急治療室に移されるのを拒んで、残りの時間を家で過ごしたいと言って実家に戻ったんですが、その日の午後にドアベルがなったので家族の誰かが見に行くと義母の妹でした。
そのことを義母に知らせると、義母の表情がにごって、
「いや。入れないで。」
と言っていました。
でも、もうドアの外にいるし。。。
と家族の一員が言うと、数秒黙り込んだあと、
「ほんの少しの間だけなら。。」
と渋々OKを出していました。
本当に嫌そうな顔をしていました。
それが本心だったんだと思います。
***
みなさんは、どう思いますか?
確かに、義母が小さいときにお母さんから、
「妹はまだ小さいでしょう?お姉ちゃんなんだから我慢しなさい。」
と言われたり、妹だけ習い事をさせてもらえたり、と不公平といえば、不公平なところもあったかもしれませんが、妹や弟がいる人なら、あるあるな話ではないですか?
私だって、小さいとき、大好きで私が大切にしていた自転車を、妹が駄々をこねて欲しいと言って、乗らせてあげたか、手放さないといけなかったのか、そこまで憶えていませんが、そういうことがあったし、お姉ちゃんなんだから我慢しなさいって同じこと言われたこともあっただろうけど、何十年も経って、大人になってからも恨んでいるなんてことはありません。
義母は、妹に対して抱いた怒りを、お母さんに我慢しなさいって言われたせいで表に出せず、何かあるごとに怒りの感情が溜まっていって、その感情が長年どんどん蓄積されていって、雪だるま式に大きくなっていたんだと思います。
義母の妹は、今でも「私とお姉ちゃんはとても近い関係で仲良し姉妹だった」と思っています。
知らないほうが幸せなこともあるのかな。
いや。
でももし私が義母の妹だったら、もっと早くに言ってほしかったと思うと思います。
大好きなお姉ちゃんに、実は子供のときから恨まれていたなんておばあちゃんの年になってから知ったら、悲しくなります。
(続く)
*今回は、義母が妹に対して抱いていた感情や、小さいときにお母さんに言われたことが、その後の人生にどう影響していたのかということを中心に書きましたが、次回は別のエピソードを書く予定です。