砂を運ぶお坊さんの行列!? 18年ぶりに開催されたお砂持ち神事を見てきた【2023年5月14日】
「敦賀には変わったお祭りがたくさんあるんだよ」と噂には聞くものの、ここ数年はコロナでやはり自粛や中止が続いていた。今年は軒並み復活を遂げるお祭りが多く、3年目にしてようやく私も本来の敦賀を体感できている。
少し前のことになるが、5月14日には「遊行のお砂持ち」という神事が氣比神宮周辺で開催された。地元の人に尋ねても「へぇ、そんな行事があるの!?」とあまり知られていない様子。無理もなく、なんと今年が18年ぶりの開催だったという。頻度もさることながら、内容もなかなか珍しい行事だったのではないかと思う。
鎌倉時代の故事を再現
そもそも「遊行のお砂持ち」とはどんな神事なのかというと、敦賀に伝わる故事を元に生まれた時宗の神事だ。
遡ること鎌倉時代、時宗の二祖、真教上人が敦賀に遊行にやってきた際、氣比神宮に立ち寄った。(時宗といえば、踊り念仏や開祖一遍上人は教科書にも出てくる。真教上人はその弟子だそうだ)
そこで、氣比神宮周辺は沼地のために参道の整備が難航していると知り、なんと自ら「もっこ」を担いで海辺の砂を参道の整備をお手伝いすることに。すると、上人に続き、時衆(時宗の僧尼のこと)たちも加わって砂を運び、さらに近隣諸国から信者も集まり、参道はまるで市場のような賑わいになったそうだ。真教上人のおかげで、参道整備は無事成功。上人の功績を讃えて、行われるようになったのが、敦賀の「遊行のお砂持ち」なのだ。
しかし、開催は「時宗の上人が交代したとき」のみ。ゆえに、前回は2005年、前々回は1994年と、10年〜20年と開催されない期間があるレアなお祭りなのだ。
「西方寺跡」からスタート
神事は、神楽1丁目と神楽2丁目の間の交差点付近からスタートする。この近くにある「キッズパークつるが」というビルの建つ土地には、かつて時宗のお寺である「西方寺」があったため、この場所がスタート地点とされているようだ。
18年ぶりの開催にもかかわらず、この日はあいにくの雨。スタート地点には、法被の上から雨ガッパを重ねたお坊さんたちがアーケード下までズラリと並んで待機していた。
ちょうど、神楽一丁目商店街を端から端まで、長ーい行列が行進していく。氣比神宮向かいの交差点に差し掛かると、広場にお砂の山が待機してた。
砂の前に上人らしき人が到着すると、儀式が執り行われた。儀式を終えた砂は「もっこ」という棒に布を括った運搬具に入れられ、お坊さんたちが次々と担いで運んでいく。
横断歩道を渡っていく行列の姿は、なんだか違和感たっぷり。
まるでタイムスリップしてきたか、時代劇から抜け出してきた人たちのようだ。
この神事でしか見られない「池」
儀式もいよいよ大詰め。
氣比神宮の大鳥をくぐった行列は、本殿の方へは向かわず、何やら奥まった方へと砂利道を進んでいった。「そっちに何もなかあったっけ…?」と思いながらついて行ってみると、そこには見たことのない「池」が現れていた。
沼地を埋め立てたという故事を再現すべく、どうやらこの神事のためだけに作られているようだ。氣比神宮には何度も来ているのに、こんな場所があるとは知らなかった…!神事が終わると水は全て抜かれてしまうそうで、案内看板などが特にあるわけでもなく、神事を見たことがない限りこんな使い方をされる物とは気づかないだろう。まさに「レア池」だ。もはや「池」という表現が正しいのかもイマイチわからないのだが…。
その後も、お坊さんや檀家さん、かわいらしい稚児の衣装を着た子供たちが次々と砂を運んでいった。どれくらいの人数がいただろうかと調べてみたところ、新聞ではおよそ200名と報道されていた。敦賀市内の関係者かと思いきや、故事と同じように、県外からもお砂運びにやってきた時衆さんもいるそうだ。市内であまり知られてない割には参加者が多いと思ったら、そういうことだったのか…。
時間の関係で最後まで見ることはできなかったが、珍しい光景をたくさん写真に収められた。これまでは上人の交代を記念しての開催だったが、神事の継承のため、今後は開催スパンを変更するという噂だ。各地から人が集まる神事ということで、人の行き交う敦賀のまちらしい神事だなと感じた。会場となる神楽一丁目商店街とも縁深く、商店街にとっても大切な神事なのではないだろうか…。どうか末長く続いてほしい。